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撃滅師物語  作者: ぺぺぺぺぺ
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第四章  From Venoms to Drugs(3)

 現実世界への道程は長く険しいものとなった。

 撃滅師の三人はともかく、春奈も奈々もふつうの人間だ。当たり前のことだが、常識をはるかに覆すような身体能力は持ち合わせておらず、跳躍力にも限りがある。

 仕方なくソージと時雨で、奈々と春奈を抱きかかえて移動することにしたのだが、これが相当効率が悪く、手間どらせていた。

「……くっ!」

 屋上から屋上へと移動する最中に、時雨が着地に仕損じそうになる。目標にしていた着地地点から下方四メートルほどズレて、ビルの壁面に激突しそうになったのだ。ソージが慌てて風を操らなければ、今ごろは大惨事だっただろう。

「ふぅ、危ないところだったな」

「……すまない。助かった」

「ここいらで少し休憩しようぜ。風使いの俺でさえも疲れてるんだ。時雨が疲れるのも無理ないさ」

 フォローしたソージの方も、いまのは肝が冷えたようだ。

 そもそもこの移動方法には無理があるのだが、それでも地面を歩くわけにはいかないので仕方がない。彼は奈々をゆっくりと屋上に降ろすと、なにやら気難しげな表情をしている時雨のもとに詰め寄った。

「どうかしたのか?」

 これでみんな無事に帰れるというのに、時雨は浮かない顔だ。

「(ああ。問題が発生した)」

 彼女は声を潜めて言う。

「(森崎の顔色が優れない。様子を見ながら移動していたのだが、尋常ではない衰弱の仕方だ)」

 それを聞くとすぐに、ソージは春奈の様子を見に行く。

 奈々がさりげなく春奈についていたようだ。どこかしら冴えない表情をしている春奈に気づいたのだろう。彼女の顔は上気していて、呼吸が浅く早いものになっていた。風邪の類だろうか。

 ソージは遠目で様子をうかがってみたが、それとは一線を画すことに気づいた。

 顔が本当に気の毒なぐらいに上気し、呼吸はかなり浅いものを数回に分けてしている状態だ。言葉にこそは出さないが、おそらく尋常でない寒気も感じていることだろう。

「(昨日は問題なかったのか?)」

「(ええ。なんともなかったはずよ。……いや、ちょっと待って!)」

 凛に尋ねると、彼女はなにか心当たりがあるかのように春奈のもとへと駆け寄った。

 そして春奈の手や足をつねったりしてなにかを確かめたりしている。そしてすぐに、ソージのもとへ駆け寄ってきた。

「(手足の自由が利かなくなってきてるし、筋肉痛にも似た痛みを感じるらしいわ。それに浅く早い呼吸。……これって筋肉毒の類じゃないかしら。昨日の《ヨルムンガンド》との戦いのとき、毒霧を使ってきたのを覚えてる?)」

「(ああ。だけどあれは、経口性の神経毒じゃなかったのか? キングコブラの毒みたいに相手を身動きさせなくするだけの毒のはずだろ。吸い込みさえしなければ、毒にかからないはずだし、なによりかかったとしても、即効性があって身動きできなくなる症状だったはずだよな。筋肉毒ってなんなんだよ?)」

「(発熱や目眩を伴って内側からじわりと獲物を苦しめるための毒よ。ウミヘビの毒……っていってもピンとこないわよね。神経毒に筋肉を溶かす毒が加えられたものと考えてちょうだい。いまの春奈の症状はそれを酷似している。わたしもそれなりに毒を扱うタイプだから、ある程度判断はできるわ。あれは多分、遅効性の筋肉毒。それも経皮性の――)」

「(経皮性って皮膚から毒に犯されたっていうことか。なんでそんなことがわかるんだ?)」

「(デカブツから逃げるときに、春奈が毒霧にかすめるようにしてたのが見えたのよ。あのときはなんともなかったし、息をとめてたって言ってたから問題ないと思ってたの。でも、この症状を見たらそれが原因だったとしか考えられないわ)」

