4 示された世界、示された力
大木と化した姫理の樹皮に手を置いたまま、晃は深呼吸を繰り返した。肩を大きく上下させ、目は閉じず、唇を震わせて『神』を睨む。混乱する思考はなかなか言葉を紡いでくれなかった。
『神』は目を細めた。
『あなたは物事の道理をわきまえた方です。今でも必死に感情を支配し、思考を整理しようとなさっている。素晴らしいことです。それではこう言い換えましょう。我がこれから話すことは、あなたがこの先を生き抜き、望みを叶える上での力となるものだと』
「望み……俺の望みはたった二つだ」
反射的に晃は言った。
「姫理を元に戻せ。そして、俺たちを元の場所へと帰してくれ。それ以上は望まないし、それ以外の力はいらない」
『ええ。存じております』
「存じております、だと……! 姫理をこんな姿にしておいて、よくもそんな」
『ですから、我の話をお聞きなさいと申し上げているのです。あなたの望みを我は理解している。それを叶えるための方法をお話しするのです』
口元に薄く微笑みすら浮かべた『神』を見て、晃は怒りよりも不安を感じた。見せしめのように姫理を変化させておきながら、その変化を解く方法をいかにも親切心があるようなそぶりで伝えようとしている。
この老人が何を企んでいるのか、わからない。
晃は正直に心境を口にした。
「俺はあなたを信用できない。あなたの言いなりにはなりたくない」
『そのように堂々と口にできるのは立派なことだと我は思います』
『神』は余裕の態度を崩さない。
『ですが、これはアキラ殿のご両親が辿ってきた道でもあるのですよ』
「父さんと母さんが……? どういうことだ。俺の両親に何の関係があるというんだ」
詰問してから「しまった」と思った。両親の話に食いついてしまったら、後の話をすべて無視するわけにはいかなくなる。案の定、『神』はとうとうと説明を始めた。
『あなたのご両親、タケル殿とヨリコ殿を、かつて我は転生させました。あなたが生まれる前のことです。そこでヨリコ殿は『世界樹』となり、タケル殿は愛する者を救う長い旅に出た。そう、ちょうどあなたとヒメリ殿のように』
「そんな話、すぐに信じろと言われても」
『体が弱くなっていたでしょう。あなたが生まれてからのご両親は』
言葉に詰まった。同時に首筋に嫌な汗が浮かぶ。
『彼らが打ち立てた輝かしい功績と幾千の努力に心打たれた我は、彼らの望みを叶えることにしました。ヨリコ殿を人へと再転生し、二人揃って元の世界へ帰したのです。ですが、そのためには大きな大きな力が必要でした。故郷へと帰還し、アキラ殿を生んだところで、彼らの体には反動が表れました。我も、彼らにはもう少し長く生きていて欲しかった。実に惜しい人物を亡くしました』
「……あなたは、俺の両親の死を知っているのか?」
『もちろんです。お伝えしたでしょう。あなた方のことはずっと見てきたと。タケル殿とヨリコ殿の存在は、ここ百年の間で我が世界に最も力を与えました。我に言わせれば、あなたは英雄の子なのですよ。アキラ殿。そして、英雄の子たる資質をあなたはしっかりと受け継いでいる。ヒメリ殿という最高の伴侶を得たことも含めて、ね。さて、ここからが大事な話になりますが、聞いて頂けますね?』
晃は拳を握り込んだ。『神』の言うことはどれもこれも現実離れしていて、容易には理解できない。姫理を樹に変えてしまった輩の言葉など、本当は聞きたくもない。けれどそれらをすべて突っぱね、否定し、目を背けるほど晃は子どもではなかった。
反抗の意味も込めて、挑発的に応じる。
「話してもらおうじゃないか。俺たちの未来をねじ曲げてくれたあなたが、どんな方法を提示するつもりなのかを。俺を納得させることができるなら、させてみろ」
『そのような物言い、できればあなたにはして欲しくありませんが、まあ良いでしょう。その怒りは先へと進むための力に変えてください』
そう前置きして、『神』は手にした杖を地面に突いた。
