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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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変身

変身

楓の部屋はいわゆる「汚部屋」だ。

脱ぎ散らかした服と洗濯済みの服がゴチャマゼに積み重なり、山脈を作っているし、本棚からあふれ出した本と雑誌と手帳と給料明細と公共料金の領収書が、ごっそりテーブルの上に積まれ、雪崩をおこしているし、ベッドの上にはカバンがいくつも放り出してあるし、とにかく、床の上に物がない場所が無い。


毎日、仕事から帰ってくると、足先で物をどかし、道を切り開きベッドまで行く。

カバンをベッドに放り出し、服を脱ぎ、その辺に放り捨て、その辺に散らかっている服のにおいをかぎ、洗濯済みのものを選び出して着る。


テーブルが使えないので食事は外で済ませる。それなのに、台所も物であふれ、ガスコンロの影さえ見えない。


この部屋の唯一の救いは、飲食物を持ち込まないため、虫だけは湧かないことだった。


楓はベッドに寝転び、カバンから買ってきたばかりの本を取り出した。


「人生がときめく 片付けの魔法」


友人から、大人気の片付け本だと聞き、早速、買い求めた。自分でも、この部屋はまずい、と自覚はしていた。

作者の写真が載っているが、楓よりはるかに若い可愛らしい女の子だ。

(こんな若い子の言うこと、あてになるのだろうか…?)といぶかりつつ、ぱらぱらとページをめくると、作者が小学5年生の時から主婦雑誌を愛読する稀有な子どもだったことが書いてある。

(…この主婦オタクの子なら、私の部屋を片付ける方法を教えてくれるかもしれない)

一気に、期待がふくらみ、猛然と読書を始めた。


そして、すぐに、呆然とした。

片付け方法の第一に「モノを捨てる」技術が書いてあるのだが、その方法は、楓には不可能だったのだ。


「持っている洋服を、すべて床の上に出し、選り分ける」


楓は、部屋を見渡す。

床は、どこにも見えない。


しばし、呆然としたのち、楓は本を放り投げた。

とりあえず、寝よう。明日も早くから仕事だ。


その後、二ヶ月、この本は放って置かれ、いつの間にか衣類の山の礎になっていた。

が、楓は必要に迫られ、この本を掘り出すことになる。


転勤が、決まってしまった。

この部屋を出て行かなければならない。

どうしても、片付けなければならない。


楓は、緊急手段として、浴室を分別場にした。楓の部屋で唯一、床が見えている場所だったからだ。


本に書いてある通り、持っている衣類すべてを浴室に押し込んで、楓はまたも、呆然とした。

浴室の容積の半分を占める衣類の山が、目の前にあった。

(こんなに大量のものの仕分けなんて、私にできるだろうか…)

暗澹たる気持ちで開始した片付けは、しかし、恐ろしいほどのスピードで進んでいった。

ほとんどが、必要ないモノだったのだ。


一週間はかかるかと思っていた部屋の片付けは、わずか3日で終わってしまった。同時に、引越しのための梱包も済ませた。もって行く荷物は、わずかダンボール3箱。そのかわり、捨てるものはキロ単位を超え、トン単位だった。個人でゴミに出せる量ではなかったので、収集業者に取りに来てもらったが、業者のおっさんがポカンと口を開けておどろいていた。


がらん、とした部屋を見渡して、びっくりした。

こんなに広い部屋に住んでいたのか…。


楓は、部屋に、一冊だけ、本を置いて行った。

お世話になった、片付け本を。

次にこの部屋に越してくる住人が、この本を読むかどうかはわからない。

だが、できれば、この広々した床を末永く見ていて欲しい。


小さなボストンバッグを一つ持って、楓は部屋のドアを閉めた。

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