無くしたものだけが光輝く
無くしたものだけが光輝く
手術が終わり、病室へ移されても、しばらく麻酔が覚めず、ふわふわと雲の中を漂っているような感覚がしていた。
切り開かれた腹部に、直接、布団が触れないように、ギブスがつけられている。その上に両手を置き、窓の外を見るともなく見る。
青い空に、ぽかりぽかりと雲が浮かんでいる。
真ん丸くて、さっき見せてもらった、自分の子宮の形と似ているな、と思う。
子宮筋腫があることは、5年ほど前からわかっていた。
定期的に検査に通うよう、婦人科医から言われていたが、仕事の忙しさにかまけて、すっかりご無沙汰していた。
突然の大量出血で倒れるまで、こんなにひどくなっていたことに気づかなかった。
子宮の周りに、びっしりと筋腫が張り付き、通常の子宮の大きさの二倍ほどになっていた。
毎月、苦しんでいた生理痛が、もう来ないのだと思うと、嬉しいはずなのに、寂しさがこみ上げる。
からっぽの下腹部に、なにかとてつもない失敗をしてしまったような感覚が詰まっていた。
「和子、目が覚めた?」
病室のドアを開け、母が入ってきた。
「よかったねえ、無事おわって。これで、もう、安心だね」
母に、うなずいてみせる。
口の中がからからに乾いていて、ものを言う気になれない。
「太田さんが来てくれてるよ。会えそう?」
私は、すぐにうなずく事ができなかった。けれど、会って、話しておかなければならない。
母は彼を部屋に案内すると、気を利かせて
「ロビーでテレビを見てくるわ」
と言って出て行った。
「大丈夫?痛む?」
ベッドのそばの椅子に腰を下ろし、誠一さんが言う。
私は首を横に振る。
「そうか。手術、上手くいったそうだね。おめでとう」
私はうなずき、そのまま、下を向いてしまう。
これから話そうとしていることを考えると、とても、誠一さんの目を見ることができない。
「ごめんね…私、病気を甘く見てたみたい」
喉も口も乾燥して、声がかすれている。
「謝ることはないよ。けど、あんまり仕事ばかりじゃなく、これからは、健康にも気を配らないとね」
「うん…。ごめん」
私が口ごもると、彼は優しくほほえんで待ってくれる。
いつも、そうだ。
私はいつも、彼を待たせている。
一緒に暮らそう、と言ってくれたのに、仕事のキリがついてから、と、その返事も待たせたまま。
でも、もう答えを出さなくちゃ。
先延ばしにしたら、大怪我するって、今回の手術で思い知ったから。
「私たち、お別れしましょう」
私の言葉を聞いても、彼は相変わらず静かに座っている。どんな表情をしているのか、見上げる勇気はない。
「どうして?」
静かな口調で問われる。
いっそ、怒ってくれたら、ラクなのに…。
「私、子供を産めない体になっちゃって…。こんな体じゃ、迷惑かけるだけ」
彼は、子供が大好きな人。私なんかと別れて、元気で、彼の子供をたくさん産める女生と出会ったほうがいい。
「いいよ、そんなこと。どんな体だって、君が生きていてくれたら、それでいい」
私は顔を上げた。
彼は、笑っていなかった。真剣な顔をしている。
「君が倒れたって聞いて、俺がどれだけ心配したか。
俺自身が一番びっくりした。君にもしものことがあったらと思っただけで、背筋が寒くなった。
君がいなくなったら、俺は、どうなってしまうか、わからない。
だから、別れようなんて、言わないでくれ。俺に必要なのは、子供じゃない。君なんだ」
唇に、水がしたたって、やっと自分が泣いていることに気付いた。
彼が、手を握ってくれる。
後悔しても、したりない。
無くしてしまったものは、あがなえない。
だけど、いつか。
このカラッポのお腹の中に、希望が生まれる日が来るのかもしれない。
彼の手の暖かさを感じていると、そう思えた。




