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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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 ライターをカチッとしてストーブに火を付けた。

「一人でストーブをつけたらだめよ」

 ママに言われていたけれど、寒くて寒くて仕方がなかった。いつもならママが抱いて暖めてくれたけれど、ママの体は冷たいし、ぎゅうっともしてくれなくなった。

 外に牛乳をとりに行く。三歳になったから、牛乳をとりに行くのはまどかの仕事だ。毎朝三本届く牛乳。一本はママの。一本はパパの。一本はまどかの。ママとパパの口のそばに牛乳を置く。昨日の分と今日の分、二本の牛乳が並んでいる。まどかは自分で牛乳のフタを開けてごくりごくりと牛乳を飲む。お腹が空いているからパパとママの牛乳も飲みたいけれどガマンした。パパとママが起きたら牛乳が飲みたいだろうから。

 牛乳は毎朝一本、みんなで朝ごはんの時に飲む。まどかは牛乳を飲んだら大きくなれるから一生懸命飲む。けれど牛乳を飲んでもママは朝ごはんを作ってくれない。

「ママ……」

 まどかはママの肩に手をかけて揺すってみたけれど、ママは返事をしてくれない。目を開けているのに眠っているみたいだ。

「パパ……」

 パパもやっぱり返事をしてくれない。床に顔からつっぷして鼻がつぶれている。息が苦しくないのかな、とまどかはパパの肩をよいしょ、と押して横向きにした。パパの口から出ている血をティッシュで拭こうとしたけれど血はかたくてぜんぜん取れなかった。ママの胸から出ている血も取れなかった。

 まどかはちょっぴり血がついたティッシュをストーブの中に入れた。ストーブの火がついてティッシュはあっという間に燃えた。きれいだな、まどかはティッシュが燃え尽きるまでじっと見ていた。暖かくなったら眠くなって、ストーブの前で横になった。



「あなたのしてること、私全部知ってるのよ」

 ママがそう言うと、パパは台所から包丁を持ってきた。

「何する気!?」

 ママが聞いた。

「一緒に死んでくれ。なあ、一緒に死のう」

 パパが答えた。

「あなた、落ちついて。大丈夫よ、私も一緒に警察に行くから。自首しましょう」

 まどかがお菓子を食べながらパパとママの難しい話を聞いていると、パパがまどかを見た。

「駄目なんだ。俺は火を見ないと生きている気がしないんだ。火を付けられないくらいなら、死んだ方がましだ」

 ゆっくりとパパがまどかに近づいてくる。抱っこしてくれるのかな。まどかはにこにことパパのそばに行こうとした。

「やめて!」

 ママがまどかの前に飛び出して、まどかを背中に隠した。パパがママに近づいた。何をしているのか、まどかには見えなかった。ママがまどかに覆いかぶさるように倒れてきた。まどかはママの下から這い出した。パパがストーブに火を付けようとしている。けれど火はつかない。

「あのね、パパ。灯油がね、しなぎれなの」

 パパはまどかを見て笑った。困ったような顔で笑った。そうして包丁を自分の胸に突き立てた。なんどもなんども突き立てた。まどかはパパは何をしているんだろう、と不思議に思って見ていた。しばらくするとパパは口から血を出して倒れて動かなくなった。

「パパ、寒いの?」

 まどかが聞いてもパパは返事をしない。きっと寒くて口が凍っちゃったんだ。まどかは倉庫に行って、いつもママがするみたいにペットボトルに灯油を入れて戻ってきた。それをストーブの投入口にこぽこぽと注いだ。ちょっぴりこぼれちゃったのでティッシュで拭いた。

「ママ、パパが寒いからストーブつけて」

 まどかがママを揺すっても返事をしてくれない。きっとママの口も凍っちゃったんだ。

「まどかがストーブつけてあげるね」

 まどかはライターをカチッとしてストーブに火を付けた。ストーブは少しの間温かかったけれどすぐに火が消えてまた寒くなった。まどかはママの体に抱きついて眠った。

 それから、ストーブに火を付けるのもまどかの仕事になった。



 目が覚めると、部屋の中は真っ赤に燃えていた。

「わあ……」

 まどかは炎に見惚れた。

「ママ、見て、きれい」

 ママは返事をしてくれない。

「パパ、見て、きれい」

 パパは返事をしてくれない。

「きれいなのにな……」

 まどかはパパにもよく見えるようにパパの体をごろんと押した。パパの髪が炎に巻かれ、あっという間に焦げていく。そのうち火がついてパパが燃えだした。

「わあ、パパがきれい」

 まどかはママの体もごろんと押して炎の中にママを押しこんだ。やっぱりママにも火がついてパパもママも絵本に出てくる妖精みたいにきれいだった。

「まどかもきれいになる!」

 まどかは叫んで炎の中に飛び込んだ。とたんに体中が痛くなって、熱くなって、まどかはびっくりして炎から飛び出した。けれど炎は部屋中にあふれていて、どこに行っても熱かった。息が苦しくなって、咳がいっぱい出て、炎が体を包んで、まどかは泣いた。けれど涙にも火がついたみたいに頬が痛くなった。息が苦しくて苦しくて気を失う寸前、まどかは自分の体を燃やす火に見とれた。きれいだな、きれいだな。まどかはにこりと笑った。

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