砂の旅人
砂の旅人
「ミスター・カトゥ。ソレはダメです」
集合時間にホテルのロビーに現れた加藤氏を見て、ガイドのハッサンが言う。
半そで、短パン、サンダル、扇子で顔にしきりに風を送っている。
「なんでや。この国のやつらはみんなサンダルやないか。ホテルの中をサンダルで歩いて何が悪い」
「サンダル、OK。いけない、シャツ、ズボン。旅行の注意、よみマシたか?」
「そんなもん!……よんだわ。うん。読んだ。大丈夫や、自己責任てヤツやがな」
加藤氏はニマニマ笑いながらハッサンの肩をぎゅっと握る。
「ノー。いけない。きがえ、シテください。それか、つれていきません」
加藤氏は、急に気色ばむ。
「なんや、こざかしい! 規則規則て日本のお役所みたいなこと言いなや! ここはエジプトちゃうんかい! わしは着替えんぞ。どうなと、このまま観光に連れて行ってもらう!!」
「ノー!! カトゥ! ゴー…」
「じゃかしわい!! こっちは客じゃ!! 文句言うなら金は返してもらうど!!」
加藤氏のあまりの剣幕に、ハッサンはため息をついて、くるりと後ろを向く。
他のツアー参加者があっけに取られている間に、加藤氏はのっしのっしとバスに乗り込んでしまった。
「しかたナイです。インシャラー」
ハッサンはくるりと振り向くと、ツアー客に笑顔を見せた。
「ハイ、みなサン、お待たせしました。ピラミッドにむかいまショウ」
ツアーバスがピラミッド近くの駐車場に到着し、客がぞろぞろと降りてくる。
「あつい! なんや、この暑さは!!」
「だから、ミスターカトゥ。シャツ、スラックス、イリマス」
「なんじゃ、そりゃ!! こんなに暑いのに、長袖なんぞ着てられるかい!!」
加藤氏とハッサンの言い合いに、横手から、一人の紳士が加わる。
「いやいや、加藤さん。長袖長ズボンで帽子だと、ここはそんなに暑くないですよ」
「なんやとぉ!! おかしいやないかい!! 半そでは暑い日用の服じゃろうが!」
「それは、湿度の多い日本の話でしょう。ここは気温は高いが湿度は低い。だから、直射日光を防ぐ長袖長ズボンのほうが体感温度は涼しくなるのですよ」
「何をわけのわからんことをホザイとるんじゃ! 長袖より半そでのほうが涼しい!! そんなこと、百科事典にものっとるわい!!」
「ほほう。それは知りませんでした。しかし、今、あなたが暑い暑い、と思う理由には、こころあたりがなくはないですね」
「なんじゃい、言うてみい」
「あなたは、急激に日焼けしているのですよ。つまり、皮膚が火傷しているんですね。だから、熱感がある。あなたにも、覚えがあるでしょう? 小さい頃、海に行って、思いっきり日焼けして、帰ったらひりひりひりひりして堪らなく痛んだ、あれですよ。
このまま直射日光に当たり続ければ、間違いなく、火傷の痛みで今晩は眠れないでしょうねえ。
すぐに日陰に避難すれば、まあ、まだ、たいした怪我には…」
「じゃかしわい! おい、ガイド!! わしはこんなやつと一緒に歩かれん!! バスにもどっとるからな!!」
そう言い捨て、加藤氏は一目散に、バスへ駆け込んだ。
「ありがとうゴザいマス」
「いや、なに。横から口をはさんで失礼したね。ただ、彼の行動はあまりにも目に余ったので、私もつい、カッとなってね。大人気なかった」
ふと気付けば、周囲の現地人が皆ひざまずきだした。
お祈りの時間だ。
「シツレイシマス」
ハッサンも、ムスリム、イスラム教徒。伏してコーランを唱えだす。
ツアー客は、その間、ただ、黙って待つ。
加藤氏がここにいれば、「なんや、客をほっぽって、お祈りかい!! いい気なモンや!」
と息巻いただろうと思い、紳士は、くすりと笑った。
広々とした砂漠に高く低くコーランの和唱が響く。強い日差しが弱まったように感じられるほど、それは幽玄な景色だった。