うさぎちゃん
うさぎちゃん
「樋川さんって冷たいよね〜」
「血も涙もないみたいな?」
「さすがに血は流れてるだろうけど、泣いたことはないんじゃない?」
きゃっきゃと笑う同僚の声を聞き、樋川礼子は足音を忍ばせて給湯室から遠ざかった。今日は弁当箱を洗うのはあきらめよう。
礼子は溜め息と共に自分のデスクに戻った。
礼子は涙もろい。小さな頃から変わらず泣き虫だ。
けれどそれではいけないと、社会人になる時に、人前では絶対に泣かないと決めた。そのためにいつも自分に気合いをいれ、感情の波を小さくするように努めた。
そうすると眉間に皺がより、無口になり、笑わなくなった。
その反動か家に帰ったら途端に涙がこぼれた。
「樋川さん、大丈夫?」
隣のデスクの池田さほりが礼子の顔を覗きこむ。礼子は自分が泣きそうな顔をしているのかと不安になって、口を引き結んだ。
「なにが?」
涙をこぼさないように堪えて喋ると低い声しかでない。きっとさほりにも冷たい女と思われているのだろう。
「なんか、元気ないみたい」
さほりの労いの言葉に、さらに泣きそうになる。
礼子は口を開くこともできず椅子に座り、さほりから視線をそらした。
外回りから戻ると
『よかったらどうぞ』
小さなチョコレートに付箋紙のメモがついて、礼子の机に置いてあった。
さほりの字だ。礼子はまた泣きそうになって、急いでチョコレートを机にしまって見えないようにした。
横からさほりの視線を感じる。そちらを見ることができない。
けれど、いつも気を使ってくれるさほりにお礼がしたくて、小さなギフトボックスに入ったクッキーを買ってきて、残業を終えて帰っていったさほりの机に置いておいた。
翌朝、礼子は会社を休んだ。さほりがクッキーをもらってくれなかったら、と想像しただけで泣けてきて外にでることができなかったのだ。
次の日、胸が締め付けられるほど緊張して出社した礼子の机に付箋紙が張ってあった。
『プレゼントありがとうございます』
ぽろりと涙がこぼれた。礼子はトイレに走ると思うさま泣き、トイレットペーパーで鼻をかみ、何気ない風を装ってデスクに戻った。
「おはようございます、樋川さん、まだ体調わるいんですか?」
さほりが問うた。
「え?」
「目が真っ赤です」
「や、あの、これはちがくて、大丈夫」
礼子の顔は真っ赤になった。さほりは嬉しそうに笑う。
「樋川さん、話してくれてありがとうございます」
不意打ちの言葉に、礼子の目から涙がこぼれた。
ああ、もうだめだ。
がんばってきたけれど限界だ。
ほろほろと泣き続ける礼子の頭をさほりが撫でてくれる。
その優しさに、人前で泣くのも悪くないな、と礼子は思った。




