第一章 争奪戦(8)
穴だらけにされた床板、ズタズタに引き裂かれたお店の調度品の数々。中でも食器棚と照明器具に流れ弾が命中してしまったのは、大きな損失だった。両方ともガラス製品なので、破片が飛び散っていて後片付けが面倒だ。
マスターはいそいそと箒と塵取りを手に掃除を始めている。その一方で、ソージと春奈は商談を開始していた。
「それで依頼内容の確認だが――」
やっと本題に進められると、春奈は一安心した。
依頼の詳細について説明するように求められると、彼女はしばし言葉を濁らせた。しばしの沈黙。そしてなにやら意を決したかと思うとゆっくりと言葉を発する。
「あんたってさ、呪いとかって信じる?」
唐突にそんなことを口にしてみてから、やはり言うべきでなかったと春奈は思った。口にしてみると現実には有り得ないと悩みこんでしまう。しかし、このことが彼女の依頼に大きく関係している。
「……呪いか」
このペテン師のことだから、くだらない冗談の一つでも返してくるかもしれない。呪いの効き目はノロいのか? もしもこんなベタなことを口にしたら、その時点で依頼を断ろうと彼女は心に決めた。
しかし、ソージが返してきた答えは、彼女の予想の斜め上をいくものだった。
「呪いは専門じゃないな。超能力ならそこそこ知ってるけど」
驚きだった。春奈の暗い瞳が大きく見開かれた。
「マジ……?」
思わずそう口にしてしまう。
大抵の人は春奈と同じように、異能のチカラの存在をいぶかしむ。撃滅師という単語を知っていても、その本質が異能力者であることは知らない。
もっともソージはいままで何件もの依頼を処理してきているので、
「おいおい、疑ってるのか。これでも人気者(自称)の撃滅師なんだから、それくらいは知ってるって。世間一般には知られていないことだけどよ、この世界にはそれなりに異能のチカラって人間を扱えるやつがいて、そいつらのほとんどが撃滅師を生業としてるんだぞ」
あっけらかんとしている春奈に対し、ソージはごく当たり前のことを伝えるような調子だった。そして不思議と彼女は、それを自然に受け入れてしまいそうになりながら、それでもなんとか思いとどまった。……いや、超能力者などいるはずがない。
「あんたってさ、詐欺師なのよね?」
「……俺は撃滅師だ」
「でも『死んだフリ』とかいって、本当は銃弾が込められてなかったんでしょ!」
「なわけあるか! こんだけ店をぶっ壊しておいて」
「でもそんなこと……。信じれるわけないでしょ!」
「おまえが信じる信じないに関わらず、俺は超能力者なの」
ペテン師のくせに、ウソをついているようには見えない。いや、ペテン師だからそう見えるのか。春奈はソージの顔を凝視すると、彼は彼女と視線を合わせたまま口を開く、
「さっきの見せただろ。おまえが撃った銃弾は間違いなく俺を貫くはずだった。……だが、おまえの放ったその銃弾はここにある」
ソージの手中には、弾芯部分が剥き出しになった真鍮製の弾丸があった。弾頭部分がわずか歪んでいたが、形状はほぼ原形を留めている。
「それを見て信じろっていうのっ! そんなビックリ人間芸みたいなものを見せられて、わたしが『あらあら、超能力って実在したのね。凄いわ』、なんて誉めるような人間に見えるわけっ!」
馬鹿にされたと思った春奈は、逆上し怒鳴り散らす。
それでもソージはいままでいろいろなクライアント抱えてきたため、この程度では腹を立てることなく辛抱強く説得にかかった。
「……わるいな。ちっとも見えない。むしろ、論理的な思考をかき乱されて怒る理系タイプに見える」
「わかってるなら、もうちょっと噛み砕いて話しなさいよ」
一応のところ、信じようとしてくれてはいるんだな。彼はクライアントの心境の機微を感じ取ると、詳しい説明を大きく省きながら、
「おまえには理解できなかったかもしれないが、まあそういうものだと思ってくれ。俺は風を自由自在に操ることが出来る超能力者だ」
なぜ超能力が使えるかなど、使えるから使えるのだとしか答えようがない。それに自分がいくら説明したところで、この手の人間は自分が体験したことしか信じたりはしないはずだろう。
「そんなこと……。ニュースじゃなにも言ってないわよ」
「……世界中の何割かが異能者だなんて、ニュースで報道されるわけがないだろ。大抵の場合はチカラに覚醒した時点で政府機関から声がかかる。そこで説明を受けて、守秘義務の書類にサインさせられるんだよ」
もっとも俺は平然とバラしてるけどな。
そうしなければ、仕事に差しつかえてしまう。
「じゃあ、あたしにもそういう素養があるかどうかとかわからないかしら?」
春奈が受け入れたからどうかは不明だが、とりあえず前向きな質問だ。
「どうした……。なにか心当たりでもあるのか?」
「うんと……。その……ね……」
どこかぎこちなく弱々しく動く唇で、彼女がなにかを呟いたとき、ソージは一瞬だけ考え込む顔をした。しかしすぐに平静さを取り戻すと、
「モノリスに狙われる能力……ね」
ソージはなにやら神妙な顔をすると、
「もしかしておまえって《悪魔憑き》とか?」
「なによ、それ?」
「俺もよくわかんねーけど、モノリス・ハザードに苛まれる確率が、異常に高くなる超能力のことだよ。たぶん、都市伝説の類だろうけどな」
