ある日暗闇が訪れ
ある日暗闇が訪れ
ガクン!
と大きく揺れた。
一瞬、地震がきたかと身構えたが、揺れたのはこのエレベータだけだったようで、揺れは一回だけで収まった。
安堵したとたん、ふ、と真っ暗になった。
静寂。
日々とぎれることない耳をつんざくような、工場の喧騒も聞こえない。
真っ暗な中、何が起きたのか理解できず、張り詰めた五感のうち、聴覚だけが生きていて
どくん、どくん、と脈打つ音が聞こえる。
しばし、固まる。
が、暗闇は一向に、変化なく、暗い。
「停電……かな?」
私はあてどない暗闇に向かって話しかける。
「そう、かもしれませんね……。いや、まいったっすね」
暗闇から彼の声が聞こえて、私は正直ほっとした。
この暗闇で一人ぼっちではない、ありがたさ。
「えっと、どうするんだっけ?エレベータ、これ、止まってるよね?」
「はい。ああ、そうだ。非常ボタン、あったっすね。あれ、どこかなあ」
暗闇の中で彼が身動きする音が聞こえる。
そうだ、エレベータがとまった時に押してください、って書いてあるボタンがあったっけ。そうそう、ボタンのパネルはこの辺だった……
見えない空間で、なにか、あたたかいものに触れる。
びっくりして、手を引っ込める。
「あ!すみません!だいじょぶっすか!?」
彼の声に、あわてて答える。
「大丈夫、大丈夫。こっちこそ、ごめん。あ、ねえ、ボタン、わかった?」
「あ、えーと、ここらへんかなっと……あ、あった」
カチ。
カチカチカチカチカチ。
暗闇の中に、何か硬質のものがこすれる音がする。
「えーと、たぶん、このボタンだと思うんすけど……。応答ないっすねえ」
「どこ?どれ?」
さきほど、不意のことにおどろいて手を引いたあたりに、ふたたび手を進めてみる。
ふに、とあたたかくやわらかいものに、触れた。
「あ、えっと、このあたりです」
あたたかい手に右手をつかまれ、ぐいっと引かれる。
「あれ?どこだ?えっと、ここ、じゃない、ここ……」
右手が、あたたかい。
とざされたまっくらな箱のなかで、この右手のあたたかさだけが、この世で唯一たしかなものだった。
「あ、ここだ。これです」
私の手を非常ボタンまで導くと、彼の手は、すぅっと離れていった。
なんだか、急に、置いてけぼりをくらった子供みたいに不安になる。
なにをバカな。
彼は10も年下の後輩だ。ここは私がしっかりしなきゃいけないだろう!?
ボタンを連打する。
カチカチカチカチカチカチカチカチカチ……。
「……なんか、効いてないみたいっすねえ」
「そんな!こんなとこに閉じ込められて、どうしろっていうのよ!」
「大丈夫っすよ。エレベータが使えないことくらい、すぐ気付いてもらえますって。ほら、3階の荷下ろし、もうすぐだから絶対気付いてもらえますって」
「そう……ね。そうよね。うん。なにもこの中で夜明かしするわけじゃないよね!」
「ははは、そりゃそっすよ。俺ら二人も消えてたら、作業が止まっちゃいますよ。…あー。でも、残念だなあ」
「え?なにが?」
「主任とだったら、俺、一晩中でも閉じ込められてたいです」
とつぜん、真面目な口調で彼が言う。
どきん、とした。
一晩中…彼と暗闇の中に…
「も、もーう!やだあ、冗談ばっかり!!」
茶化して笑う私の言葉に、返事はない。むなしく闇が広がっているだけ。
「冗談じゃないっす。主任、俺…」
ふいに、エレベータの灯りがついた。
ウイーーンという機械音がして、上昇をはじめたのがわかる。
私は安堵とともに、すこしがっかりした。
がっかり?
なにに?
「…あーあ。動き出しちゃいましたね」
彼を見る。
無表情で階数表示を見上げている。
エレベータはすぐに1階についた。
ドアが開く。外にはだれもいない。
「あれー?ほんとに、非常ボタン効いてなかったんすね。これ、ちょっとまずいっすよね」
「そうね、報告しておかないとね」
私と彼は、積み込んでいた荷物をエレベータから下ろした。
やれやれ。
みょうなことで時間をとられちゃったな。
「さ、とっとと運びましょうか」
「あ、主任」
「ん?なに?」
「俺、冗談じゃないっすから」
私がびっくりして固まっていると、彼は一人で荷物を運び出した。
冗談じゃないって…どういうこと?
私は右手に、暗闇の中で感じた彼の手の感触を思い出していた。
あたたかなその感触以上に、自分のほほが熱を持っていることに、気付いた。