酔いもせず
酔いもせず
仕事中、ふと顔をあげ、ガラス越しに見た事務所の中に、
聡子は、自分の理想の男性が服を着て歩いている姿を目撃した。
ぼーっと、見つめていると、その男性は、一通りの挨拶周りを終えたようで、事務所から出て行った。
作業を止めていたことに気づき、急ぎ、仕事に戻る。
聡子は工場で、電気機械組み立ての仕事をしている。
週休二日。福利厚生ばっちり。残業ほとんどなし。
申し分ない職場だった。
今までは。
聡子は、事務所内で事務の仕事をしていれば、今の男性と知り合えたものを…と、くやしく思っていた。
4月の異動で、上司がごっそりと入れ替えられた。
大会社特有の、仕事の実績を省みない、異動。実務に長けた上司がいなくなることに、同僚は不安を隠しきれない。
しかし、聡子はひとり、うきうきしていた。
新しく赴任する上司の一人、島野課長が、聡子の理想の君だったから。
着任から2ヶ月、上司の仕事ぶりも、聡子の理想どおりで好もしい。
課長は一生懸命に励むが、どこか抜けていてミスもする。しかし、絞めるべきところはきちんと絞める。が、笑顔を忘れない。
聡子は、毎日、課長の顔を見ることができるだけでウキウキした。
しかし、事件が起こった。
というより。聡子が起こした。
新入社員の歓迎会の二次会。
上司と新入社員、出世頭の同僚たちは、スナックへ。
バイトとパートと、出世を嫌い契約社員に甘んじているものはカラオケボックスへ。
別れてしまったのだ。
聡子は、カラオケボックスへ連行された。
課長は、スナックへ。
同僚が楽しそうにカラオケを歌っている間中、聡子はぶつぶつ文句を言いっぱなしだった。課長と一緒に行きたかったのに。
それをずっと聞いていた同僚が、聡子の携帯を奪い、電話番号を入力する。
「そんなに言うなら、かけたらいいじゃないですか。課長をここに呼べばいい」
そういう同僚から携帯を受け取り、聡子は逡巡した。
酔いに任せて、流されてみようか。
しばし、考え、聡子は携帯の番号を消した。
「大丈夫。仕事でがんばって、かまってもらうから。ありがとね」
そういうと、同僚は肩をすくめた。
「あれ。つまんない。現実って、こんなもんですかね」
そう、こんなもんよ。と、聡子は、自分自身に言い聞かせた。