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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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僕たちは雨を知らない

僕たちは雨を知らない

「あめ? なにそれ」


「空から水が降ってくるんだ。それもすっごく大量に。そこらじゅう水浸しになるんだぜ」


「なんだよそれ。そんなに大量に水を使えるわけないだろ」


 サボテン畑で果肉を刈り取りながらジョーイとかなめは話し続ける。


「地球ではそれが当たり前なんだって。あの星は表面積の70パーセントが水なんだから」


「地表にそんなに水があるわけないじゃないか。水ってのは地下にほんのちょっぴりしかないじゃないか。だから俺たちはサボテンなんか育てなきゃ……、いってえ!」


 話に夢中になっていたかなめがサボテンの棘で指先をついた。ぷくりと浮き出た血を舐めとる。


「お前、またやったのか。へたすぎ」


「うるさいな! ジョーイが変な話するからだろ」


「変じゃないさ。本当のことだ。地球では蒸発した水分が空に浮かんで白くなったり、雨ってやつが終わったら空に七色の橋がかかったり、気温がすっごく下がって水が固体になったりするんだって。曾爺ちゃんが言ってたんだ。うそじゃない」


 かなめは唇を突き出し、棘を抜いたサボテンを背負っているカゴに放り込む。


「曾爺ちゃんが言うならそうなんだろうけど……。そんなの僕たちには関係ないだろ」


「あるさ! P−3ドームで雨を降らす実験をやるんだって! なあ、見に行くだろ!?」


「なにそれ、そんな沢山の水使ったら、あっという間に水が枯れてなくなるじゃないか!」


 ジョーイはカゴを赤茶けた砂の上に置いて身振りを交えてかなめを説得する。


「地下水を使うんじゃないんだって! 酸素と水素を化合させて空中で水を生成するんだ。科学の授業で習っただろ?」


「でも……そしたら酸素が足りなくなるんじゃないか?」


「その実験のためにP−3にはここの4倍のサボテンが育てられてるんだってさ。酸素が豊富なんだ」


「へええ。すごいんだな」


「なあ、行こうぜ。雨、見たいだろ?」


「そしたら俺、水筒持っていくよ。落ちてきた水を持って帰る」


 ジョーイが目を見張る。


「お前、かしこいな。俺もそうする!」


「で、その実験っていつ?」


「明後日の地球が丸くなる日だって。夜で気温が下がった時に始まるって」


「夜か。寮を抜け出す方法を考えないとな」


 ジョーイとかなめはカゴを放り出し悪だくみを始めた。

 


 二人が寮に戻ったのは日が暮れかけて寒くなってきたころ。防寒服を着こんでいなかった二人は走って戻ってきた。寮監のリッチモンドが玄関で二人を出迎えた。


「遅かったな、サボテン当番。またサボってたんだろ」


「かなめが指に棘さしまくるから時間がかかったんだよ」


「そんなに刺してないだろ!」


「ぶっすぶすぶすぶす刺しまくりだったぜ」


 二人はぎゃあぎゃあと言いあいを始める。リッチモンドが溜め息混じりに二人の頭をつかみ、離させる。


「はいはい、もういいから、お前ら食堂行け。飯がなくなるぞ」


 二人が背負ったカゴを受け取り、リッチモンドは倉庫へ歩いていく。その後ろ姿を確認して、二人はこっそりと寮監室に忍びこむ。カギ置き場からマスターキーを抜き取ると、寮を抜けだし学舎に駆けていく。

 今度は美術室に忍び込み、紙粘土でマスターキーの型をとった。ジョーイがその型を乾かしている間にかなめが寮監室にカギを返しに行く。ラッキーなことにリッチモンドはまだ戻っていなかった。かなめは食堂に向かうと、ジョーイの分と二人分の食事を確保して隅の方に席をとった。もう大半の寮生は食事を終え部屋に戻っているようだった。


