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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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にわかアスリート

にわかアスリート

「きゃ〜内村君、がんばって〜〜!!」


テレビの前で母がやや茶色がかった黄色い声援をあげている。

やれやれ。

喜美は冷蔵庫から缶チューハイを取り出すと、ぐびりと飲む。風呂上りの喉にしみわたる。


「やっぱり、スポーツっていいわねえ、喜美にも何かやらせておけばよかったわ。そしたら母さん、今頃はメダリストの母になってたかもしれないのに〜」


「そんなに簡単にいくわけないでしょ。だいたい、オリンピック選手なんて生まれたときから常人とは素質が違うわよ」


母はテレビ画面から目を離し、くるりと振り返る。


「あら、あんただってすごかったのよお、赤ん坊の時は。なんせ生後半年でハイハイ始めたんだから!」


「はいはい」


洒落とも真面目とも取れる相槌を残し、喜美は自室へ引っ込み、大きくため息をつく。

喜美の運動神経が悪くないのは事実だったが、無駄な労力を嫌う喜美は運動部になど入る気もなく、体育のマラソンをいかに低燃費に走り抜けるかに心血をそそいだ。

いくら母ががんばって喜美に何かを習わせようとしても、頑固な喜美は続けなかっただろう。


母は特別、スポーツ観戦が趣味と言うわけではない。

お祭り気分で騒ぐのが好きなにわかファンだ。

オリンピック、ワールドカップ、世界水泳、テレビで特番があれば一緒になって騒ぐ。平和な趣味なのだが、見たい番組があっても画面を占領されると言う弊害に、喜美は少々こまっている。


仕方ないので携帯で見たい番組を見る。

一度見出すとクセになるもので、通勤途中や職場の昼休みにも、ついつい見てしまう。


その日の帰宅時も、携帯で夕方の情報番組を見ながら歩いていた。

デパ地下スイーツ特集。ついつい本腰を入れて見入っていた。



ふいに、足元が揺れた。

踏みしめるはずの地面がない。

階段にさしかかったのに気付かず踏み外したのだ、と気付いた時には喜美の体は階段に横倒しに激突する寸前だった。

無意識に体が動いた。

腕を縮め体を丸くし首を前方に曲げる。

体側が着地したと同時に足を縮め、背中が地面についたときに重心を腹側にかけ、体を起こし、階段に足をつく。勢いついて前に転がりそうな体を左手を伸ばし手すりを掴むことで支える。


「………ふー」


一瞬でこれだけの行動を終え、階段を転げ落ちる危険から身を守った。


「すっげえ!!」


階段の下から声が聞こえる。見下ろすと、キックボードに乗った少年がきらきらした瞳で喜美を見上げている。


「おねえちゃん、すっげえ、かっこいい! 落ちるかと思ったのに! 体操の選手!?」


いやあ、とか何とか言いながら喜美は頭をかいて立ち上がる。服のホコリをはらって軽く全身を動かしてみたが、背中に打撲のような痛みが少々あるだけで、他に怪我もないようだ。

何とかして感動を伝えようとまとわりつく少年に別れをつげ、喜美は帰宅した。


テレビの前に陣取った母は、ニュース番組でオリンピック情報を見ていた。


「お帰り、喜美ちゃん。ねえ、内村君、金とったんだって! やったねえ!!」


「そうなんだ。良かったねえ」


母がくるりと振り向く。


「まあ、めずらしい、喜美ちゃんが『良かったねえ』だなんて。いつもスポーツなんかどうでもいいわ〜って顔してるのに」


喜美は鼻の頭をぽりぽりとかきながら言う。


「うん……体を動かす喜びっていうか……ワザが決まって歓声を浴びる喜びって言うか……いいものかもしれないな、って思って」


「そうよそうよ! だから、喜美ちゃんも一緒にオリンピック応援しよ!」


喜美は苦笑いする。


「とりあえず、お風呂入ってくるわ、汚れたから」


「あ、ごめん、母さんまだお風呂洗ってないよ」


「うん、私するから、母さんは応援してて」


言い残して去って行く喜美を母が目を丸くして見る。


「なにかしら、やあね、急に物分りよくなっちゃって。恋でもしてるのかしら、気持ちわるう」


いぶかしむのもそこそこに、母はまたすぐにテレビ画面に向かった。

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