インドの虎狩り
インドの虎狩り
宮沢賢治が好きだった。
小さい頃から注文の多い料理店やら風の又三郎やらに馴染んできた。
そんな敬二が、小学校高学年に出会ったのが、「インドの虎狩り」だった。
それが出てくる作品名は「セロひきのゴーシュ」。
未熟なセロひきの主人公は夜な夜なやってきてはセロを弾くことを強要する動物たちのために毎夜毎夜セロを弾く。
ただただ乞われるままに弾いたセロ。ゴーシュはある日突然、楽団でソロを任される。
そこでゴーシュが弾いたのが、「インドの虎狩り」。
実在しないこの曲を、敬二は長い間探し求め、いつかインドの虎狩りを弾くためにとセロを習い。
そうしてインドの虎狩りは見つからないまま、今日もセロを弾く。
クラシック音楽を愛しすぎて自宅に音楽ホールを建ててしまった方の葬儀に出席した。葬儀の間に流れるBGMはもちろんクラシックの名曲。
一ヶ月後にその私設ホールで演奏会を予定していた夫人は敬二に深く頭を下げた。
「若い方の才能のために尽くしたいという主人の意向をかなえてやりたいのです」
若くもないが、敬二は一も二もなく参加を希望した。
その日、何人もの演奏家は故人の好みの曲を演奏した。何曲も何曲も。
出番がやって来て、敬二はセロを抱いてステージに立つ。
弾くのはよく名の通ったレクイエム。今は亡きホストへの哀悼歌。
暖かい拍手をもらい、敬二は楽譜を手に引っ込もうとした。
そこへ。
コツ、コツ、コツ。
床を打つ音がした。
音の方を見やると、老齢の紳士が杖で地面をついていた。
「きみ」
「はい」
凛とした声音に思わず背筋が延びた。
「きみが演奏したかったのは、こんな曲かね?」
ひりりと胸が焼けるような思いがした。
僕は……、僕が弾きたいのは……。
老紳士はまっすぐに敬二の目を見る。敬二はその瞳に虎を見た。
立ち上がったばかりの椅子にかけ、調弦もせずにエンドピンを床にたて、思いきり弓を引いた。
それはまるでゴーシュのように。賢二が書いたような「まるで怒った象のような勢いで」。
ホールに詰めた満員の人々は息をするのも忘れたかのように、しんと聞いた。
ホールには敬二のセロの音だけがごうごうと響いた。
曲が終わってしばらく、音の奔流は身の底までも洗ったようで人々は茫然とした。
拍手。
拍手。
拍手、拍手、拍手。
拍手が渦を巻き、敬二を包んだ。
敬二は老紳士の椅子を見た。そこには遺影が置かれていて、老紳士の愛用だったであろう杖が立て掛けてあった。
「最後のあの曲、すごかったわ。なんという曲なの?」
ホールのエントランスで観客を見送っていると、一人の婦人が感極まったという風情で敬二の手をとり聞いた。
敬二は少し首を捻り、しかしすぐに答えた。
「インドの虎狩りです」
敬二が作曲家としてデビューした日であった。