「かなめ、遅かったな。ジョーイは?」


 ジョーイと同室のルカがデザートのナツメヤシを頬張りながら近づいてきた。


「ちょっとね。ねえルカ、お願いがあるんだけど」


「なんだよ、また悪だくみか」


「えへへ。そう。明後日の夜なんだけどね、寮を抜け出したいんだ」


 ルカがぽかんと口を開ける。


「おっまえ……。そんなことして、寮を叩きだされたらどうすんだよ! 俺達ここにしか居場所ないんだぞ!」


 かなめは口の前に指を立てる。


「しいっ! 他のやつらにばれる!」


 ルカは頭をがりがりと掻いて、深い溜め息を吐く。


「止めてやめるようなお前らじゃないよな。で? 俺にどうしろって?」


「寮監の点呼を誤魔化して欲しい」


「むり」


「そこをなんとか! いつもの声真似で!」


「あんな一発芸でリッチモンドを騙せるかよ!」


「できるって、ルカなら。ほんとにジョーイそっくりだもん」


 ルカはかなめの顔にぐっと顔を近づけると、凄みのある声で言う。


「ばれても責任とらねえぞ」


「もちろん。責任は僕たちがとる」


 ルカはまた溜め息をつくと、手をひらひらと振りながら去っていく。


『じゃあ、明後日な』


 ジョーイそっくりな声で言いながら。




 翌日、二人は美術室で、乾いた粘土に針金を仕込み石膏で固めてカギを複製した。


「これでちゃんと開くかな」


「やってみるしかないだろ。P−3までトラムで30分だし、一時間半で戻ればもしかしたら点呼に間に合うかもしれないんだし」


「そうだね。賭けるしかないね」


 二人は顔を見合わせてにやりと笑った。二人とも根っからのいたずらっ子で、叱られる事なんかは日常茶飯事。たとえ宙航士育成学校をクビになって孤児院に行くことになっても、やりたいことを諦めるつもりはない。


「明日、午後八時。俺の部屋の窓から出発だ」


「うん! がんばろう!」


 二人はがしっと手を握り合った。





「今日は大人しいな、かなめ。またなにか企んでいるのか?」


 朝食の席で、かなめと同室のシュウがからかうような口調で聞く。かなめはだるそうに口を開く。


「僕、今日具合悪い……。ってことにしておいて」


「なんだ、サボるのか」


「うん。一日寝込んでたことにしたいんだ。それで今夜、寮を抜け出すから」


「なるほど。雨を見に行くのか」


 シュウは面白そうに頬を緩め、小声でつぶやく。かなめは目を見張る。


「なんでわかったの?」


「お前たちの考えてる事をあてるなんて簡単すぎるさ。それで俺はお前の看病をすればいいわけだな」


「うん。お願い」


「わかった」


 シュウは立ち上がると、かなめの腕を引き、立ち上がらせた。そのまま肩を貸し部屋へ向かう。


「おーい、どうした、シュウ」


 寮長が遠くから声をかける。


「具合悪いようなので部屋へ連れていきます。授業も休ませます」


「そうかぁ。先生には俺から言っておくよ」


「お願いします」


 優等生のシュウの言葉を寮長もリッチモンドも疑わなかった。ジョーイとかなめの悪だくみの三割は、陰にシュウの存在があることは、まだ誰にもばれていない。

 

 かなめは一日中ベッドの中で雨について考えていた。

 空から大量の水が降ってくる。いったいどんな感じなのだろう。空を向いて口を開けたら水が飲めるだろうか。頭の上に水が落ちるのだろうか。コップの水を頭からかぶることを想像してみる。けれど貴重な水をそんな風に使うことなど考えられず、頭から砂をかぶる感覚が蘇っただけだった。


「ねえ、シュウ。雨ってどんな感じだろう」


「さあ。経験したことないことを想像しても無駄だろうな。とくに気候のことは。俺たちはドームの外の極寒もまだ知らないんだ」


「そうだね……。ほんとに世界には知らない事だらけなんだね」


「だから、今夜はしっかり体験して来いよ。後悔しないようにな」


「うん!」


 かなめは明るく返事をすると、また布団にもぐりこむ。シュウは静かに読んでいた本に目を戻した。




 かなめは昼食も夕食も食べずに部屋に籠っていた。


「大丈夫か、かなめ」


 シュウが食堂に行っている間に、リッチモンドがお粥を持って部屋を訪ねてきた。


「……うん、だいぶ良くなったよ」


「そうか。食えるようならこれ食っておけ。そうだ、それからな」


 リッチモンドがかなめの顔をじっと見つめる。頭の中まで見透かされている気持ちになって、かなめは冷や汗をかいた。


「俺も今日は体調が悪いんだ。これから一眠りしようかと思ってな。点呼はいつもより30分くらい遅れるかもしれないな」



 そう言い残すと、リッチモンドは静かに部屋を出ていった。


「……ばれてる」


 かなめは呟き、くすっと笑った。リッチモンドは30分なら点呼に遅れても見逃してくれると言ってくれたのだ。急いで帰ってくれば、なんとか間に合うだろう。病人には量が多いお粥を頬張りながら、かなめは嬉しくて踊りだしそうだった。




