眠り姫
眠り姫
姫が眠り続けて三年がたった。同い年の子供達は小学校を卒業して今は中学二年生だ。朋子は姫がいつ目覚めてもいいようにセーラー服を買って姫のクロゼットにかけている。
原因は今もわからない。ある日、いつまでも起きて来ない姫を起こしに朋子が呼びに行くと、ベッドの上で姫はいつも通りに眠っていたのだ。けれど何度呼んでも頬を叩いても目を覚まさない。どんな病院に行っても姫が目覚めない理由はわからなかった。
朋子は一日のほとんどを姫の枕元で過ごす。いつ姫が目覚めてもいいように。点滴の管に繋がれた姫の腕は細く、朋子はその腕をそっと撫でて過ごす。姫の瞳をもう一度覗きこめるように。
「お子さんは呪われているんです」
ある日突然、家にたずねてきた女が唐突にそう言った。朋子は音高く扉を閉めた。こういった手合いの連中はどこから情報を得るのか次から次にやってくる。悪魔に取り付かれているだの、先祖の霊がたたっているだの、宇宙人から操作されているだの、人の弱みに付け込んで金をたかろうと寄ってくる。本当にその能力があるのかとくわしく話を聞いた事もあった。けれど話せば話すほどそんな人たちは金のにおいをぷんぷんさせる。どうせ騙すならもっときれいにだましてくれたらいいのに。そうしたらこの焦燥も少しは減るかもしれないのに。
動けない姫の体はどんどん弱り、最近は心房細動をおこすこともある。酸素を送るために喉に管が通された。朋子は心配で心配でいつも姫のそばにいる。
「お子さんは呪われているんです」
面会時間いっぱいまで病院で過ごし、帰ってくると毎日呪い女が立っている。朋子は女の鼻先で思いっきりドアを閉める。女はしばらくドアの前に立っているがしばらくすると諦めて帰っていく。それを毎日繰り返していた。
ある夜、帰宅した夫が呪い女を家にあげた。
「あなた!? なにしてるのよ!」
「この人は本物だよ。本物の呪い師だ。きっと姫の呪いを解いてくれる。
「何を言ってるの? 呪いなんてあるわけないでしょう?」
「大丈夫だよ、この人が姫を目覚めさせてくれるからね。この人は本物なんだ」
朋子が何を言っても夫は「大丈夫」としか言わず、呪い女はにこにこと朗らかに笑っている。朋子は次第にイライラしてきて、夫の頬を叩いた。
「しっかりしなさい! インチキよ、呪いなんて。効くわけないでしょう」
「大丈夫だよ、大丈夫。だから、ね、朋子の命をもらうよ」
「え?」
「姫の魂は抜けてしまって体は抜けがらなんだ。だから、代わりの魂がいる。朋子が代わりになるんだ」
「……何を言っているの」
「大丈夫だよ。痛くないように一突きで殺してあげるからね」
夫は持っていた書類カバンから鋭利な包丁をとりだすと、朋子の左胸に突き立てた。ひゅ、っと短い息を吐いて朋子は倒れた。最後の瞬間、呪い女と目があった。女は屈託なく朋子に笑いかけた。
目を覚ますと、目の前に呪い女の顔があった。叫ぼうと思ったが、口の中に管が入っていて声が出ない。
「大丈夫ですよ、もう大丈夫」
呪い女はにこにこと喋る。
「呪いは解けましたからね。ご主人は殺人罪で捕まっていますけれど、心神耗弱ですからすぐに帰ってきますよ。大丈夫」
朋子は喉の管をはずそうと手を動かしたが、たった数センチ動いただけでとても口までは届かなかった。
「さあ、看護師さんを呼びましょうねえ」
呪い女は朋子の枕元にあるナースコールのボタンを押した。すぐに病室に入ってきた看護師が枕元に駆け寄ってきた。
「姫ちゃん! 目が覚めたのね!」
姫? 姫がそばにいるの?
「すぐに先生を呼んでくるから!」
看護師がばたばたと駆けていき、医師が来て、管が外され、皆が朋子の事を姫と呼んだ。呪い女はいつのまにか消えていた。
数ヶ月たち、朋子は筋力を取り戻し立ち上がれるようになっていた。日常の身の回りのことも一人でできるようになった。そして朋子は鏡を見つめた。そこには姫がいた。
「姫……」
朋子は鏡をそっと撫でる。姫はそこにいる。鏡の向こうに。すぐそばに。けれど姫を見つめて姫に触れる事は永遠にできない。
絶望する。けれど絶対に自殺などできない。朋子は深い孤独を抱きしめて姫の体を生かし続ける。




