春の曲
春の曲
一 鶯の 谷よりいづる 声なくば
春くることを 誰か知らまし
二 深山には 松の雪だに 消えなくに
都は野辺の 若菜つみけり
三 世の中に たえて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし
四 駒なめて いざ見に行かん ふるさとは
雪とのみこそ 花の散るらめ
五 わが宿に さける藤なみ たちかえり
すぎがてにのみ 人の見るらん
六 声たえず なけや鶯 ひととせに
ふたたびとだに 来べき春かは
さやかの手は美しい。千早はいつも筝曲に乗せてひらめくさやかの指先に、うっとりと見いる。
姉弟子達の滑るような足取りも、ひらめく扇も、彼女の前では輝きを失う。その美しさは女神のようにきらめく。
「冷えるわね」
さやかの声に振り替える。暦の上では春とはいえ、寒の戻りかここ数日は北風が厳しい。
さやかは稽古着の小紋の上に桃色の肩掛けを羽織り、窓のそばに寄ってきた。千早と肩を並べ、外を眺める。その横顔も美しい。
「私ね、お稽古やめるの」
さやかの言葉に千早は下を向く。知っていた。その話を師匠にしているところに行き合ってしまったから。
「お嫁にいくの」
千早の胸にちくりと痛みが走る。
「遠くにいくけれど、お友だちでいてね」
千早は顔をあげ、笑って見せる。けれどその目には涙があふれた。さやかは千早の涙に指先でそっと触れた。しっとりと、ひんやりとした指先に千早は目をつぶり、その感覚を味わった。
「千早は泣き虫ね」
さやかは千早の頬を撫でると稽古場に戻っていった。
千早は窓の外を見る。真っ赤な椿がぽとりと落ちる。春だというのに、この寒さは……。
一人、肩を抱いた。