『すでにお気づきと思いますが、ここはアキラ殿が生きていた世界とは異なります。我が見守る世界とあなたが生きた世界との狭間と呼ぶべき場所です。そして、あなたとヒメリ殿にはこれから我が世界、クリスレグラへと移動していただきます』
「クリス、レグラ。あなたが見守る世界」
『どんな世界なのかは、実際にその目でご覧になった方がよろしいでしょう』
そう『神』が告げた途端、景色に変化が起こった。『神』が手にした杖の先端から、鮮やかな色彩が同心円状に広がっていく。眩しさに目を閉じた晃は、次に目を開けた瞬間息を呑んだ。
漆黒の空間は、雄大な自然と非現実の光景とに取って変わっていた。
遥か先には峻厳な山谷、眼下に広がる森林、雲ひとつ無い蒼穹、そして――空中に浮かぶ島々。まるで映画かアニメの一場面のように、『地球ではあり得ない光景』がそこにあった。
吹き抜ける風とともに、梢が揺れる音がした。姫理が変化した大樹が青々とした緑の大地に力強く根を張っている。よく見れば、樹の表面には先程までにはなかった淡い光が纏わり付いていた。五メートルほどある樹の全体がうっすらと光っているのだ。
『ここがクリスレグラ。あなたから見れば異世界になります。そしてこの樹が『世界樹』。世界を維持するために欠かせない存在です。この一本は、あなたの愛する人が姿を変えたものですよ』
頭に響く声に振り返る。『神』は何食わぬ顔で、晃から数メートル離れた場所に浮かんでいた。
晃は世界樹に手を触れた。がさりとした樹皮の感触の中に、どことなく温かさがあった。その温もりを姫理の気遣いと感じ取った晃は無意識のうちにつぶやいた。
「姫理。お前は、大丈夫なのか」
『今の状態では彼女と会話をすることは難しいでしょう。どうやらヒメリ殿も意識を取り戻したようですが、意志の疎通をするにはまだ力が足りません。彼女も、あなたもです』
「……俺は、何をすればいい」
『あなたに秘められた力を使うのです。この世界に対して』
『神』は杖を振りかざし、見渡す限りのパノラマを指し示した。
『アキラ殿の体にはご両親がの力の一部が宿っています。そしてその力はあなたが転生した際に凝縮し、『種』となって体内に形成されている。これに我の補助を加えれば、あなたはクリスレグラで唯一の『世界樹を植える人間』になれるのです』
晃は眉をひそめた。体内の違和感がその『種』によるものだとして、それが姫理を元に戻すこととどう繋がると言うのだろう。そもそも、世界樹が何なのかがよく理解できない。
「その世界樹を植えれば、姫理は助かるんだな」
『そうです。いいですか。ヒメリ殿を元に戻し、あなたとともに元の世界へ帰すためには莫大な力が必要になります。『魔力』と呼べばわかりやすいでしょう。この魔力は我だけでは溜めることができません。クリスレグラに根を張った世界樹のみ、魔力を増やすことができるのです。世界樹が増えれば魔力が増え、増えた魔力は我の力となり、我の力はあなたの願いを叶える糧となる。ご理解いただけますね?』
「結局はあなたに頼るようになるのか」
『そこは信じてもらうしかありませんな。あなたのご両親を実際に帰還させた我を』
晃は一度深呼吸をした。
「それで、どうすれば世界樹を植えることができる?」
『体内にある『種』の存在を感じるでしょう。そこに意識を集中させ、『種を少量削り取る』姿を想像しながら現出させるのです。これは実際にやってみた方が早く理解できるでしょう。さあ、ヒメリ殿の世界樹の根元へ『種』を植えてご覧なさい』
「わかった」
硬い声でそう応え、晃は姫理の世界樹の根元に跪いた。「感情を抑えろ。ここは耐えるんだ」と自分に言い聞かせつつ、『神』の言う通りにする。
目を閉じ、ゆっくりと呼吸すると胸の奥で心臓の脈動とは違う温かい存在を感じた。中心で一際強く熱を放つ部分を爪先でこそげる様子をイメージする。すると今度は両手が熱を帯びてきた。晃は器を持つように、胸の前に両手を掲げた。
体から力が吸い出されるような感覚。
