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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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緋色のしずく

緋色のしずく

始まりは偶然でした。

私の家は養鶏を生業としており、年間一万羽ほどの鶏を屠殺して肉屋に卸していました。

週に一度か二度、まるまると太った鶏の首を折り、血抜きをし、羽をむしり、各部位に解体します。私の仕事は羽むしりまで。解体作業には熟練が必要なため、父が携わっていました。


その日は羽むしり用の湯がすぐに冷えてしまうほど寒い日でした。私は出荷予定の20羽の鶏の首をポキリ、ポキリと折って行き、すぐに首筋から胸にかけて細身のナイフを刺し込み、流れ出す血をタライに溜めて行きました。血抜きの終わった鶏を熱い湯に付け、羽をむしりとりました。湯はすぐに冷えてしまったため、途中からは力ずくで羽を引きちぎるしかありませんでした。

20羽の羽をむしり終わった時には、私の手は感覚が消えてしまうくらい凍えていました。


タライに満々と溜まった鶏の血を処分しようと手をかけました。タライはほんのりと暖かく、私はしばらく迷いましたが、そっと指を血に浸してみました。

ぶよぶよした膜をやぶるとどろりとした感触が暖かさとともに私の指を包みました。私はたまらず両手を血に浸しました。手首までやわらかな暖かさに包まれ、その暖かさは指先から体のすみずみまで伝わっていくようでした。

結局、仕事のはかどり具合を見に来た父に叱られるまで、私はずっと血の中に手を浸していました。

手についた鶏の血を布で拭いながら、私は奇妙なことに気づきました。

鶏の世話と日々の労働で荒れ果てていた私の手が、まるで赤ん坊の肌のようにすべすべになっていました。私は両手に顔を押し付けました。すべすべと頬を撫でる感触にうっとりと目をつぶりました。


次の屠殺日にも、私は両手をタライの血の中につけました。両手で血をすくって、顔を近づけてみました。生臭いにおいにためらいましたが、血の中に顔をつけました。しばらくそうしておいて、そっと顔をあげました。頬から顎からポタポタと血がしたたりました。

布で血をぬぐってみると、かさかさしていた唇がふんわりと柔らかいことに気づきました。私はタライに顔を何度も何度もつけました。


私の顔を見た母が驚いてたずねましたが、私はシラを切り通しました。この秘密は私だけのものにしておきました。

すべすべになった肌も二、三日もすればまた元のガサガサと荒れた手に戻りました。しかし、次の屠殺日を待てば、またすべすべになる。私はうきうきと待ちました。


ところが、その日は永遠にやってきませんでした。

大きな嵐がやってきて、鶏小屋を吹き飛ばしてしまいました。その時の怪我で父も死んでしまい、母と私は離れ離れに、遠くの農場に住み込みで働きに行くことになりました。

私が働いた農場は牛と豚は飼っていましたが、鶏は持たず、心底がっかりしました。私はガサガサの肌のままおばあさんになって死んでいく夢を見て飛び起きることがよくありました。


新年を祝う祭りの準備が始まりました。豚を一頭つぶして料理することになり、私はソーセージ作りを担当しました。

男衆が4人がかりで豚を押さえつけ、一人が豚の喉に細身のナイフを刺し、すぐに引き抜くと豚の血をタライに受けました。その血は私のところへ運ばれました。血のソーセージを作るためです。

湯気をあげる暖かな血を目の前にして、私は顔をつっこみたいと言う欲望を必死で抑えました。そして人の目を盗み、豚の血をこっそり革袋に取り、服の下に隠しました。


皆が祭りで飲んで騒いでいる間、私は一人、部屋にこもりました。

小さめのバケツに隠しておいた豚の血をそそぐと、急いで顔をつっこみました。冷え切った豚の血はところどころ固まっていて嫌な感触でしたが、我慢して顔をつけていました。

布で顔を拭ってから触ってみると、あの懐かしいすべすべした肌が戻ってきていました。私は服を脱ぎ捨てて、体中に血を塗りこみました。


翌日、農場中の女が私のまわりに群がり、私の顔に触れました。皆にどんなに脅されても、私は秘密をしゃべりませんでした。

豚の血は、私の肌をすべらかにしただけでなく、色も白くなったようでした。男衆が私を見る目つきが変わっていました。

私は、美しさを手に入れていました。

それはたとえようもなく甘美な、うっとりするような恍惚でした。

しかし長くは続かないことはわかっていました。豚をつぶすことなど一年に一度あるかないかです。日を重ねるごとに私の肌は黒く、がさがさになっていくのです。今は皆が私を見つめますが、翌日にはそっぽを向くことでしょう。


