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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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たそがれに青

たそがれに青

「姉さん、明日は晴れるかしらねえ」


母が空を見上げながらポツリとつぶやく。


「さあ、どうかしら。天気予報では雨になっていたけれど」


私は答える。

最近の母は、私のことを「姉さん」と呼ぶ。しばらく前には「お母さん」だった。その前は状態が悪く、寝たきりで口も聞けなかった。

良くなったきっかけは、おそらく娘だ。原因不明の高熱で寝付いた娘を、介護が必要な母と同じ部屋に寝かせ一緒に看病していた。

私が疲れて娘の枕元でうとうとしていると、ふいに何か気配を感じた。

目を開けてみると、母が起き上がり、娘のことをじっと見つめていた。


「かあさん……」


自分の声が震えていることに気付いた。母はそんなことには頓着しないように、ただ娘を見つめていた。


なぜかその夜に娘の熱はストンと下がり、起き上がって自分でお粥を食べられるようになった。母と隣り合わせ、二人でお粥を食べる姿を見て、私の目にうっすら涙が浮かんだ。




「ねえ、明日は美代ちゃんの運動会だもの。晴れてくれなきゃ困るわねぇ」


寝台に体を預け、母が言う。


「そうね、晴れるといいわね」


美代、というのは私の名前だ。母は娘のことを美代だと思っていて、なにかと心をくだく。私は面映ゆく、その様子を見守る。


翌朝、母の寝室をのぞくと寝台は空っぽだった。トイレだろうか。行ってみたが、違う。まさか徘徊が始まったのかと玄関へ走ったが、カギはきちんと閉まっている。


ふと台所から包丁の音が聞こえてきた。慌てて台所に駆け込むと、割烹着を来た母が振り返った。

「おはよう、美代ちゃん。晴れて良かったわねえ。もうすぐお弁当できるからねえ。美代ちゃんの大好きなサンドイッチだよ」


母の手は、何もないまな板の上の幻のサンドイッチを切り分けている。私はその背中に、涙が溢れて止まらない。

子供のころには当たり前すぎて気づかなかった。私はこんなにも母に愛されていた。大事にされていた。

私は母の背にすがりつく。


「あらあら美代ちゃん、どうしたの? ちいさな赤ちゃんみたい」


「うん、うん……、かあさん」


「なあに、美代ちゃん」


「かあさん、大好き」


母の暖かい手が私の頭をそっと撫でる。


「美代ちゃん、大人になってもちいさな赤ちゃんみたいねえ」


私ははっとして顔を上げる。母の瞳はしっかりと私の瞳を見つめていた。


「美代ちゃん、いいお母さんになったわねえ」


母はそう言って、また私の頭を撫でてくれた。



それから三日後、母は眠ったままあの世へ旅立った。

思えば、寝付いてからの母は人生を最初から繰り返していたように思える。まるで走馬灯のように。

母の人生は、はたして思う通りに幸せであったのだろうか。私にはわからない。




「行ってきます!!」


「行ってらっしゃい、車に気を付けるのよ」


娘が手をふって出掛けていく。遠足の今日、空はよく晴れている。私は娘のお弁当と一緒に自分にもお弁当を包んだ。いつも母が作ってくれたタマゴサンド。お弁当をもって、今日は私も遠足に行く。母の待つ墓地へ。

そうして母と二人並んでサンドイッチを頬張る。


「晴れて良かったわねえ、かあさん」


見上げた空はどこまでもどこまでも澄んだ青だった。

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