瞼に光を感じ、固く閉じていた目を開ける。柔らかな、しかしどこか弱々しい光が視界に映る。晃の両手の中に、金色に薄く輝く小さな種が浮かんでいた。
「これが、世界樹の種」
『お見事。さすがです』
世界樹の種は晃の掌の上に浮遊し、ゆっくりと回転している。それを地面に移すと、種は根と根の間の地面に何の抵抗もなく沈んでいった。草に覆われた大地はライトアップされた水面のように薄ぼんやりとした光を残す。
次の瞬間、小さな芽が現れたかと思うと、まるで早送り画像のように急速に生長していった。感嘆の声を上げる晃の前で芽は育ち、一枚、二枚と葉をつけ――そこで生長を止めた。背丈は、ひざまずいた晃の目線ほどである。
晃が『神』を振り返ると、鷹揚なうなずきが返ってきた。
『丈が低いので『世界樹の苗』と言ったところでしょうが、今のあなたなら十分でしょう。おめでとうございます』
「これで姫理は元に戻るのか」
『まさか。この程度では必要な魔力量などとても賄えませんよ』
「じゃあ、あとどれくらい植えればいいんだ」
『そうですね。少なくとも現在クリスレグラにある世界樹を倍に増やすくらいは必要でしょうね』
「……その数は」
『およそ百五十本ほどです』
晃は顎に手を当てた。『神』の言うことだから、もっと法外な数だと思っていた。百五十なら一日一本植えていけば半年も経たずに目標を達成できる。
だが、大仰にため息をついて首を左右に振る『神』を見て、晃は希望を腹の底に押し込めた。
『世界樹を植える際の注意点は三つ。ひとつは世界樹を植えることができる土地が限られていること。ふたつめはあなたの能力には限りがあるということ。そしてみっつめは、世界樹を枯らす存在がいるということです。単純計算で事が済むほど簡単ではありませんよ』
「ふたつめまではわかる。けど世界樹を枯らす存在とは一体何なんだ」
『転生者です。あなたと同じように命を落とし、我の手で肉体を再構成した者たちですな。あなたの知己、タカヤマと言いましたか、彼も同様の存在です。彼らには重々、お気を付けくだされ』
「どうして。危険な生物がいるというのならともかく、なぜ同じ境遇の者を警戒しなくちゃならないんだ」
『彼らが世界樹にとって最大の脅威となり得るからです。まあ、これ以上のことはあなたがその目で確かめるのが良いでしょう。ああ、ヒメリ殿のことはご心配なく。ここはクリスレグラの中でも未開の聖地。しかも無数の浮遊群島のひとつに根を張っている。そう易々と侵入されません』
「……信じていいのか」
『信じるも何も、周囲はご覧のとおり難所続きの場所です。地図でもない限りは転生者と言えど踏み込んでは来ません。その分、これからこの一帯を抜けるあなたは苦労することになりますが、まあ大丈夫でしょう。今の肉体はあなたが考えるよりずっと頑丈になっておりますゆえ』
「それが転生の効果、というわけだ。あなたがあなたの都合で人の体を作り替えて」
皮肉を込めて言うと『神』は両手を広げて見せた。
『あなたは特別ですよ。その分、いろいろと他の連中と違う点が出てしまいましたがね。それからもうひとつ、あなたには贈り物をさせていただいております。我が創り上げた、転生者に対し絶対的な威力を持つ究極魔法です。必要な詠唱句はあなたの体がすでに覚えています。いずれ必ず、必要となる時が来るでしょう。反面、他の魔法は一切覚えられないようになってしまいましたが』
転生の次は究極魔法。もはやゲームだなと晃は思った。
どうしても確認したいことを尋ねる。
「『神』よ。あなたは、俺の味方か?」
『もちろんですとも』
『神』は続けた。
『クリスレグラであなたがどう生きていくか。期待して見させていただきますよ。そのためにあなたを呼び、語り、力を授けたのですから。あなたをずっと見守ってきた我を味方と言わず、何と言うのでしょう』
『神』の微笑みを前に、晃は全身の皮膚が泡立つ錯覚を抱いた。
『さあ、見せてください。この広い地平で、愛する者のために世界樹を創り出していくあなたの姿を、この我に』




