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金の糸 84
フィンランド大使館から出た絢香は元住んでいたアパートに足を運んだ。しかし、五年も行方不明だった絢香の部屋は片付けられ、今は見知らぬ人が住んでいた。
大家を訪ねると迷惑そうな顔をしながらも絢香の貴重品を渡してくれた。置いてあった家電を売った代金としていくばくかのお金も受け取る。絢香は深々と頭を下げて立ち去った。
行く宛はなかった。
寝る場所も、知り合いも、友達もなかった。たったの五年。その空白が、絢香のなにもかもを消してしまった。
バス停のベンチで夜を明かした。
初秋の夜気はつめたく、夜露が粗末な服を濡らした。異形の星の黒い布がほしかった。
膝を抱き、頼れるものもなく、自分の無力を噛み締めた。
翌朝、絢香はこちこちに固まった手足を、うーん、と伸ばしベンチから立ち上がった。
地面は固いアスファルトに覆われている。
アスファルトをスニーカーで踏みしめる。見上げれば銀杏並樹が金色に輝いていた。
前に進もう。
私には足がある。
どこへでも。
行けるところまで進もう。
絢香は朝日に向かって歩き出した。




