あの家
あの家
昔から人には見えないなにかが見えた。小さい頃はそれが当たり前で、みんな口に出さないだけで見えているんだと思っていた。
祖母の家に住んでいたことがある。
都会のビル郡の中にポツリと取り残された一軒家。日照権なんて言葉がまだない時代。その家は昼日中でも薄暗かった。
「美代子、それと口を利いてはいけない」
ある日、タンスの後ろから伸びてきた手に向かって話しかけていた私に、祖母が言った。
「それらは影に生きているの。連れていかれてしまうよ」
祖母はある日突然、姿を消した。なんの前触れもなく、なにも持たず。
しばらくして、両親は祖母の家を売り払い、田舎に引っ越した。
祖母の家を出る日、玄関先に祖母が立った。
両親は気づかない。私は言いつけ通り祖母と口を利かなかった。祖母は繰り返し繰り返し言った。
「父親が殺した」
私は知らんふりをして祖母の横を通りすぎようとした。
「おまえも死ぬよ」
小さかった私には死というものがよくわからなかった。今ならわかる。
影になった今なら。
私はタンスの影にひそみ、その時を待っている。私のように影を見るものを。そのものが私に話しかけることを。
私は呼びかける。私のかわりに生まれた命に。小さな小さな命に。
「おまえも死ぬよ」
と。




