消えない影
消えない影
「火事ですね」
ドアを開けたとたん郵便やさんが呟いた、そののんびりした声がなんだかおかしくて翔はくすりと笑った。
玄関で速達をうけとっていた母が外へ飛び出していったので、翔がかわりに郵便物を受け取った。小学生の翔が初めて印鑑を使った日になった。
郵便やさんが帰り、翔も家を出て母と並んで火事を見た。
家を包み込んだ炎がゆらゆら揺れて夜空に広がっている。黒い煙があちらこちらから出てきて離れていても焦げ臭い臭いがする。
不思議と静かだった。
近所の人がバケツリレーで水をかけたり「火事だ!」と叫んだりしているのに、翔は静寂の中にいた。
やっとやって来た消防車のサイレンがその静寂を切り裂いた。
燃えているのは通り向こうの三軒となり。独り暮らしのおじいさんの家だった。
火が完全に消えるまで二時間かかった。
そこまで見守って、母と翔は家に戻った。
翌朝、翔が家を出ると、燃えた家の前に人垣ができていた。紺色の服を着た消防士や警察官だった。
翔は横目で見つつ通りすぎようとした。
驚いて立ち止まった。
燃えてしまって瓦礫になった中におじいさんがすわっていた。
燃えたはずだった。
燃えて煙になったはずだった。
翔はしばらくおじいさんを見つめたが、動く気配はなかった。翔は走って学校へ行った。
帰りにも、おじいさんはそこにいた。
今は立ち上がって少し前屈みになり手を前後に動かしている。まるで掃除機をかけているかのように。
翔は焼け跡を通るたび横目で見てみる。おじいさんはすわっていたり、料理をしたり、トイレに座っていたりした。もちろん何もかも燃えてしまってテレビも台所もトイレも、おじいさんもない。
けれどおじいさんはそこにいて、そこで生活していた。
焼け跡は更地になり、地鎮祭が行われ、工事が始まった。
地面が掘り起こされ半地下に鉄筋コンクリートの基礎が作られた。おじいさんは宙に浮いたまま生活していた。
ビルが建って中が見えなくなったけれど、おじいさんはきっとそこで生活しているだろう。
翔は自分の家をくまなく探してみたが、家族以外の誰かを見つけることはできなかった。
けれど翔は大きくなっても、ここで生活していた影のことを、おじいさんの生活を忘れることはなかった。




