言わぬが花
三時二十七分、駅前のお洒落な喫茶店。私達はそこにいた。
すでにこの少年、高飛尽と遭遇してから三時間が経過している。会社を無断で抜け出し、一時間の雑談と二時間の電車移動でこの状況に落ち着いた。会社を抜け出すときはもうどうなってもいいという気持ちではあったが、やはり緊張してしまっていた。脇の汗が半端ではない。私に会社を抜け出すように言った当の本人である高飛尽は向かいの席で備え付けの角砂糖を食べている。
「ご注文をどうぞ」
メニューを見渡すがなかなかの値段でコーヒーや紅茶が書かれている。喫茶店にはあまり行く方では無いのでこれが正しい値段なのか疑ってしまう。
「取り敢えず、私はホットコーヒーで。高飛君はどうする?」
「じゃあ俺はコーラで」
「かしこまりました」
ウェイトレスが一礼をしてから奥の方へ去っていく。ファミリーレストランを悪く言うつもりはないが、やはりこういう所のウェイトレスは少し違う。
「あ、支払は私にさせてね。私と言っても、高飛君に貰ったお金だけど」
「うん。じゃあ、お願いするぜ」
『いや、俺がするよ』とでも言ってくるかと思ったが、子供に払わせることで私が恥ずかしい思いをするとでも予想したのだろうか? やはり所々妙に大人臭い。
「それと、俺のことを『高飛君』って呼ぶのはやめてくれ。子ども扱いされてるようで気持ちのいいもんじゃあない。尽でいいよ」
「ごめん。子ども扱いしてたわけではないんだけど。じゃあ尽って呼ばせてもらうよ」
「ああ、そうしてくれるとありがたい」
そろそろ本題に入ろう。『迷わせ屋』について。そして依頼人について。一時間の雑談も、ここに来る途中も、まったく詳しいところについては話さなかった。何を聞いても、この喫茶店に着いたらの一点張りであったのだ。
「喫茶店にも着いたしそろそろ教えてくれないかな? 気になることがたくさんある」
「いいぜ。まずは『迷わせ屋』についてでいいか?」
「うん、そこから進んでいこう」
「俺は『迷わせ屋』だ。といっても大したもんじゃあない。開業は数十年位前の歴史の浅いもんだよ」
「数十年前? 中学生って言わなかったっけ? もしかして子供に見えるけどすごい年寄りとか?」
「あ、違う違う。俺は三代目。ついでに初代はもう亡くなってるよ。そうそう、『迷わせ屋』の基本理念は初代から来ててさ。『人の道の行き着く先は死だ』ってとこからね。人生のゴールはみんな一様に『死』ってこと。そこに向かうとき、自殺みたいにゴールへの近道をしちゃう人もいれば、天寿を全うするようになげー長い道を歩き切る人もいる。その前者に近道させないように『迷わせる』のが俺、『迷わせ屋』ってわけだ」
「はぁ」
はぁ。
「簡単に言うと、自殺志願者に希望を与えて生きていたくさせる仕事だな」
「それで自殺しようとしていた私を止めたと。でも待って? 『頼まれて』と言っていたよね? 誰かに依頼されたってこと?」
「そりゃあそうだぜ。俺だって慈善事業じゃない。頼まれて、金を積まれて初めて動くのさ」
依頼主がいる。私を死なせまいとしてくれた依頼主が。
「それは誰なの?」
「そりゃあ教えないさ。俺だって一応プロだ」
「教えてくれなきゃ自殺するかも」
「ヒントをやるよ」
ちょろいな。
「類火の知り合い」
「だろうね」
「失礼します。ホットコーヒーとコーラでございます」
話に夢中で近づいてくるウェイトレスに気付かなかったようである。いつの間にか、隣にいた。音を一切立てずに、コーヒーの入ったカップとコーラの入ったグラスをそれぞれ私たちの前に置く。その後、一礼をして店の奥へ消えていく。
「まあちょっと落ち着こうぜ。のども乾いたしな」
そういってストローを挿し、黒い液体を吸う。体に悪そうだなと思いながらその様子を眺め、私もカップに指をかける。
が、冷たい。
コーヒーカップに入っていたのはコーラだった。