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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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タイムアップ

タイムアップ

 壁にかかった時計で時間を確認する。あれから十一分、残り時間はあと九分。

 健介は縛られた両手を捻じり縄の結び目を探す。両足の縄は既に解けて自由になっている。あとは両手の縄さえ外せばギロチン台から首を引き抜くことができる。

 目を壁に向ける。残り時間はあと八分。


 目覚めると見知らぬ場所にいた。首が何かに挟まって身動きがとれない。いや、それよりも手も足も動かない。うつ伏せの苦しい姿勢のままなんとか首を上げると、一人の女が立っていた。


「誰だ」


 健介が問うと、女は黙って部屋の隅を指差した。鉄杭がコンクリートの床に深々と打ち込まれ、そこに太いロープが結び付けられている。ロープのそばには大きなろうそくが置いてある。


「二十分」


 女が口を開いた。一切の感情を感じさせない乾いた声だった。


「二十分?」


 女は部屋の隅に向かうと、ろうそくに火をつけた。炎はちりちりとロープをあぶっていく。


「このロープは二十分で焼き切れる。切れればギロチンが落ちる」


「ギロチン!?」


 健介は身を捩って首を天井に向けた。そこにはギラリと光る大きな刃があった。今にも落ちてきて首に刺さるのではないか。健介の総身は粟立った。

 女は健介の目の前にある扉から外へ出ようとした。


「おい、おい! 待て! お前は誰だ? 俺に何の恨みがある?」


「私は田崎一恵」


「田崎……、まさか」


「あなたが殺した田崎二葉の姉よ」


「俺は殺してない! 警察だって俺の無実を知ってる!」


 一恵は冷やかに健介を見下ろす。


「警察なんてあてにしない。もしあなたがそこから出て来れたら無実だと信じてあげる」


「待て! ほんとに俺はやってない! 田崎とは何でもなかったんだ!」


 健介の叫びは分厚い鉄の扉に遮られ、一恵の元へは届かなかった。


 あと四分。動き続けているうちに両手を縛っている縄はだいぶ緩んできた。もう少しで手を引き抜くことができる。

 田崎二葉は健介の同僚だ。同期で親しくはしていたが、男女の関係になどなかった。二葉が殺された日、たまたま一緒に残業していて夕食を共にした。

 健介はその日のことを思い起こす。

 会社を出たのが午後十時過ぎ。近くのファミレスで食事をして二葉を送っていこうとしたが、二葉はタクシーに乗った。そのタクシーの運転手が健介が犯行現場に近づかなかったことを詳言してくれた。二葉は自宅で首を絞められて殺されていた。


 あと二分。縄は緩んでもう少しで親指を引き抜くことができそうだ。額から、首筋から、汗が滴る。呼吸が荒く鼓動が激しい。健介は首を捻じってギロチンの刃を見上げる。鈍く光る刃が健介をさらに焦らせる。


 二葉の死亡推定時刻は午前二時。その時健介は自宅で眠っていた。一人暮らしでそれを証明してくれる人は誰もいなかった。警察は健介を疑い、再三健介から事情を聴取した。しかし何度聞かれても健介は自宅にいたと答えるしかなかった。


 あと三分。

 健介は二葉が殺された日の朝、目覚めた時に感じた違和感を未だ拭えないでいた。玄関のカギが開いていてスニーカーが脱ぎ散らされていた。前日着ていたワイシャツ以外に、洗濯機のなかに着た覚えのないジーンズとTシャツと軍手が突っ込まれていた。そして健介の両手には何かに引っ掻かれたようなみみずばれができていた。まるで軍手越しに爪をたてて引っ掻かれたような。


 あと二分。健介の動きがぴたりと止まる。

 俺か? 俺なのだろうか。田崎二葉を殺したのは。

 ろうそくの炎はちりちりとロープを焼いていく。撚ってあるロープの糸が一本一本焼き切られていく。

 俺が深夜出かけていって二葉の首を絞めたのだろうか。けれどそんな記憶はない。記憶喪失? しかしそれ以外のことは覚えている。そもそも二葉を殺す動機なんて俺には……。

 ふと、違和感を感じた。この部屋に見おぼえがある。改めてぐるりと部屋を見渡す。あの鉄の扉の向こうには簡易のキッチンとトイレと、手錠のついた椅子がある。大事なものをしまうためのチェストも。その部屋に外へ出るための扉があり、この建物から出ると周りはうっそうとした森で……。

