第四章 From Venoms to Drugs(6)
鷹鶴奈々は虚幻世界を駆け抜けていた。
まっすぐ前だけを見て、決して後ろを振り向かず。
彼女が信じるのは、ソージとその仲間たち。
自分が戦闘に巻き込まれないように、最善の措置を取ってくれたからこそ、彼女はその信頼に応えたかった。
不意に物陰から黒い影が姿を現した。小学生くらいの体長の小型モノリス。《グレムリン》だ。鋭利な刃物ような爪をこちらへ向けてきた。
(ここで足を引っ張るわけにはいきません)
彼女は恐怖を臆面にも出さず、冷静に周りを見渡す。これで四回目なのだ。泣き言ばかりではいられないし、まして脅えるなどもってのほかだ。わたしの両親はチカラがあるから《化身》と戦ったのではない。強いから《化身》と戦ったのではない。
大事なものを守りたいから、背中を見せずに戦ったのだ。
奈々は真横から襲いかかる《グレムリン》の爪を、横っ跳びして避ける。撃滅師でない彼女は反撃するどころか、不十分な距離しか離れることができず、さらに敵に追い打ちをかけられた。制服やスカートが紙のように、やすやすと引き裂かれる。
それでも、恐怖のあまり涙を流すなどの見苦しい真似はしない。泣き叫んでも敵は容赦しないし、助けてくれる人など近くにいるわけがない。
(わたし、あきらめませんっ!)
ソージたちの配慮に応えるために、奈々は必死に背中を向けて走った。そうすることが彼女の戦いであり、仲間たちの信頼にこたえることに繋がると信じて……。
足がもつれそうになる。息が苦しい。吐き気がする。
それでも前だけを向いて走った。後ろからは《グレムリン》がいまだに追い駆けてきているのだろう。その気配と足音が絶えることがない。敵との距離はどのくらいだろうか。気になる。後ろを振り向けばわかる。だが、わかってどうなる。そんなことをしてどんな意味があるのだ。
(ただ前だけをみればいいんです)
振り返ることなどいつでもできる。後悔などは死んでからでも遅くはないくらいだ。もっとも死ぬつもりはない。わたしはみんなの期待に応えたい。そして現実世界に帰って、彼らを待ち続けるのだ。
それがわたしの戦いだ。
大急ぎで駆け抜けた曲がり角。その先の交差点には、待ちわびていた黒い直方体があった。モノリス。1・3・9で構成される暗黒物質の集合体。奈々は大急ぎでそれに触れた。人類の天敵である《化身》の魔の手から、人間である彼女は逃げることで勝利を得たのだ。《グレムリン》の鋭利な爪が彼女の胴体を貫くように思えたそのとき、その姿はすでに虚幻世界には存在していなかった。