裏切
騎士の厳しさを書きたかったこともあり、少し暗くなります。
二日後、第三分隊と第五分隊は隊列を組んでヴァルトガルドを出立した。草原を二つ、森を三つ抜けなければいけないため、行軍は三日かかる予定だった。
サラはジェイクの隣に馬を並べて駆けていたが、馬での長時間の移動は思ったよりも身体に負担がかかることがすぐにわかった。
「痔になりそうだよなあ、これだけ馬に乗ってると」
休憩中にジェイクに言われ、サラが顔を顰めると近くにいたステラが振り返った。
「ジェイクはそういうこと言うから女の子にもてないのよ」
「なんだと。そういうおまえはどうなんだよ」
「愚問だよ、ジェイク。ステラは班長一筋に決まってるだろ」
「ちょっとトーマス。あたしの班長への敬愛精神を馬鹿にする気?」
「おまえもしつこいよなあ」
「イーサン、喧嘩売ってるのかしら?」
「落ち着きなよステラ。クッキーでも食べる?」
「・・・・・マルコさんって、ちょっとずれてません?」
「そうかなあ。ほら、サラも食べて。おいしいよ」
結局全員でクッキーをかじっていると、トリスタンのもとから帰って来たリオンが眉を顰めた。
「何でうちの班だけピクニック気分なんだ」
「班長もおひとつどうぞ」
そう言ってクッキーを差し出されたリオンは、不機嫌な表情のままそれを齧った。
「反乱分子の本拠は街の南西にある森にあります。様子を窺ったところ、三十から四十人ほどが廃墟のような館にいるようでした」
「館とは?」
斥候の報告を受けたトリスタンが眉を上げて訊ねた。
「五十年ほど前まで領主の別荘として使われていたようです」
「では夜を待って館を包囲し、明朝踏み込んで賊を捕らえることとする。なるべく殺さずに捕縛しろ」
トリスタンの指示で地図が広げられ、詳しい配置を話し合う。
「全員で館を包囲し、別働隊に館の東側から内部に侵入して貰う。踏み込むのはその後だ」
別働隊のなかにはリオンも入っていた。彼の代わりに班の指揮をとるのはイーサンということになった。
一時解散となった時、ステラが肩をすくめて「あんたの指揮下に入るなんてね」と言った。
イーサンが苦笑いでステラを振り向く。
「何だよ、ステラは班長の指揮下じゃないと誰でも嫌なんだろ」
「そりゃね。信頼感が違うもん」
「おーい、班長代理にそんなこと言うなよ」
「本当のことでしょ」
べえっと舌でも出しそうな調子で言ったステラの肩にぽんと手が載せられた。
「喧嘩するなら外でしろ。うるせえ」
相変わらずの仏頂面で言ったリオンは、イーサンの方へ視線を向けた。
「館の裏側だったな、この班は」
「はい。こちらのことは任せて下さい」
こくりとリオンが頷く。その彼に「班長」とガイが声を掛けた。心なしか声が重い。
「この配置は誰が決めたんですか」
「俺たちで相談して、最終決定を下したのはトリスタンだ。不満か」
「いえ、そういうわけでは」
「おまえも班長がいないと寂しいんだろ。もてる男は大変ですね、班長」
トーマスがガイの肩に腕をまわして茶化しにかかる。リオンは鼻を鳴らしただけだったが、ガイはもごもごと何か言った。表情が固い。
リオンはひとつため息をついて、踵を返した。
「馬鹿騒ぎしてねえで夜まで休め。持久戦になる」
「はいっ」
ステラとイーサンの声が重なる。そして二人で顔を見合わせて頬を膨らませている。
その様子を振り返って見たリオンの鋭い目元が珍しく柔らかくなった気がした。
夜になり、騎士団の面々はそれぞれ班に分かれて森に入って配置についた。館は想像以上に大きく、「こりゃあ城だな」とジェイクが唸った。
館から少し離れた森の中から様子を窺っていると、二階と一階の窓に一つずつ明かりが見えた。夜中になるとその明かりも消え、あたりがしんと静まり返る。
じめじめとした嫌な空気のなか、気の利くマルコがクッキーを配ってくれてみんなひと心地ついた。班員交代で身体を休め、夜明けを待つ。
空が白み始めたころ、真後ろの森から喚声があがった。包囲網は二重になっており、第五分隊の班が配置されていたはずだが彼らが何者かと交戦しているようだ。
「サラ、緊急の狼煙をあげろ」
イーサンに指示を出され、緊急を伝える赤の狼煙をあげようとする。しかし狼煙はあがらなかった。火薬が湿気ているのだろうか。
思わず悪態をついて立ち上がると、イーサンが固い声を出した。
「伝令だ。分隊長が館の北西角にいる。事態を伝えて指示を仰げ」
「はっ」
サラが敬礼すると、イーサンは班員を振り返った。
「リオン班、このまま待機。接敵し次第交戦する。いいか」
「もちろん」
トーマスがイーサンを励ますように答える。ジェイクがサラに行くよう促した。
その時だった。ガイがおもむろに剣を抜き、サラの前に立ちふさがった。
「どうした、ガイ」
怪訝そうな顔で彼に近付いたトーマスの首元にガイが剣を突き立てた。次の瞬間、全員が剣を抜き、バッと飛びずさってガイから距離をとる。
「どういうつもりだ」
イーサンが低い声で唸った。
「作戦が成功されると困るんだ。ここから俺の仲間が脱出する手はずになっているから、君たちには死んで貰わないといけない」
ガイの顔は無表情で、淡々と話しているのが妙に恐ろしい。
ステラが険しい形相で一歩前に出た。
「黙って殺されるとでも思っているの。裏切り者!」
