表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
423/888

風祭り

風祭り

「じゃあ、いつまでもいな。お姉ちゃん帰るからね」


 由岐がそういって雪を踏みしめ児童公園を出ていく。


「おねえちゃん! やだ、置いてかないで!」


 鼻にかかったひなの声に由岐はため息をひとつ吐いて振り返った。そこには一面の雪が広がっているだけでひなの姿は見えなかった。


「ひな、ふざけないで。ほんとうに帰るよ!」


 そこここに作られた雪山、大人よりも大きな雪だるま。二十年ぶりの豪雪に皆狂喜して昨夜から今日の昼まで公園内には様々なものが作られていた。由岐とひなも小さな雪うさぎや大きな雪山を作って午前中いっぱい遊びつくした。由岐はお腹が空いていた。けれどひなはそんなこと知らずにまだ遊びたいとだだをこねた。


「ひな! ほんとうに置いてくからね!」


 返事はない。姿も見えない。由岐は両手を握りしめると家に帰って母が作り置きしてくれた昼食を一人で食べた。


 ひなは、帰ってこなかった。


 夕方、由岐はひなをさがしに公園へ行った。ぐるりと周った公園の中ひなはどこにもいなくて、けれどひなの長靴の片一方が雪山のそばに落ちていた。


 両親は夕暮れ過ぎてもひなを探し続けた。由岐は暗くなるとすぐ家に帰された。ひなの長靴を抱きしめて由岐は小さくなって震えていた。お腹の中に重い石が詰め込まれたようでトイレに行って何度も吐こうとした。けれど由岐の口からは何も出てきてはくれなかった。


 ひなの遺体は児童公園の真ん中、雪に覆われた落とし穴から発見された。ひなが落とし穴の罠を踏んだ時に近くの雪山が崩れてひなの体を隠したのだと言う。由岐はひなの長靴を握りしめて、けれど何も、由岐からは何も出ていくものはなかった。


 バスは右へ左へ揺れながら山道を上る。山肌の木の枝がバスのガラスを撫でていって、ガラスが割れるのではないかと由岐はひやひやした。


 バスを降りると蝉の鳴き声が背中にずしりと降ってきた。クーラーで冷やされた腕に汗が吹きだす。バスが細い山道を行ってしまうと車も人も通らず谷に向かうガードレールだけが残った。由岐はそれとは反対に山の中に続く道を上る。


 杉木立の真ん中に古びた石段が続く道を息を切らして上っていく。蝉の声も遠くなりひやりとした空気が腕を撫でていく。由岐は誰かがついて来ているのではないかと度々振り返った。けれど小暗い石段には由岐の足跡以外、何もなかった。


 杉木立を抜けると急にあたりは明るくなり、さあさあと水音が聞こえ出す。由岐は心細さから逃げるように明るい道へ駆けだした。赤い欄干の橋の向こう婆ちゃんが待っていた。由岐は婆ちゃんに駆けより抱きついた。


「おうおう、ゆきちゃん、よく来たねえ。ひとりでえらかったねえ。ごめんねえ、バス停まで迎えに行けんで。今は風祭りの最中だからねえ」


 由岐は婆ちゃんの顔を見上げる。


「風祭り?」


「ほら、あの爺さまをご覧」


 婆ちゃんが指差した先には川に向かって釣り糸を垂らしたお爺さんがいた。川風が涼しく釣り糸を揺らす。お爺さんが首に巻いた手ぬぐいも風に揺れる。


「ああやって、風を釣るんだよ」


「風って?」


 婆ちゃんは由岐の顔をじっと見つめると優しく微笑んだ。


「畑に行って、ゆきちゃんの好きなトウキビをもいで帰ろうか」


「うん!」


 由岐は婆ちゃんと手をつないで畑へ向かった。婆ちゃんの畑は一見、草ぼうぼうの荒れ地に見える。けれど良く見るとあちらにトマトこちらにオクラ向こうにトウキビと色んな作物が生えている。カンゼンジユウサイエンなのだと婆ちゃんはうれしそうに笑った。由岐は草を掻き分けて歩く。スズメノエンドウ、エノコログサ、ツユクサ、アシタバ、スイバ、ミズキリ、色んな草を掻き分けて。


 そこに小山ができていた。畑の真ん中ぐるりと草が引き抜かれ、小さな釣り竿が風に糸を流し、その下には小さな長靴が置かれていた。


「ひなの長靴……」


 かさかさと草を分けて婆ちゃんがやってきた。


「ひなの風をつかまえるのさあ」


「つかまえて、どうするの?」


 眉根を寄せて苦しそうに聞く由岐の頭を、婆ちゃんがぽんと叩いた。


「この畑のものにする。この畑の土になっておひさまをうんと浴びて。トマトになってオクラになってトウキビになって。そうしてわしたちの中に、やってくる」


「やってきてどうなるの」


「わしたちが、つないでいくんだ、その風を。遠く遠くへ旅するようにな」


 由岐は置いてあった長靴をそっと拾った。蛙の柄のひなが好きだった長靴。由岐はぎゅっと握りしめて、そばに生えているトマトをもぎった。そしてかじるとトマトはじゅぶりと由岐の喉に落ちていった。由岐は大きな声を上げて、泣いた。


 つぎの日、由岐は婆ちゃんに内緒で釣り竿のそばに種を植えた。ひなが好きだったエリカの種を。釣り竿は風に糸を揺らした。そうしていつか冬が来る。由岐は空を見上げて夏の風を見送った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