金の糸 1
気がつくと見知らぬ場所にいた。
壁も床も天井も白い、ドームのようなところだった。天井から金の糸が何本も垂れ下がり、私の回りを円く囲んでいた。お姫様のベッドようだな、と絢香は思う。
立ち上がり、金の糸に触れてみた。ゆらりとやわらかく揺れたが、その場所に固定されているかのようにすぐにまた元のように垂れた。ぐうっと力をこめて引いてみたが、少し揺れるだけで、また元のようにもどる。糸と糸の間から外へ出ようとしてみたが、腕一本を出せただけだった。
これは檻だ。
絢香は気付き、ぺたりと座り込んだ。
どうして?
ここはどこ?
いったいいつのまに?
疑問に答えは出なかった。ただ、思い出せたのは、大学からの帰り道、暗くなったその道に落ちていた金の糸を拾おうとしたこと。
そうだ、あの糸はこれではなかったろうか?
何かの気配を感じて振り向くと、壁の一部が開いていて、大きな生き物が立っていた。
二本の足と二本の腕、輝くような白い肌。金のたてがみが長く伸びている。絢香の三倍ほどの背丈で、ほっそりとしたその体に薄い桃色の布をまとっている。
人間に似ていたが、人間とは比べ物にならないくらい優しい目をしていた。
その生き物が口を開いた。
「 」
あまりにも醜悪な音に、絢香は思わず耳をふさいだ。生き物は悲しそうにうつむくと手で口をふさいだ。深い悲しみがその瞳をかげらせる。
「あ……ごめんなさい」
思わず口をついた言葉に、その生き物はにこりと笑い、金の糸を掻き分けて絢香に手を伸ばした。絢香は思わず一歩下がったが、その者の優しい微笑みを信じてみたくなった。足を止め、見上げる。
大きな手は絢香の胴をすっぽりと包み込み、軽々と抱き上げた。金の檻の外は身震いするほど寒く、絢香は手足を縮こまらせた。それを察したのか、その者は身にまとった布で絢香をくるんでくれた。
壁の穴から隣の部屋に移る。そこには大きな生き物がたくさんいて、一斉に絢香を見つめた。恐怖が背中をかけ上る。
ざわざわとその者たちが口を開く。絢香は耳をふさぐ。
絢香を抱いたものは口の前に指を一本たてて見せた。周囲から声が消えた。人間と同じアクションに絢香の肩から力が抜けた。
部屋をぐるりと見渡す。ここもやはり真っ白なドームのような場所だった。
部屋にひしめいている者たちは、やはり皆優しい瞳を持ち、皆、絢香に興味があるようだった。
多くの者を見比べてみると、どうやら雌雄があるようで、人間的な感覚から言うと体格の大きな者が男性、小さな者が女性と思える。絢香を抱いているのは女性だ。
その女性が、絢香に向かい口に手を当て投げキッスのような動作をした。
「え、なに?」
周囲から不穏な地鳴りのような声がした。絢香は恐怖に身をすくめる。女性はまた指を一本たてて周囲の声を押さえた。
しんと静まった部屋のなか、女性は絢香にまた同じジェスチャーをしてみせた。
「しゃべればいいの?」
女性は微笑んで頷いた。その微笑みは朝陽のように金色に輝いた。
「……きれい」
女性は絢香の顔を部屋にいる者たちの方へ向けた。
「あの……こんにちは」
絢香の声にすべての者が微笑み、ぱっと部屋が輝きだした。
「ここはどこで、あなたたちはなんですか? 日本語はわかりますか」
絢香の言葉は伝わってはいないようだった。けれど皆が絢香の声をもっと聞きたいと思っていることは肌に伝わってきた。
「私は原田絢香です。日本人です」
女性を見上げると、彼女はやはり投げキッスのような動きをする。それがなんだかおかしくて絢香は、ふふふ、と笑った。
しばらく自己紹介のようなことをぼつぼつと、ひとり喋っていたが、次第にからだが冷えてきて震えだした。
女性は絢香を抱き締めてもといた部屋に戻ると、金の糸を掻き分けて絢香を檻のなかに入れた。
暖かい空気に触れ、絢香の震えが止まる。縮こまっていた手足を伸ばしてため息をつく。
女性が部屋の外に出ていくのを見届けてから、絢香は檻のなかを見渡してみた。
布が何枚か畳んでおいてあり、そのそばにお皿にのったクッキーのようなものと、壺に入った良い香りのする液体があった。
絢香は液体を指につけ舐めてみた。
この世のものと思えぬほどの美味だった。思わず両手ですくって飲む。
甘いような爽やかな酸味があるような、口のなかいっぱいに雲がわき甘露が降り注いだような。
絢香は夢中で液体を飲み続けた。
お腹いっぱいに飲んでしまうと何やらぽわんとしてきた。どうやら緊張が解けたらしい。眠くなってきた。
絢香は柔らかな布にくるまって目を閉じた。
目覚めると、先程の女性が床に座って檻の外から絢香を見つめていた。目があって、彼女はにこりと笑う。
「おはよう」
絢香が言うと、彼女は嬉しそうに首をかしげた。そしてまた投げキッス。
絢香はくすりと笑って、自分のおかれた状況を把握した。
「私はあなたのペットなのね」
金の檻の外、彼女はにこにこと太陽のように笑った。




