ナマステ
ナマステ
一駅手前で電車を下りて、歩くことにした。
ダイエット、というよりメタボ対策で、最近気になり始めた血圧をなんとか下げようと、思い腰をあげたというところだ。
いつもは自宅最寄り駅から会社最寄り駅まで急行でさっさと過ぎてしまっていたから、この駅で下りるのは初めてのこと。少々どきどきする。
急行が停まらないくらい小さな駅で、なんだか裏寂れている。ホームも灰色だったものが白茶けたように見える。
改札をくぐるとカレーの良い匂いがした。これはインドカレーだな。
当たりをつけて駅舎を出ると、いかにも目の前にインドカレーの店がある。ガラス窓の向こうでナンを焼いているインド人と目があった。彼はいかにも親切そうに、にこりと笑った。
私の腹がぐうとなる。ムッと湿気をはらんだ空気がカレー臭を運ぶ。こんなに暑い日は、カレーで決まりだろう。
思わず一歩店の方に足を踏み出してしまい、しかし、いや待てと理性に引き止められた。
これから歩くというのに胃を重くしてどうする。それに私はカレー好きだ。きっとおかわりするに違いない。早く立ち去れ。
まったく理性の言う通り。さすがは私のことを四十何年も見ていただけのことはある。
私はそそくさとカレー屋の前を立ち去った。
それから1.5キロの帰り道は、私にとって地獄のようだった。
角を曲がればカレーが自慢のバーがあり、少し進めば喫茶店から欧風カレーの良い香りがし、信号をわたればネパールカレーの店がある。やはりガラス窓の向こうでナンを焼いているネパール人は、にこりと笑った。私はひきつった笑みと大量の汗を頬に浮かべた。
もう、いいではないか。
ここまでよく我慢した。1キロはちゃんと歩いた。それに今日は初日だ。いきなり頑張りすぎても後が続くまい。
理性がすかさず口を挟む。
妻の手料理が待ってるぞ。
私はハッと我に帰った。そうだ、家では妻が晩飯の仕度をして俺を待っているじゃないか。
いつも寄り道して一杯やるから血圧が上がるんであって、まっすぐに帰れば問題はないのだ。
さらば、カレーよ!
私は妻と自分の健康をとる!
私は最後の500メートルを駆けきった。
息を切らして我が家の扉を開ける。ああ、私はカレーに勝った! 勝ったんだ!
その時、台所から妻の声が聞こえた。
「おかえりなさーい、今日はカレーよぉ」
私は負けたのか。がくりと膝をつき、しかし拳はカレーの喜びに天をついた。