 まて、そんなこと知っているはずがない。俺はこんな場所知らない。

 その時、不意にギロチンを止める方法が頭に浮かんだ。ギロチン台の右側にストッパーを取りつけたのだった。健介は右足でストッパーを探り出し仕掛けを作動させた。

 炎がロープの最後の糸を焼き切った。ギロチンの刃が鋭い擦過音をさせて滑り降りる。ガツン、と鈍い金属音がしてギロチンが止まった。

 健介は激しい呼吸に口を開けて喘いだ。部屋の隅を見る。ろうそくはまだ燃えていて、切れたロープの先が床に垂れている。ギロチンを見上げる。すぐそばに光る刃が見え、健介の背中にぞっとしたものが走る。

 呼吸を押さえつけ、鼓動をととのえ、ゆっくりと両手を縄から外す。首を固定している柱を上げ頭を引き抜く。


 健介の頬に残忍な笑みが浮かぶ。


「田崎一恵……」


 ゆっくりと歩き扉を開くと、一恵が悠々と椅子に腰かけていた。健介はにこやかに話しかける。


「ほら。ほらほらほら。俺は無事だった。これで信じてくれるだろ? 俺は無実だ」


 一恵は無言で手に持っていた写真を健介に見せつけた。そこには裸体で全身を切りきざまれた女性が写っていた。一人ではない。何枚もある写真に一人ずつ別の女性が写されている。一恵はその写真にライターの火を近づける。


「やめろ! それを離せ!」


 叫んだ健介が走りだそうとした右足に、虎挟みが食いついた。健介は悲鳴を上げうずくまる。一恵は静かに立ち上がると火のついた写真を床に投げ捨てた。壁に沿っておいてある背の高いチェストから次々に健介の宝物を取り出してはライターで焼く。女性の髪、切り裂かれた服、血のついたロープ。そのたび健介は悲壮な叫びを上げた。


「苦しんで死ね」


 一恵はチェストに灯油をかけると火をつけた。扉をくぐり外から鍵をかける。

 ふと健介は目を覚ました。右足に激痛が走り自分の足を見下ろす。金属製の罠に足を挟まれ床に血だまりができている。肌を焼く熱気に顔を上げると、すぐそこまで炎が迫っていた。


「うわあああ!」


 必死に罠を外そうとする。

 

 虎挟みの構造など簡単なものだ。健介はやすやすと虎鋏を解除して右足を引き抜く。

 

 いったいどうしたんだろう? さっきまでギロチンに首を挟まれていたはずなのに、ここはどこだ? いったいどうして今、罠から足を抜けだしたんだ?


 床に落ちた思い出の品々を拾う。焼け残った写真の一部に口づけする。


 手に持った焦げた写真を投げ捨てた。そこには切断された人の足が写っていたから。


 キッチンの戸棚から刃の長い包丁を取り出す。


 包丁を取り落とす。俺はいつの間に包丁なんか握ってたんだ?


 苛立ちを隠せず、床に落ちた包丁で自分の右手に傷をつけた。


「痛い!」


 健介は痛みで目覚めた。右手に深々と包丁が刺さっている。包丁を握っているのは一恵だった。一恵の服はぼろぼろに引き裂かれ、体中切り傷だらけで顔には殴られたであろう青あざがいたるところにでき、鼻からも口からも血を流していた。


「あんた……、どうしたんだ、その怪我」


 一恵は答えず包丁を引き抜く。


「うあああああ!」


 あまりの痛みに健介が叫ぶ。一恵は形の変わってしまった唇を曲げ笑いながら健介の胸に包丁を突き立てた。健介は屑折れ地に伏した。遠く木々の向こうで真っ赤な火が燃えているのが見える。どこからか消防車のサイレンが聞こえる。

 一恵は力尽き健介の亡骸の上に倒れ込んだ。


 目覚めたとき、一恵は鉄格子のはまった扉の奥に監禁されていた。


「なに……? ここはどこ?」


 扉に近づき鉄格子に触れる。


 冷たい感触に満足して微笑む。切れた唇が痛んだが、そんなこと気にもならなかった。壁に取り付けられている簡易ベッドに腰かけ、ゆったりと手足を伸ばす。


 天井が見える。驚いて顔を正面に戻す。きょろきょろと見回す。触れようとしていた扉は左手の壁にある。改めて立ち上がり扉に駆け寄ると、格子の向こうに向けて叫んだ。


「誰か! 誰かいませんか! ここはどこ!?」


 すぐに看護師がやってきた。


「よかった、気がつきましたね。すぐに先生を呼んで来ますから」


「待って、ここはどこ?」


 一恵の問いに答えず、看護師は小走りに去っていった。


 くるりと回って扉に背をもたせかける。満足げに微笑み鼻歌を歌う。


「二葉、お姉ちゃん、敵を討ったよ」


 廊下から複数の足音が聞こえる。一恵は目を閉じると、深く長い眠りについた。

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