竜と姫君 2
竜と姫君 2
目をつぶると、いつも目の前に同じ景色が広がる。
カインが9歳のころの記憶だ。一つ年下の弟と、かくれんぼをしていた。弟が鬼で、カインが隠れる。カインは、弟がまだ知らない屋根裏部屋に隠れた。ここなら絶対に見つからない。
しばらくは弟が兄の名を呼び探し回っている気配がしたが、ふと、静かになった。
弟の声だけではない。街中がひっそりと静まり返っている。カインは不思議に思い、壁に開いた空気穴から、階下の表通りをのぞいた。
母が、真っ黒い炎に包まれ、空を見上げて立っていた。
「かあさん!!」
叫ぶとカインは駆け出し、梯子を飛び降り、外へ出た。
「かあさん!!」
もう一度叫ぶと、母はゆっくりとこちらを向き、倒れ掛かってきた。カインは思わず、抱きとめた。黒い炎はまったく熱くなく、むしろ冷たかった。
母はぎゅっと、カインを包み込むように抱きしめる。
カインは母の体のかげから左の目だけのぞかせ、黒い炎が母の体から、空へ立ち昇るのを見た。そして、炎の先を。
空には、この世のものとは思えない美しい男性が浮かんでいた。
黒い髪、黒い瞳、黒の衣、すべてが黒く塗りつぶされた中に、その瞳だけが赤く燃えていた。
その者は街のいたるところから立ち昇る黒い炎をまとい、まるで黒い翼を持った生き物のように見える。
とつぜん、カインの左目が熱くなり、そこから黒い炎が噴出した。
「だめ、カイン……見てはいけない……」
細々とした声で母がささやき、必死でカインを自分の体の下に隠した。
すべてが終わり、城の兵士が街にたどり着いた時、まだ、カインは母の死体の下にいた。
街の人間は全滅だった。
竜は、ひとたび現れると、その美しさで人間を魅了する。そして、竜を見つめてそらすことが出来ない視線から、竜は人の生命力を奪う。残された人の体は真っ黒に変色し、土に還ることはない。
カインは、両親と弟の死体の前に、ずっと座り続けた。雨が降っても、風が吹いても。一言も口をきくこともなく。
そして、左目だけ黒く染まった瞳で、家族の死体を見つめ続けた。
緊急招集のラッパが鳴り、カインは飛び起きた。
3分で鎧を身につけ、剣を下げ、走り出す。衛士の集合場所である北門に到着したのはラッパがなってから4分。5分を過ぎると懲罰がある。全員が集合したことを確認すると、衛士長が口を開いた。
「今朝未明、マーガレット姫様が、黒衣の魔術師トーリン殿を供に、出立なさった! 国王陛下の許諾ないことから、捜索隊派遣の命が下された! 志願するものは名乗り出よ!」
カインの隣に立っていたヒースが小さくつぶやく。
「ちっ。お姫様の気まぐれで振り回されて、たまんねえよな」
「ヒース!! 口を慎め!! 姫様には深いお考えあってのこと! これ以上は不敬罪に処することになる!」
かなり離れた距離でのつぶやきに、地獄耳の衛士長の叱咤が飛び、ヒースは飛び上がった。
「申し訳ありません!」
「志願するものはおらぬか!」
重ねての衛士長の呼びかけに、カインが高々と敬礼の姿勢を取り、答える。
「自分が志願いたします!」
「よし! カイン・マグゴール! 前へ! 他にはおらぬか!」
「志願いたします」
門に一番近いところから静かに声を上げたのは女性衛士だった。
「よし! アデライール・ドゴール! 以上二名は本日よりマーガレット姫付き近衛兵を下命する! 近衛兵長ウォルター殿の指揮に従がうように! 以上、解散!」
衛士達が去ってから、衛士長は二人に命令した。
「近衛兵長が直に指揮し、早急に出立する。二週間の装備を整え馬房に向かえ」
「「は。」」
二人の新しい近衛兵が宿舎に戻るのを、ヒースが待ち構えていた。
「よお、お二人さん。うまくやったじゃねえか。衛士から近衛兵に格上げなんて、前代未聞だぜ」
二人はヒースを無視して進む。
「おいおいおい、あんたら、わかってんのか!? もし姫様に追いつけなかったら、あんたら竜の巣まで行くハメになるんだぜ。悪いこと言わないから辞退しろって。な?」
アデライールが振り向きもせずに答える。
「お前も近衛兵になりたいなら、今から馬房に行けばよかろう。近衛兵長直々の采配だそうだ。増員も可能かもしれんぞ」
「なんだよ、そっか! じゃ、よろしくな、お仲間さんたち!」
ヒースはとっとと馬房目指して駆けていった。その後姿を見送ってから、カインが口を開く。
「おい、手ぶらで行ったら、間違いなく近衛兵長にどやされるぞ」
「知ったことか。急げ。遅れるぞ」
アデライールはさっさと自分の宿舎へと消えた。カインも急いで自室に戻り、装備を整える。馬房へ行ってみると、ヒースが何故か既に旅支度を終え、泣きそうな顔で馬の口をとっているだけで、近衛兵長ウオルターの姿は無い。
「近衛兵長殿はどちらだ?」
「装備を組み立てに戻られましたであります……」
「おい、なんだ、その変な言葉遣いは? 近衛兵長に聞かれたら懲罰ものだぞ」
「どうせオレは出世し損ねた出来損ない衛士であります! ウオルター兵長の装備品を下賜されたと同時に格下げされ今日から予備兵であります! 近衛兵殿!!」
「………そうか。がんばれ」
「がんばりますであります!!」
「よし! そろったな! 各自、馬を取れ! 出発する」
戻ってきたウオルターが叫ぶ。いつの間にか、背後にアデライールも立っていた。
(もう誰も、竜の餌食にはしない。必ず姫を探し出し、守る!)
カインは、ぐっと拳を握り締めた。
そのころ、当の姫君は魔術師の後について、獣道すらない山の中をかき分けかき分け進んでいた。
「と、トーリン殿、もう少し、開けたところを通りませんか!?」
「いやいや、こういうところでないと……。ああ、あったあった。ほら、これ」
にこにこと振り向き、手に持った草を姫に見せる。
「は? その草が、何か?」
「これがね、血止めの薬草。んで、これの実が、ほら、これね。化膿止めに効くから、覚えておいて」
「わかりました」
「いやあ、こういうのさ、すごく高く売れるんだけど、こういう藪のなかにしか生えないから。大変なんですよ、採るの」
「あの、路銀でしたら、私が持っておりますので……」
「あ、いやいや。お金の問題だけじゃなくて。あなた、お城で暮らしてたら、薬の知識ないでしょ? 竜の巣に行くなら、知っておかないとね、いけないから。それと、魔術にも慣れておいてもらいたいし」
「魔術ですか?」
「そう。たとえばこんな風に」
と言うと、魔術師は杖で自分の首をぶん殴った。魔術師の頭がころころと転がっていく。
「うわああ!!!」
思わず姫が叫ぶ。
「ね、ほら、びっくりしちゃうでしょ。だから、何度か見ておいてもらいたいと思って、人気のないところに向かってるんです」
しゃべりながら転がる頭を首無しの体が追いかけていき、頭を拾って首の上に乗せる。二、三度、首を振って、もつれた長い黒髪を背中にはらい、魔術師はあらためて、姫に笑いかける。
「ね」
姫は口もきけない。この魔術師と一緒に竜の巣へ行く……。遠い道のりが、ますます遠く感じられるのだった。