「じゃあ、ルカ。行ってくる」


「ああ、気をつけてな」


 ジョーイとかなめは一階にあるジョーイの部屋の窓から外に出て、寮の裏の林を抜け駅へ走った。夜だと言うのに駅は人であふれ、トラムは大混雑していた。


「みんなP−3に向かうんだね」


「見逃す手はないもんな。なんせ大量の水だからな」


 ぎゅうぎゅうと人と人の間に挟まれてジョーイとかなめはぺちゃんこになりながらP−3の中央駅にたどりついた。実験場がどこにあるか知らなかったが、人々は皆一方向に向かって歩いていく。二人もその人波に乗った。初めて見るP−3はいたるところに青々としたウチワサボテンが植えられ、二人が住むK−4よりも空気が甘いように感じる。これが酸素が多いということなのだろうか? かなめはなんとなくいつもよりも体が軽くなったように思った。

 しばらく歩くと、ぽっかりと広いサボテン園に出た。すべてのサボテンが刈り取られた直後のようで、切り口からみずみずしい果汁が溢れている。ジョーイは座りこむと、その果汁を手ですくい、啜っている。かなめも真似をしてみる。いつもなら大事に飲みこむ果汁だったが、今日はその魅力は半減したようだった。これから水を見る事ができると思うと、サボテンの果汁は薄っぺらな味に感じた。


 広場の中央に置かれたごつい装置を、白衣を着た数人の人がとり囲み、何やら操作を始めた。しばらく眺めていると、装置の中央、長くのびた筒から『ぼん!』という音と共にカプセルが飛び出し、ドームの天井に向けて飛んでいった。カプセルは空中で四散すると、ひらひらと紙のように舞い落ちてきた。その破片が地面に落ちた頃、天井見上げていたかなめの頬になにかが落ちてきた。驚いて指ですくってみると、それは水だった。かなめは知らぬ間に自分が泣いたのかと思い目を拭ってみたが、そこに涙はなかった。


「……あめ?」


 かなめの声にジョーイも上を向く。


 ぽつ、ぽつ、と顔に当たるものがある。ジョーイも指ですくってみた。指を舐めてみる。それは間違いなく水だった。


「雨だ!」


 ジョーイの叫びが契機になったかのように水はぽつぽつぽつぽつと次々顔に降り注いだ。わあっと歓声が上がる。人々は宙にむかって手を伸ばし、水に触れようとする。水はその手をくぐり抜け、顔に、体に降り注ぐ。二、三分もすると、服が濡れて肌に張り付き、重く感じた。

 しかしだしぬけに、水はぴたりと落ちて来なくなった。


「……おわり?」


「終わったのか?」


 二人がきょろきょろとあたりを見回すと、白衣の男が拡声マイクで話し始めた。


「お集まりの皆さま、おかげさまで実験は成功です! 本日、雨は見事に降りました!」


 人々から不満の声が上がる。もっと水を見ていたかったと言う女性、こんなちっぽけで成功だなんてと言う男性。ジョーイは唇を尖らせて言う。


「そうだよな。そこらじゅう水浸しになるのが雨だもんな。実験は失敗じゃないか」


「でも……、水は本当に降ってきたよ」


「あんなの、ただの水だよ。雨じゃない。ちぇ。せっかく来たのにな。もっとすごいんだと思ってたのに」


 ジョーイはかなめに背中を向けると駅へと歩き出した。かなめは肩を落としてついていく。帰りのトラムの中、二人は無言で下を向いていた。



「お帰り、かなめ。間に合ったな」


 部屋に入るとシュウが出迎えてくれた。


「……ただいま」


「その様子じゃ、雨は降らなかったみたいだな」


 かなめは小さく笑って見せる。


「めずらしい。外れだよ、シュウ。雨は降ったんだ」


 シュウは首をかしげる。


「じゃあ、どうしてそんなに落ち込んでるんだ?」


 かなめはからっぽの水筒を机に置く。


「僕たちは何を見たんだろう。たしかに雨は降ったのに、あれっぽっちじゃ全然満足できないんだ。もっともっともっとって、本当は何を求めてるんだろう」


 シュウはかなめの頭にぽんと手を乗せ、ぐりぐりと撫でた。


「人は欲深いものだよ。いつだって満足なんかできないんだ。だから人間は宇宙に飛び出したんだ。これからもきっともっと遠くに行く。けれどここで体験したことは、ぜったいに忘れない。そうだろ?」


 かなめは乾いてしまった服の裾を引っ張る。肌に張りつき重くなった布の感触を思い出す。頬に当たった水の感触を。


「実験は、来月また行われるそうだよ。その時は水筒に水を汲んで俺にも見せてくれるだろ?」


 かなめは驚いてシュウの顔を見上げる。


「お前たち、まだ雨に満足してないんだろ?」


 シュウはにっこりと笑う。そうだ。僕たちはまだ満足なんかしていない。いつでももっともっと知りたいんだ、いろんなことを。かなめは満面の笑みでうなずく。


「そうだよ、僕たちはまだ雨を知らない!」


 少年たちの冒険はいつまでも続く。

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