カミキリ
カミキリ
「失恋したの?」
「はあ!?」
鏡のなか、俺の髪を弄びつつオカマが戯言を吐く。
「だって、こんなに美しい黒髪をバッサリいっちゃうなんてさ」
「うっさい、オカマ! 美しいとか言ってんじゃねえ!!」
俺の襟足のあたりの髪をくりくりと指で弄ぶ。
「だあ! 弄んでんじゃねえ!」
オカマは片手を口の前に手のひらをたて(小指もたて)る。
「やだ! 弄んだりしてないぃ。髪のコンディションを見ているんじゃなーい」
「見るなよ!」
「見なきゃ切れないわあん」
「切るなよ!」
つい口をついて出たが、俺は髪を切りに来たのだった。オカマでさえ呆れた顔で見ている。
「切らなきゃ切れないじゃなーい?」
人の神経を逆撫でする言いぐさに、しかしぐっと言葉を飲む。
「失恋でないなら、五分刈りじゃないわね」
「失恋でも五分刈りにはしねえよ!」
「しかたないわねえ。じゃあ、どんな髪型にしたいの?」
ぐっと言葉につまり、俺はつっかえつっかえ声を出す。
「……も、もっ、もて髪……」
「ええ!? なんだってえ!?」
オカマがわざとらしく声を張り上げる。俺はガッと顔を赤くしながら叫ぶ。
「わかってながら知らんふりすんじゃねーよ! 切るのか!? 切らねえのか!?」
オカマは、ふうとため息をつく。
「切りますわよ。お仕事ですもの。それで? もて髪って具体的にどんな?」
「し、しらねーよ! なんかあるんだろ? 雑誌とかに特集されてるさあ!!」
オカマはさらにふうとため息をつく。
「そんなの。今月はロング。来月はショートボブ。決まったもて髪なんてありえないよ」
俺はぐっと言葉につまり、握った拳を収めた。
「……みたいな……」
「え? なに?」
オカマが耳に手を当てておおぎょうに聞く。
「!! お姫様みたいにしてくれ!」
俺が真っ赤になって懇願すると、オカマがふっと笑う。
「どこの王子さまに会いに行くのかな?」
「う、うっせえよ!!」
オカマが俺の髪をさらりとはらう。
「かるくウェーブをかけて、エアリーにしてみよう。あなたのベビーフェイスに愛らしさがでると思うよ」
「っ!! こどもみたいって言うなよ!」
オカマがふっと笑う。
「言っていないよ。いつのまにか君も立派なレディになっていたんだね」
「レディとか言うなよ……」
「チョコレートを渡す相手がいるのかな?」
俺……いや、あたしは。真っ赤になった顔を伏せてむっと口をつぐんだ。
「OK。まかせろ。最高の美人にしてやるよ」
オカマ……いや、甲斐はあたしの短い髪にカーラーをつけていく。
その手が耳に、首に触れるたび、あたしはぴくりと身を揺らす。
甲斐はそんなこと知らぬげにさっさと仕事を終わらせて、ほかの女性客の髪を切りにいった。
あたしは未練がましくその後ろ姿を見送った……。
カーラーをはずされ、軽くドライヤーをかけられた髪はふわふわと女子っぽく揺れる。
「毎朝のスタイリングはね、ワックスを軽くつけてこうやって」
甲斐の指先があたしの髪の先をつまんで捻る。
「形をつけてあげて。それだけでかっこよく……いや」
甲斐はぽんとあたしの頭に手を置く。
「かわいくなるよ」
会計をすませ鞄を受け取り、店をでる。
「じゃあ、愛ちゃん。バレンタイン、うまくいくといいね」
甲斐はひらひらと手をふる。
あたしは甲斐と地面の上に視線を往き来させ、しばらく地面を見つめた。
「愛ちゃん? どうかした?」
あたしはかばんからラッピングしたチョコレートをとりだすと、甲斐にむかって投げつけた。
「食らえ!!」
そうして後ろも見ずに駆け出した。
甲斐がその時どんな顔をしていたのか、あたしが知るのは、それから1年。
あたしの髪が肩を越えたころだった。
「失恋したの?」
「……なんで?」
あたしは鏡を見ずに聞き返す。
「こんなに綺麗にのびた髪を切っちゃうなんてさ」
オカマがあたしの髪を弄びつつ喋る。
「……失恋……したのかな」
「……どうかな」
あたしは顔を上げて甲斐の顔を見る。
「切った方がいいと思う?」
オカマがあたしの髪をさらりとはらう。
「かるくウェーブをかけて、エアリーにしてみよう。肩にかかる髪が、かわいくなるよ、俺のお姫様」
あたしは真っ赤になって下を向いた。