翻弄
コンコンと戸がノックされ、「準備できたか」と声をかけられた。ガイの声だ。
「できてます。できてますけどちょっと・・・・・」
遠慮なく戸が開けられて、ガイが顔を覗かせる。
「やっぱり無理です。コルセットがきつすぎて死にそうだし、踵が高すぎてこけそうだし・・・・・ガイ?」
目を瞬かせて何も言わないガイに、思わず首を傾げてしまう。
「いや、驚いた。化けたなあ、サラ」
「化けたって失礼じゃない?」
「そうだな、悪い。でもサラ、すっげえ綺麗だぞ。みんな驚く」
「ありがとう。でも私、すぐに転んで台無しにしちゃう気がする」
そう言うと、ガイは笑って腕を差し出した。
「そのために俺がいるんだよ。ちゃんとエスコートするから大丈夫」
「お願いします」
サラは同じように正装のガイに自分の腕を預けた。
転ばないことに細心の注意を払って会場に入る。場違いのような華やかな空気に一瞬身体が退けたが、ガイがエスコートする腕をがっちり掴んで離さない。ガイがそっと顔を寄せてきた。
「俺は途中で離れるけど、大丈夫だね?」
「頑張るわ」
「ん。アルヴィン班長がこっち見たぜ。驚いてる」
「余計なこと言わないで。こけそう」
ついでに女たちの香水の匂いにむせかえりそうだ。
「そんなことで大丈夫か?任務忘れるなよ。マークする奴の顔、覚えてるか」
「大丈夫です。班長に叩き込まれたから」
よかった、とガイが微笑む。それから飲み物を取りに行く風にするりとサラから離れて行った。
サラは会場をそれとなく歩き回りながら、まわりの人の顔にさり気なく目を配る。リオンから耳にタコができるほど聞かされ、夢に出てきそうになるほど見せられた男の顔は会場の隅の方で見つかった。
その近くのテーブルで適当に食べ物を選んでいるふりをしながら耳をすませる。よく聞こえなかったが、「パルナ」という単語が聞こえた。確か南方の街の名前だった気がする。
よく聞こえないと思って眉を顰めていると、彼らがすっと移動を始めた。サラもそおっと後を追う。
しかしこの靴は歩きにくい。いつ転ぶかひやひやする。
男たちは会場を出て階段を上って行った。足音をたてないようについて行ったが、二階から三階へ上がる踊り場のところで男たちが話しているのに気付いて階段の下で立ち止まる。
「武器は集まっているのか」
「ああ」
「人数は」
「三十人ほどだ」
「目標まではまだ遠いな・・・・・」
これは―――・・・・・。
もっと話を聞こうと、そっと階段を上る。二段上ったところで、足が階段を踏み外した。
あげかけた悲鳴を懸命に呑み込み、咄嗟に衝撃に備えようとする。しかしその衝撃はやって来ず、代わりにふわりと身体が持ち上がった気がした。
「ア、ル・・・・・」
しっと鋭く制され、アルヴィンはサラを担いで――色気も何もない肩担ぎで――足音をたてずに素早く階段を駆け下りていった。一階まで下り、会場の隣の部屋へ入ったアルヴィンはソファにサラを降ろした。
「班長、どうしてあそこに」
「おまえの危なっかしい尾行が心配でな」
危なっかしいと言われてうっと二の句が告げなくなる。
アルヴィンは片頬で笑うと、サラの右足首に手をやった。
「痛めたろ。大丈夫か」
「大丈夫です。ちょっと捻っただけですから」
そう言うと、アルヴィンの拳がサラの額を小突いた。
「二人の時に敬語使わねえでいいって言っただろ。帰ったら冷やしとけよ」
優しい言葉をかけられて、部屋の薄暗さも手伝って顔が熱くなるのを感じた。
その時、ガチャッと戸が開いてリオンとガイが入って来た。サラはびくっとしたがアルヴィンはけろりとしている。
「成果は」
リオンに鋭い目で訊かれて、成果と言えるほどのものではなかったが自分の聞いたことを話した。するとリオンは全く表情を変えないままで「よくやった」と言った。
もしかして今、褒められた?