からかうような口調でソージは語りかけた。暗にそんな超能力など存在するわけがないと示唆している。
だが、春奈は違うようだ。
「上手く説明できないけど、あたしってそれかもしれないのよ。ハザードに見舞われるたびに引っ越しを繰り返してるんだけど、三連続で引っ越し先にモノリスが出現してるのよ。三連続よ、三連続っ! 友達の何人かが《化身》に遭遇したらしくて、それで……」
《化身》に遭遇したなら、その友達に待っているのは残酷な運命だろう。なんのチカラもない一般人が素手で戦って勝てるような相手ではない。
「ああ、その先はいい。俺は現場メインで仕事してきてるから、大体の察しはつく。その、なんだ……辛いめに遭ったんだろうな、おまえの友達。避難の遅れがそのまま死に結びつくのがモノリス・ハザードだから」
そう言いながら少し考えて、ソージは春奈の心に闇が存在していることに勘づく。彼女の依頼内容とはおそらく復讐だろう。暗い瞳をしていることからも、そのことが類推できる。だが、それは救いようのない結末しかもたらさないだろう。どれだけ復讐してもそのココロは満たされることなく、さらに復讐相手となる《化身》は無数に存在する。そして狂気で我を失った人間はいづれその身を滅ぼす。
僅かに同情しながら、ソージは言う。
「……でも、かたき討ちならやめておけ」
予想外の言葉に、春奈の目は大きく見開かれた。なぜ自分の考えが見透かされてしまっているかわからないのだろう。
「現場メインで仕事してるって言ったろ。クライアントによっては、そういう依頼もある。もちろん人間相手じゃないから、《化身》を倒しても罪に問われるどころか、感謝されることこのうえないぜ。だけどな、素人が戦っても返り討ちにあうだけだ。敵は人を殺すことに特化した存在だからな」
大抵この手のクライアントは、自分の手で復讐することを望む。自らの手を《化身》の体液の色に染め、愉悦し、歓喜し、最後に狂喜する。そしてそこから僅かずつ、だが確実に運命の歯車が狂い始めるのだ。
「でも、あんたたち撃滅師はそのモノリスと、ここ百年戦い続けてるわけでしょ。だったら、ノウハウの蓄積だってあるはずよ。それさえ教えてもらえたら、あたしにだって――」
そう言いかけた春奈の言葉を遮るようにして、ソージが険しい顔をした。そして陽気な口調とはかけ離れた深刻な雰囲気でこう言った。
「おまえは人間を殺したことはあるか?」
そのあまりの変わりように、春奈は一瞬目の前の人物が全くの別人になってしまったのではないかと疑ってしまう。緊張が場を支配した。さきほどまでの穏やかさなど微塵も感じない。それだけの威圧感を正面の撃滅師は放っていた。
「な、なによっ! それとこれとは全然――」
困惑と虚勢の入り混じった声を出すが、すぐにソージに遮られる。
「あるか?」
「……ないに決まってるでしょっ!」
なぜだかわからないが、彼女は自分が間違いを犯した罪悪感に捉われた。その根源的なものに気づくことができるほど、彼女の人生経験は豊富ではない。ただ、なんとなく間違ったことをしようとしていると、教えられたような気がしたのだ。
取り乱す春奈に、ソージは告げる。
「戦場ではさまざまな戦術が用いられるし、地形や地域によって独自の戦法が存在する。モノリスは人口密集地に出現することが多いとはいえ、その存在の解明すらされていない未知の存在だ。人類は《化身》百年ほど戦い続けているようだが、その正体すらわかっていないんだぞ」
赤ん坊を諭すかのように彼は語りかけた。
「そんな曖昧な存在に、戦いのイロハなど存在しない。まず相手を分析して、その特徴を判断して、命を懸けて弱点と思われるところを突く。運良くそれが弱点で、攻撃が成功したなら、生き残ることができる。失敗したら、それでお陀仏だ。素人が簡単に首を突っ込めるようなもんじゃない」
静かに怒っているようなソージの言葉遣いに、春奈は少なからず委縮した。どうやら目の前の少年が撃滅師であることは疑いようがないらしい。そうでなければ、この幾重もの修羅場をくぐり抜けてきたような迫力が説明できない。だとすると、超能力者であるというのも本当ことだろう。それなら今回は食い下がるしかないだろうか。……いや、他にもまだ復讐する方法はある。
「じゃあ、依頼内容を変えるわ」
ケロッとした調子で春奈は言った。
「あたしはこれでもモノリスに狙われるという自信があるの。そしてあたしはもう誰も友達を失いたくない。指定した日まであたしの護衛を依頼するわ。モノリスが現れても、現れなくても報酬は指定された口座に振り込みます。……これならどう?」
護衛依頼なら、これといって断る理由も見あたらなかった。目の前の人物がたとえ『生きる都市伝説』であったとしても、伝説は伝説だ。モノリス・ハザードに巻き込まれるなどというものは、あくまで可能性の問題に過ぎない。それにあわよくば何も苦労することなく、大金を手にすることが出来るだろう。
この契約が終了するのは、今日からちょうど一週間後。大事な妹の誕生日の前日だ。護衛依頼終了とともに報酬を口座に振り込んでもらえば、奈々がほしいものはどんなもの買い揃えることができる。これといって断る理由が存在しない。
上機嫌になったソージはそそくさと契約書を作成し、書類にサインを求めた。そうして、彼らのパートナー契約は成立することとなったのである。