その熱はどこから?
その熱はどこから?
熱だ。
寒気がする。なのに体が熱くて汗が出そうだ。風邪のひきはじめ、鞠子は必ず熱を出す。子供の頃から変わらない。
有給はもうほとんど残っていない。夏休みの旅行であらかた使ってしまった。まだ微熱程度だ、早退したらもったいない。鞠子はロッカーからフリースの膝かけを出すと、デスクに戻り膝かけで足をくるんで座った。
「あれ? 時田さん、寒いの?」
声をかけられて思わず鞠子の肩がびくりと跳ねる。
「あ、ごめん。驚かせた?」
鞠子は笑顔をつくって声の主を振り返る。
「えっと、ちょっとぼーっとしてました、すみません」
「いや、こっちこそごめん。背後から声かけて」
鞠子は内心で苦虫を噛みころす。この男、主任の古田が、鞠子は大の苦手なのだ。話しかけないで欲しい、近寄らないで欲しい、仕事の指示は別の人にして欲しい。欲しい三段活用してみても、鞠子の直属の上司は古田主任なのだ。気がきいて優しくてハンサムでがんばり屋で社内のみんなから好かれている古田主任なのだ。主任を苦手としているのは鞠子一人だということは鞠子も自覚している。素晴らしい男性だということはわかりきっている。夏にこの課に配属になってすぐに課内の皆と打ち解けた。けれど、鞠子は苦手なのだ。ワイシャツを素肌の上に直接、着る男性が。
もちろん、ワイシャツは本来、下着であったものだから肌に直接触れるものだということや、そういう着方をする人こそ本当のオシャレを知っているなんていう蘊蓄だって聞いた事はあるのだ。けれど鞠子の育った家庭では、というか鞠子の父はラクダのシャツとラクダのモモヒキを着用するような昔風の人間だった。素肌にワイシャツ、なんてありえなかったのだ。そんなこと母が許すはずもなく、父が試みようとするわけもなかった。
もちろん、不潔だとかエロティックだとかいうわけじゃない。主任はいつも清潔感あふれているし、性格も容姿も爽やかだ。鞠子だってワイシャツ姿だってかっこいいと認めている。
「時田さん? 大丈夫? ほんとにぼーっとしてるけど。顔も赤いし熱でもあるんじゃない?」
ほら、こんな小さな事にもすぐ気付く。
「我慢しないで早退していいんだよ。会議資料は明日でいいから」
ほら、仕事の指示も的確だ。
「時田さん?」
主任が鞠子のデスクに手を付き顔を覗きこんだ。鞠子は思わず背をのけぞらせ、いつもの癖で主任のシャツを凝視した。
「あ!」
「え? なに?」
思わず大声を出した鞠子に驚いた主任は身を起こした。離れてみると一段とよく見えた。ワイシャツの下のヒートテックが。
「主任、もしかして寒がりですか?」
「え、ああ、うん。暑がりの寒がりで。季節に負けっぱなしなんだよね」
「えっと、えっと、じゃあ、夏場は冷感素材ののTシャツなんか下着に使ったり……」
「うん、来年はそうしようと思ってる。……時田さん?」
「え、えええ? はい? なんでしょう?」
「ますます顔が赤くなってるけど、ほんとに大丈夫?」
鞠子はガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。鞠子の目の前に主任のワイシャツが広がる。その下にはTシャツ。その下にはTシャツ!
「そ、早退します!」
鞠子は真っ赤な顔で宣言するとササっと荷物をまとめて外に飛びだした。
「お大事に―」
主任の声が背中に聞こえた。その声は鞠子の背を覆う、温かなヒートテックのようだった。
 




