孤独のサヴァン
孤独のサヴァン
「僕たちが初めて会ったのは1976年6月15日午前11時28分だった」
その男は静かな口調で語り始めた。
「僕たちはそれから34分間話し、僕は12時18分に岡田脳神経科を出た。その後12時20分のバスに乗った」
男はどこか遠くを見つめているのか、視線はうつろだった。
「その次に僕らが出会ったのは1976年7月10日。岡田脳神経科に入ったのは午前8時53分、君が入ってきたのは午前9時ちょうど。僕が岡田脳神経科を出たのは午前9時38分だ」
「それで、私達は何を話したんだっけ」
男はうつろな視線のまま私の方を向いた。男の目に私が映っているのかどうか私にはわかりかねた。
「話をした?」
「そう。私達は会うと必ず何かについて語り合っているはずだ。それを思い出せるかね?」
「語り合っている?」
「思い出せないかな」
「思い出す?」
「君はサヴァン症候群という疾患で日時を忘れないという症状がある。そうだね」
「サヴァン症候群という言葉を初めて聞いたのは1976年6月15日、午前11時45分だった」
「そうだね」
私はカルテに記載された初診日の日付を確認する。彼の記憶はいつでも正しい。ただ、彼にとってその日付が何かを意味しているのかどうかはわからない。彼は時計のように正確に時を告げ、私はそれを書き留めていく。
「前回、君と野球の話をしたね」
「僕たちが野球の話をしたのは最初は……」
「前回のことだよ。2015年1月15日だ」
「2015年1月15日、僕たちは読売巨人軍とヤクルトスワローズの2014年9月の……」
こうやって話していても、私は空虚さしか感じる事ができない。彼にとって重要なのは日時だけで、それ以外のことは瑣末なことだとしか思えないのだ。きっと彼は私のことも、日時に付随するちょっとしたメモくらいにしか思っていないのだろう。では彼にとって、人間とは何だろうか。
彼は一人で生きることが困難だ。日時以外のことについて会話することがほぼない彼は、一人で買い物することも、一人でバスに乗ることもできない。いつでも母親がいっしょにいて介助している。今も彼の隣には彼の母親が座っていて、じっと話を聞いている。
けれど彼には母親が隣にいることすら理解できていないのではないかと思える。
1976年から彼との付き合いも39年にもなってしまった。当時幼稚園に通っていた彼もすでに壮年と言える年齢になっている。私はそろそろ引退を考えていて、彼のことを他の医師にまかせねばならなくなる。一抹の寂しさを覚えた。
「君は、私のことをどれくらい知っているかな」
「1942年2月20日生まれ。医師国家試験に合格したのは1968年3月18日。医院を開業したのは……」
「違うんだ」
私は思わず彼の言葉をさえぎった。彼は私の顔を、やはりどこか遠くを見るような視線で見つめる。
「私は君のことを知っている。生年月日も、初診の日付もわかる。けれど人間と言うのはそういうことじゃないんだ。私は君と39年間語り合った。君が小学校に入学したこと、遠足で野原に行ったこと、修学旅行は奈良に行ったね。初めて女の子と手を繋いだのは中学生のフォークダンスの時。君は赤い顔をして話してくれた。君の成長を、私はずっと見ていたよ。それは大切な思い出だ」
「思い出」
「そうだよ、思い出だ」
私は彼の両手を握る。あたたかいその感触に、涙が出た。
「君は誰かと思い出を語り合う日が来るのだろうか。友と呼べる人と。愛する人と」
「愛する人は1943年4月1日に生まれた」
彼の母親が小さく息を吸った。
「成人したのは1963年4月1日。結婚したのは1965年9月20日」
「……理人」
「僕を生んだのが1972年6月21日」
「君は……君は……誰を愛しているのかね」
「おかあさん」
彼の母親は彼の肩を抱き、静かに涙を流した。私はカルテにいくつかの言葉を書き記し、彼のために次の病院への紹介状を書いた。
そこには次のように書いておいた。
「患者はサヴァン症候群であり、日常の会話は平坦である。けれど豊かな心を持っている。貴殿と心通じあえる日が来ることを願っている」