私は夜が更けてから農場を逃げ出しました。

醜くなっていく私を、誰にも見られたくありませんでした。もとの醜い私に戻るのは、もう嫌でした。醜くなるくらいなら、いっそ死んでしまおうと、橋の上から川に身を投げようとしました。

田舎者の私は、大きな橋には橋番がいることも知りませんでした。私は捉えられ、領主様から詮議されました。身投げしようとした理由を問われましたが、私は黙っていました。黙ってうつむいている私を、領主様が特別な目で見ていることには最初から気づいていました。

領主様は私を屋敷に連れ帰り、風呂で磨き上げ、香油を塗りこませました。

私の肌はすべすべときらめきました。


領主様の屋敷での生活は、私の肌を衰えさせることはありませんでした。私は美しいまま年を過ごしました。けれど、一年、一年と過ぎるたび、いつまた醜くなるかもしれないと思うと身を切られるような不安に襲われました。

ある日、領主様は私を森の奥深くの別荘に連れて行きました。街の屋敷には新しく若い女を呼び寄せたようでした。


私は別荘で、生まれて初めての自由を手に入れました。

早速、豚を一頭買って、庭でさばかせました。そして豚の血を浴室に運ばせました。

私は服を脱ぐ間ももどかしく、血で満たされた浴槽に飛び込みました。どろりとする感触。生暖かさ。そして血の香り。懐かしさに私はくらくらしました。思う存分、体中に血を浴びました。

血をすべて拭い去った私の体は、輝くほどに白く、なめらかでした。豚の血は、どんな香油よりもどんな薬湯よりも私の肌を輝かせました。

私は三日と開けず、豚の血を浴びました。

そうすると、さすがに農場の豚もすぐに尽きてしまいました。私はためしに牛を一頭買って、血を浴びてみました。鶏よりも豚の血の方が効果が高かったのです。それならばもっと大きな牛なら、もっと美しくなるかもしれない。そう思ったのです。


ですが、牛の血を浴びていると、肌に強烈なかゆみが走りました。

急いで血を拭ってみると、肌にぷつぷつと赤い斑点が出来ていました。私は思わず叫んでいました。

私の美しい肌に醜い斑点が!

きっと牛は大きすぎたのです。大きすぎる生き物の血は、肌に強すぎたのです。

早く豚の血で肌を洗わなければ! 焦りましたが、豚は遠くの農場に注文したばかり。届くのはいつのことやらわかりません。

私の美しい肌を取り戻さなければ! 醜い斑点を消さなければ!

私は半狂乱になりました。

屋敷から駆け出すと、血を求めて走りました。

血! 血! 血! 私の血!


道端に子供がしゃがみこんで遊んでいるのを見つけました。その子の体は、生後半年の子豚くらいの大きさでした。私は乱れた息をととのえて優しそうに見える微笑みを浮かべると、子供に近づきました。

お菓子をあげると言うと、子供はよろこんでついてきました。

私は誰にも見つからないように裏口からそっと子供を浴室に連れて行きました。そして後ろから、子供の首に手をかけました。両手に力を込めてひねると、ポキリ、と骨が折れました。

私は子供の首にナイフを突き刺し、両足を持って逆さに吊るして、あふれる血をタライにためました。タライいっぱいに血が満ちると、私は子供を投げ捨ててタライに飛び込みました。頭からざぶざぶと血を浴びて、全身にこすりつけました。何度も何度もこすりつけました。

血を拭いさって見てみると、赤い醜い斑点はだいぶ小さくなったようでした。

でも、まだ血が足りない!

私は子供の死体を抱えて屋敷を抜け出しました。

森の茂みに死体を投げ捨てると、村に向かって走りました。村には数え切れないくらいたくさんの子供がいる!!


それから私は毎夜、村に行き、子供をさらってきました。

何人殺したかって?

さあ、数えたことはありません。死体はみんな森に捨てました。

私の話はこれでおしまいです。

わかったら、さっさと死刑にしてちょうだい。

ああ、もう三日も血を浴びていないのよ。

あなたたちがもう少しおそく来ていれば、あの子の血を浴びることが出来たのに!

私の手、私の手が乾燥している! いや! いや! 早く殺して! 早く! はやくはやく!

醜くなってしまうまえに!!



早く!!

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