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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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さよなら。大輔。

さよなら。大輔。

私には兄がいる。

兄はうまれたときから死んでいる。


私がものごころついたころにはすでに、家にぶよぶよした腐った赤ん坊のようなものがいた。そのことを母に話すと泣き崩れた。それはきっと私の兄の「大輔」だという。

流れた赤ん坊。生まれなかった肉塊。

私はそのぶよぶよを「大輔」とよびはじめた。それ以来、大輔は私と共に育ちはじめた。

初めは弟ができたみたいでうれしかった。母に大輔の話をするといつも泣いてしまうので、こっそり二人だけで遊んだ。私が大好きなおままごとに、大輔はいつもにこにこと付き合ってくれて、私が作った泥団子を食べるふりをしてくれた。

「さと子、誰と遊んでるの?」

「ひみつ!!」

そんなやり取りで親が納得していた、なんとものんびりした時代。

私と大輔はそんなときに生きた。


私が初潮を迎えた日。下腹部が激しく重く痛む。トイレに向かっていく廊下に、大輔が半分すけた姿で立っていた。

大輔の体が変だ!?

なにがおきたかわからぬ私はかけより、その腕をとろうとして空をつかんだ。


そうだ。

大輔は死んでいたんだっけ。


大輔がいる毎日があまりにもリアルだったから、私は忘れていたのだ。


「さと子?どうかしたの?」

「なんでもない!!」


廊下の向こうからかけられた母の声に叫び返して部屋に駆け込み、ベッドに突っ伏して泣いた。


それ以来、私と大輔は離れて過ごすことが多くなった。

私は学生生活に忙しく、大輔はなにやら知らないが、一人で外出することが増えた。

そのころから、大輔は私の背をどんどん追い越し、それと同時にどんどん透けていった。

私が社会人になったころ、とうとう大輔は見えなくなった。

気配はある、大輔の気配。

私は何の姿も見えない闇に向かって話しかける。

「大輔」

耳には何も届かない。


気配がふえた。

大輔ともうひとり。リビングのソファにふたり並んで座っていることがふえた。ずいぶん仲睦まじいようだ。

しばらくすると気配がもうひとつふえた。ソファに座ったふたりに抱かれた、もうひとつのちいさなちいさなけはい。



母が泣き崩れた。私が子供を埋めない体だと知って。

先に泣かれてしまった私は、遣る瀬ない気持ちの行き場をなくし、リビングに呆然と立ち尽くした。

ふと、気配が動いた。大輔がおいでおいでしている。ソファに近づくと大輔は私に何かをさしだした。両手を出してうけとめる。

おもかった。

あたたかだった。

どこからかミルクのかおりがした。

やわらかく、たよりなく、けれど力強く。

両手に伝わる震えは、生命を謳うよろこび。

私はその震えに共鳴して、泣いた。


大輔とはそれ以来、会っていない。

ある日、みっつのけはいが玄関から出ていき、それっきり。

それっきり、会っていない。


私は反芻する。あの腕の重みを。

私が無くした未来の重みを。

知り得なかった幸福を。

そうしてひとり密かに空を見上げる。

この空の下どこかで、みっつのけはいがしあわせに、

幸せに生きていますように、と。

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