ファジイなぼくたち
ファジイなぼくたち
「あたしもう行くね」
沙耶姉ちゃんはそう言って手を振る。
「あ、そう。元気でね……っつーか、成仏しなよ」
沙耶姉ちゃんは不満げに頬をふくらまして、壁の向こうに消えた。
沙耶姉ちゃんは幽霊だ。
五年前、交通事故でなくなった。二十四歳だった。ぼくは従姉の沙耶姉ちゃんが大好きで、それはもう泣いた。
そんなぼくのそばに沙耶姉ちゃんが現れたのは四十九日の法要が終わってから。
「帰ってきちゃった」
沙耶姉ちゃんの幽霊は、てへぺろ、と笑った。
ぼくはまだ小学校の四年生で、いい年しててへぺろはないだろ、とかどこから帰ってきたんだよ、とかツッコミをいれることも知らず、ただ単純に沙耶姉ちゃんにまた会えたことを喜んだ。
けれど、その喜びは長くは続かなかった。
沙耶姉ちゃんの幽霊は、ぼくのストーカーになった。
とにかく一日中、ぼくにくっついている。
起きたら胸の上に乗っているし(毎日金縛りだ)、道を歩けば右肩に乗るし(肩が凝って寒気がする)、着替えているとクローゼットの中から目だけを出してじっと見ている。
「だってあたし、悪霊だもん」
沙耶姉ちゃんは、あっけらかんと言い放った。
沙耶姉ちゃんが(あの世?から)現世に帰ってきたのは、ぼくに執着していたからなんだとか。
端的に言うと、ぼくに恋をしていたらしい。小学生のぼくはただただ嬉しく恥ずかしく、沙耶姉ちゃんを受け入れた。
今ならわかる。沙耶姉ちゃんはショタコンだ。ショタコンの悪霊、最悪だ。そんなものさっさと調伏すべきだったのだ。
けれど、小学生のぼくは変態の餌食になることがどんなに大変か、ちっともわかっていなかった。
ぼくにプライバシーはない。風呂にもトイレにも沙耶姉ちゃんはついてくる。それはそれは嬉しそうにぼくを凝視する。
初めのうちは恥じらって涙を浮かべていたぼくも、一月もすると馴れてしまった。
沙耶姉ちゃんは、チッと舌打ちしていたが、それでもストーキングはやめなかった。
ごはんを食べるときも、沙耶姉ちゃんは手を出してくる。ぼくの箸の端を持って
「はい、あーん」
と食べさせる真似をする。毎食それだ。ぼくは目をつぶり沙耶姉ちゃんを見ないようにして食べる。
「もう!なんで私のこと、好きにならないの!?」
沙耶姉ちゃんは怒る。
「なんでって、ストーカーだからだよ」
「ちがう!あたし、憑依霊だから!」
ストーカーも憑依霊もたいした違いはない。とくにぼくにとっては。
まあ、沙耶姉ちゃんはショタコンだから、ぼくが成人すれば、どこかへ消えるだろう。だれか好みの男の子を見つけるかもしれない。
ぼくの胸の奥に、ちりっと小さな火花が弾けたような痛みが走った。なんでだろう。ぼくは沙耶姉ちゃんが離れていくのが、本当は……。
痛みはさらに大きくなる。胸を見下ろすと、沙耶姉ちゃんがぼくの胸の中に手を突っ込んでごそごそやっていた。
あわてて後ずさり距離をとる。
「なにしてるんだよ!」
「ちょっと心臓を止めよっかな?と思って」
沙耶姉ちゃんはてへぺろ、と笑う。
「てへぺろじゃないよ!ちょっとじゃないよ!なにしてるんだよ!」
「一緒に悪霊になって可愛い男の子にとりつこうよ」
「いやだよ!」
「じゃあ、一万歩ゆずって可愛いボーイッシュな女の子でもいい」
「ゆずらなくていいよ!」
やっぱり悪霊は悪霊だ。油断したら命があぶない。
でもぼくは、まだ沙耶姉ちゃんを調伏できずにいるんだ。
霊能者の知り合いがいないからだ。うん。理由はそれだけ。
それだけだ。
「じゃあ、百万歩ゆずって童顔のおじさんでも……」
「ゆずるな!」
ぼくの戦いはまだまだ続く。




