体をあらう波
体をあらう波
レコードをターンテーブルに置き針を落とすと、貴雅はソファにゆったりと腰を沈めた。ホーンからゆっくりと音が流れ出す。
曾祖父から引き継いだ蓄音機は未だみずみずしい音を届けてくれる。
音の波に体をあらわれながら、薄くいれた紅茶を飲む。貴雅の一日の終え方はもう四十年は変わっていない。
今夜の波はラフマニノフのチェロソナタ。チェロの低く響く音が子守唄のようで疲れが溶けて消えていく。
今日は本当に疲れた。貴雅は波に揺られながら、ぼんやりと思い起こす。
部下の失敗、取引先への謝罪、無理な注文、部下の弱音、それに、押し隠さねばならない自分の無力感。
もがいて一人で走り回ってますます自分が無力だと思い知らされた。
そんな思いをラフマニノフはその大きな懐に優しく包み込んでくれる。
チェロが描き出すロマンティシズムが心を羽ばたかせてくれる。
そこには、広い広い世界がある。どこまでも優しい空がある。
ソナタの最後の響きが消え、無音のレコードが生み出す蓄音機の声を聞きながら貴雅は紅茶を飲み干し腰をあげた。
針を外し蓄音機の電源を落とし、ターンテーブルからレコードを持ち上げる。
ターンテーブルの盤面に落ちた影は、もう怯えた子供ではなかった。
貴雅はレコードをしまうと眠りについた。
未だ消えない音の波の余韻に身を任せながら。