「サラ、分隊長のところへ行ってくれ。ガイは俺たちを殺してここから賊を逃がす気だ」
すっと身体を寄せてきたジェイクが厳しい声で指示を出す。しかしサラは首を横に振った。
「私も残って戦います」
「駄目だ。誰かが知らせなくてはいけない」
「行ってくれ。ここは俺たちに任せろ」
イーサンもサラを促す。ガイは「行かせない」と一歩踏み込んだが、リオン班もそれに対峙するようにサラの前に出た。
サラは意を決して踵を返して駆け出した。
何が起こったのかまだ理解できない。とにかくガイは敵側の人間で、トーマスは彼に殺された。それをトリスタンやリオンに伝えなければ――・・・。
鈍い痛みが頭に走った。その衝撃のまま地面へ倒れ込む。何だ。何が起きた。必死に起き上がろうともがいたが、どんどん視界が暗くなっていく。最後に見たのは、地面をひっかく自分の指だった。
アルヴィンの持ち場は、分隊長のトリスタンがいる実質の本部だった。予定ではそろそろ各班から作戦決行可能の狼煙があがり、作戦決行の合図を本部から出すはずだった。しかしいつまでたっても狼煙があがらず、アルヴィンは苛々としてトリスタンの横に立っていた。
その時、背後の森で人の気配がした。
「リオンか」
トリスタンの声に応えるように、別働隊を率いたリオンが姿を現した。彼の待機場所はここではない。アルヴィンの胸にふと嫌な予感がよぎった。
「トリスタン、様子がおかしい。狼煙が使えなくなっている」
「何だと?だから狼煙があがらないのか。口頭伝達で作戦を決行する」
トリスタンはあまり動じずに言ったが、リオンはふと視線を森の奥へやった。彼の視線を追ったアルヴィンにも彼が何に反応したかわかった。
「・・・血の匂いがする」
アルヴィンの呟きにリオンが頷く。トリスタンの顔色が僅かに変わった。
「リオン、アルヴィン。それぞれ班を率いて確認に向かえ。この信号弾なら使えるはずだ。状況を確認し次第合図を送れ」
小型の狼煙を受け取って、アルヴィンはリオンと並んで森の中を進み出した。何が起こっているのかは全くわからないが、良くないことが起きている。
隣を進んでいたリオンが足を止めた。はっとして前を見ると、草の中に覚えのある金髪が見えた。
「サラ!!」
鳩尾が冷たくなる嫌な感覚を味わいながら倒れているサラに駆け寄る。抱き上げると、サラは頭から血を流してぐったりしていた。慌てて口元に手を翳すと、生きていることがわかった。
「どうだ」
傍らに立ったリオンに訊かれ、生きていることを告げる。彼は部下の一人に彼女を本部へ連れて行って手当てするように命じた。
「わかっていると思うが、俺たちは進むぞ」
「ああ・・・・・」
後ろ髪引かれる思いでサラを見送り、リオンと並んで森を進む。血の匂いがどんどん濃くなってきて、アルヴィンはそっと顔を顰めた。
またリオンが足を止めた。今度は同時にアルヴィンの足も止まる。二人はしばらく無言で自分たちの目の前の光景を見つめていた。
トーマスは何が起こったかわからないというような表情を浮かべていた。ジェイクは驚いたように目を見開いている。イーサンは憤っているように見えた。マルコは泣きそうだ。ステラは悪夢にうなされているように目を閉じていた。
リオンはしばらく立ち尽くしていた。部下の騎士も、アルヴィンも同様だ。ステラが微かな呻き声をあげて、リオンがはっとしたように彼女の傍にしゃがみ込んだ。
「ステラ」
リオンの低い声に、ステラが目を重そうに開いた。しかし目がよく見えないらしく、リオンがもう一度名前を呼ぶとやっと安心したように表情が緩んだ。が、すぐにその顔が歪む。
「はんちょ・・・・・すみませ・・・・・・・」
「謝るな。おまえが謝ることは何もない」
リオンがステラの額についた血を掌で拭う。
「あたし・・・・・班長の役に、立ち・・・・・たく、て・・・・・もっと、役に・・・・・はんちょ・・・・に、拾って貰・・・・・はん・・・・・」
セオリーでは、「もう良い、喋るな」とリオンが言うところだ。しかし彼はステラの薄い茶色の柔らかい髪に手を載せたまま、黙って彼女の話すのを聞いていた。彼女の言葉が途切れたところで、力強く彼女の手を握る。
「ステラ、おまえは俺の自慢の部下だ。おまえのおかげで俺は随分助かった。ありがとう」
ステラが笑みを浮かべた。
「珍し・・・・・リオ・・・・・・・・」
リオンはしばらく固まったステラの顔を見つめていたが、そっと彼女の目を閉ざして地面に横たえた。
アルヴィンが音を立てずに彼の隣に並ぶと、彼は低い声で呟いた。
「ガイがいない」
「・・・・・ああ」
「作戦は中止だ。賊はここから森の外へ逃走を図ったと考えられる。全騎士を追尾に出すべきだ」
リオンがアルヴィンにトリスタンから受け取った小型の狼煙を押し付けた。色は黒。作戦変更、狼煙の元へ集合せよ。
アルヴィンは黙って受け取り、狼煙をあげた。
黒い狼煙があがったことにより、館の包囲網は解かれた。館の中はいまや空であるというリオンの判断である。全騎士がリオン班の持ち場だった場所へ集結し、逃げた賊徒の追尾にかかった。賊徒は徒歩であり、騎士団は森の外側にも包囲網を敷いていたこともあって、数人を捕らえることができた。
サラが目を覚ました時には、全てが終わっていた。