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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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ニュース19:00

ニュース19:00

「おおっとお! 間にあったあ!!」


 元香がリビングにスライディングしてきた。


「おかえりー。間一髪だったわね」


 母は煎餅を齧りながら頬杖つきでふりかえりもしない。いつもの綾部家の夕景である。

 女子高校生で帰宅部という最強スキルを兼ね備えた元香は、学校が終わればすぐに帰ってきてテレビを見ながら煎餅三昧、というのが長い間の習慣だったのだ。が。


「今日も橋詰くんを振りきってきたわけ?」


「もちろん! 私にはニュース・ナインティーンがあるんだもの!」


 元香は芝居がかったガッツポーズをきめる。


「橋詰君も、まあなんで、あんたみたいなのを気に入ってくれたやら」


「なんでって、才色兼備、深窓の令嬢、立てば芍薬座れば牡丹のわたくしに惚れないってのがおかしいざんす」


 制服をその場にぽいぽいと脱ぎ棄てて、テレビの前に胡坐をかく。


「こーら。はしたない。脚を閉じるか、服を着るか、両方かにしなさい」


「大丈夫! テレビの人からはこっちは見えませんから」


「知ってるわよ!」


 母は手近にあったタオルを元香の頭に投げる。元香は胡坐のままでそのタオルを首から下げる。母は深い溜め息をつく。


「もう、少しはおんならしく……」


「しいっ! 始まる!」


 元香は真剣な表情で画面に釘づけになる。こうなってしまうと後ろからなにを言っても全く聞こえない。一度、近くに行って耳をふさいでみたことがあるが、そのときも微動だにせず画面を食い入るように見ていた。


 「ニュース・ナインティーン」はたしかに、テレビ茅島の看板番組だ。が。

 テレビ茅島は地方の小さな町のコミュニティーケーブルテレビなのだ。看板と言っても、隣の魚八の創業百八年を越えた看板の方が重たいに違いない。と母はいつも思う。それをここまで熱心に視聴する人間、それも女子高生がこの茅島町に何人いるだろうか、と首をひねる。

 母はいつも通り首をひねりながら、いつも通り台所に立ち夕食のしたくを始めた。


「いよっ、出ました! まみちゃん、にっぽんいちぃ!」


 テレビの前で元香が囃したてる。彼女お気に入りのお天気お姉さんの出番の時間だ。この掛け声も毎日のことなので、母は気にもとめず淡々と調理を続ける。

 元香が声をあげたら19時26分だ。キッチンタイマーをかけておくより確実だ。


「ああ。今日もまみちゃん可愛かったあ。明日は午前中晴れ、午後雨、降水確率40%だよ~ん」


「はいはい」


 母は適当に相槌を打つ。元香は毎日、翌日の天気と一週間の予想天気を暗記しているので、忘れたらまた聞けばいいのだ。

『毎日暗記してるんだから、一週間予報の正答率を計算してみたら?』と聞いてみたら烈火のごとく怒り「まみちゃんの天気予報ははずれない! 外れたっていう人がいたら、その人の記憶違いのせいなんだから!」と言い張った。


「こらー。足閉じるか、服着るか、タオルかぶるか、全部かにしなさ―い」


 元香はあいかわらずテレビの前に座ったままだ。が、テレビの電源は落とす。すぐに元香のスマホからなにやらピコピコ言う音が鳴った。


「うん。そう。うん……」


 橋詰君からの電話だわ、と母は軽くため息をつく。毎日毎日、橋詰君はニュースが終わる時間きっちりに電話をかけてくれて、夕食の邪魔にならないように30分で通話を終了する。今時感心な良い少年だ、と母は心の中で橋詰少年を褒め称え、けれど同時に憐憫の情を抱く。

 通話受信者の元香がオッサンかと見まがうスタイルでだるそうに電話に向かい、返す返事は「うん」「そう」「ああ」「さあ」「そうじゃない」「ふうん」etc.etc……。

 きっと電話の向こうでは橋詰君は頬を赤く染めクッションでも抱きしめながら話しているのだろうに……。


 憐憫の情が覚めるのと、夕食が湯気を上げ終えるのがほぼ同時だった。


「うん。じゃあ、明日。あい」


 そして同時に通話も終わる。母は可哀想を通り越して感動の域に達した。


「ねえ、元香。あんたどうして橋詰君とつきあってるの? どこが好きなの?」


「橋詰、まみちゃんのファンなの」


「……は?」


「まみちゃんファン同士だから」


「……」


 母は本当に、本当に、橋詰少年のことを憐れに思う。橋詰少年が野球部の練習を早引けしてまで元香に電話してきている事くらい、母にだってわかるというのに。


「元香、明日、橋詰君の分もお弁当作るから、持っていきなさい」


「ん。あとでLINEいれとく」


「ちゃんと電話して話すのよ!」


「へ? なんで?」


「いいから!」


「あーい」


 これで少なくとも娘から少年への言葉が「明日」「お弁当」「なしで」の三語までは増えたということに、母はちょっぴり胸のつかえがとれたような気がした。

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