「パルナに斥候を差し向けるよう師団長に進言する。おまえはもう帰って寝ろ」
最後はサラに言って、リオンは部屋を出て行った。
「じゃ、班長。あとはお願いします」
エスコート役だったガイもアルヴィンにサラを任せて出て行ってしまう。
サラとしてはドレス姿でアルヴィンと二人きりだということに動揺していたので、二人で置いていかれたくはなかった。しかし無情に戸は閉まり、サラはアルヴィンと二人薄暗い部屋に残された。
「うまく化けたもんだなあ。化粧もしてんのか?」
遠慮なくサラに手を伸ばしたアルヴィンが指で頬をなぞる。
これ以上動揺させないで欲しい。前に同じ班のジェイクが言っていたことを思い出す。
「女の子ってさあ、時々残酷だよね。こっちがいろいろ我慢してるの知ってか知らずか煽ってくるんだもん」
それを聞いた時は男は大変だと思ったが、何のことはない。女も一緒だ。きっとアルヴィンは、サラが彼に昔から恋心を抱いているだなんて微塵も思っていない。彼はきっとサラのことを妹のように思っていて、サラも自分のことを兄のように思っていると信じている。自分の気持ちが彼にわかってしまえば、今のような関係が崩れてしまう。それが怖くてサラには足を踏み出せない。踏み出す気もない。それなのに、アルヴィンが優しい態度をとるたびに気持ちが溢れそうになる。優しくするのをやめて欲しいと思う反面、もっともっとと欲深く思う。矛盾しているのはわかっているけれど――・・・。
その思考は、ふわりと身体が浮く感覚で寸断される。
「何、アルヴィ…ちょっと!」
先ほどとは違い、横抱きにされたことに驚く。間近に迫ったアルヴィンがにやりと笑った。
「せっかく綺麗な格好してるんだ。この方がいいだろ。城までお送りしますよ、姫」
柄にもなく顔が真っ赤になるのを感じた。
こういうことをするからアルヴィンは嫌なのだ。ずるずる嵌って、離れられなくなって、もっと強く望んでしまう。
ちょっとだけ切ない気持ちになって、アルヴィンに掴まるふりをして首元に顔を埋めた。アルヴィンの匂いがする。
いつの間に手配したのやら馬車にサラを乗せたアルヴィンはひょいっと自分も飛び乗り、御者に馬車を出すように言った。馬車が走りだすと、向かいに座ったアルヴィンが身を屈めてサラの足に手を伸ばす。
「靴脱いどけ。腫れて脱げなくなる」
自分で脱げるのに、アルヴィンがそっと靴を脱がせてくれる。手は武骨なのに手つきは優しい。胸がきゅっと締め付けられた。
城に着くと、先に降りたアルヴィンがまたサラを横抱きにする。騎士団の本拠地でそのように扱われるのはさすがに恥ずかしく、「大丈夫だから降ろして」と頼んだが無駄だった。アルヴィンは恥ずかしくないのだろうか。
「私、そんなに柔じゃないよ」
「わかってる。おまえが頑張ってるのは知ってるから」
でも、とアルヴィンがサラを見上げた。
「今ぐらい黙って女の子扱いされとけ。な」
また顔が真っ赤になるのを感じる。慌てて目を逸らすと、アルヴィンが低い声で笑っているのが聞こえた。
跳ね橋を渡ると、「何、アルどうしたの」と慌てたような声がした。見るとカイルだ。
「例の任務で夜会に行っていたんだが、サラが足を捻ったんだ」
「ああ、サラちゃんかぁ。誰かわからなかったよ。アルがどこぞおお姫様をさらってきたのかと思った」
「おまえじゃねえんだ。そんなことするか」
「そ。足は大丈夫なの?」
「ちょっと捻っただけだから大丈夫です」
じゃあお大事に、と手を振ってカイルが跳ね橋を渡って行く。今から巡回なのだろう。
アルヴィンはサラを抱えたまま厨房で氷を貰い、部屋へ連れて行ってくれた。固いベッドにサラを座らせて、布に包んだ氷で足首を冷やしてくれる。
「世話焼かせてごめんね。仕事大丈夫なの?」
「大丈夫だ。抜けるいい口実ができた」
にやりと笑われて、また少し顔が赤くなる。今日はどうかしている。アルヴィンの一挙一動にどきどきしてしまう。きっとこのドレスのせいだ。
アルヴィンに上目遣いで見られると心臓に悪い。自分を律している心が崩れそうで、もう大丈夫だと言ってアルヴィンを追い出した。
翌日に夜会の時の報告書を書くように言われ、それを書き上げたサラはリオンに提出しようと彼を探した。しかし彼は捕まらず、行き会ったステラが第三分隊の班長ならリオンではなくてもいいと言う。
「エルドレット班長は巡回に出てるけど、アルヴィン班長ならきっと今執務室にいるわ。行ってみたら?」
ステラの進言に従い、アルヴィンの執務室をノックしてみると「入れ」と怠そうな返事があった。
「失礼します」
入ってみると、てっきり書類仕事をしていると思ったアルヴィンは執務室のソファに寝転がっていた。
「あの、具合でも?」
「まさか。トリスタンがあんなに紙の山を押し付けやがってよ。面倒だからちょっと休憩してた」
寝転がったままアルヴィンが机の上を指差す。見ると、確かにこんもりと書類の山ができていた。
これは確かに大変かも、と思って書類の山を覗き込み、あることに気付く。
「ねえ、これって始末書じゃないの?」
「そうとも言う。俺に言わせれば髪の無駄遣いだ」
「そうなの?」
「当たり前だろ。書類上で反省してます、ごめんなさいって書いて何かいいことあるか?」
起き上がって隣に来たアルヴィンがバサバサと紙の山を選り分けていく。「そういうわけでこいつらは後回し」と紙の山の半分が消えた。
どっかり椅子に腰を下ろし、「で、おまえはどうした」と訊ねる。
「あ、昨日の・・・・・」
「ああ、報告書か。よこせ」
アルヴィンは書類を受け取り、さらさらとあっという間に署名をして返してくれた。それを受け取ると、アルヴィンの手が伸びてきてサラの後頭部にまわる。心臓が高鳴った時には、パチンと音がして髪留めが外され、ばさりと伸びた髪が胸元に落ちてきた。
「だいぶ伸びたな」
「これ貰ってから切ってないもの」
そう答えてから、これではアルヴィンに言われたから伸ばしたと白状したようなものだと気が付いた。しかし事実なのだから仕方ない。
彼は書類を読みながら、くるくるとサラの髪を指で弄び始めた。これでは立ち去れない。
それから随分と長い時間、彼はサラを離さなかった。というか、サラの存在を忘れていたかのように書類を読み続けていた。指は髪を弄んだままで。書類がなかなかあがってこないとトリスタンに急かされたリオンが様子を見に来るまでそれは続いた。リオンに髪を弄ばれているのを見られて、非常に居心地の悪い思いをしたが、アルヴィンは何とも思っていないようだった。