「(……くそっ! 俺のせいだって言うのかよ!)」

「(いえ……、あれはあたしがなんとかするべきだったのよ)」

 二人で責任を痛感していたとき、時雨が割って入った。

「(おちつけ、責任のなすり合いなどしているときではないっ!)」

「(してねーよっ! むしろ、責任をお互いに認め合ってたときだっ!)」

 時雨は微かだがそれらの反応を受けてふんと鼻を鳴らした。

「(ふむ。それだけの元気があれば問題ない。打開策を練るぞ)」

 こいつ、やっぱりジョークのセンスが芽生えてやがる。ソージはすこしだけ余裕を取り戻した。まさか、こんなときに口にされるとは思わなかったぜ。

「(俺の所持品にこんなのがあるんだけど、なにかの役には立たないか?)」

 ソージがポケットと懐をひっくり返してみせたのは、懐中電灯に加えて、喫茶店で入手したオカルト関係のグッズだ。フラスコに残された緑色をした謎の液体、カエルの足の燻製のようなもの、何語で書いてあるかすらわからない魔導書、一角獣ユニコーンの角らしきものなど。魔術師でないと、その価値が湧かないシロモノばかりだ。

 漁っていた凛が目を輝かせた。

「(あんたって、なかなかいいセンスしてるわ)」

「(イケるのか?)」

「(まずはじめに、これはホンモノの一角獣の角よ。魔術的価値は治療薬として十分にある。エチオピア産っていうのが少し残念なところだけど、これは治療に使える。それから――)」

 凛は説明を続けてくれた。それによると――

 エチオピアには一角獣なるものが存在するかどうかはさておき、緑色の液体はなんらかの爆発物の一種であること。魔術書はケルト語で書かれていて、神道式の凛には、まったく読めない無価値なものであること。カエルの足の燻製のようなものは、そのまんまであったことなどハズレばかりだった。……だが、一角獣の角ばかりは本物のアタリだ。

「(とりあえず、これがあれば当分は大丈夫だと思うわ。粉末にして祈りを捧げるだけでも、あたしなら魔術的に効果を持たせることができる。でも一番の問題は、春奈を蝕んでいるのが《ヨルムンガンド》の毒っていうことよ)」

 その言葉を聞いたときは、さすがのソージも言葉が出なかった。

「(お察しの通り、《ヨルムンガンド》は複数の種類の毒をその身に宿す毒蛇ヴァイパーの類よ。春奈の体内には他にもなんらかの毒が潜んだままになっているかもしれないし、もう発病しているかもしれない。現実世界にこのまま戻ったところでも、こればっかりは手の施しようがないわ)」

 医者には治療不能だということだ。

 毒にも魔術にも精通している凛が言うのだから、間違いないだろう。

「(でも可能性がないことはないわ。あたしの神道式祓魔術なら、八百万の神に祈りを捧げるというプロセスだけで魔術的効能を持たせることができる。《ヨルムンガンド》を倒せば、確実に治療することが可能だし、最悪の場合はその血液を採取することでも可能性はなくはないわ)」

「(あのデカブツを倒す……ね。正直俺もやられっぱなしはよくないと思っていたところなんだよな。どうもあの図体ばかりがデカイくせに、偉そうに上から俺を見下しているのが気に入らなかったんだよ)」

「(わたしも賛成だ。見ろ、この〈騎竜〉の装甲はあのデカブツにへこまされてしまったんだぞ。これでは〈蒼い死神〉の面目丸つぶれではないか。それと率直に言うと、わたしは現実世界に戻ったあと、ひとりであいつと戦うつもりだった)」

「(それは奇遇だな。俺もぶっちゃけ言わせてもらうと、おまえが戦いに行くと思っていたから、あのデカブツを倒したときに、おまえから《核石》をかすめ取らせてもらおうと算段を練っていたところだった。春奈の依頼はともなくとして、凛からの依頼をキャンセルしたわけじゃないしな)」

「(あたしも正直に言わせてもらうと、あんたたちがそう動くと思っていたから、この前のようにソージからまた奪わせてもらうつもりだったわ。そのために今日は魔力の消費も大分抑えていたの。いまなら〈シャリーン〉スペシャルだって召喚できるわ)」

 三人ともそれぞれの顔を見渡した。

 誰一人として、諦念を浮かべている顔ではなかった。

 《ヨルムンガンド》を倒すことも。

 そして春奈を救うこともだ。

 こんな状況にもかかわらず、不意にぷっと吹き出して笑いだしてしまう。

 そして腹を抱えながら、馬鹿笑いする。


“一体おまえら、どこまで本気なんだ? もっとも俺は最初から最後まで本気だけどな”


 このような状況にもかかわらず、みんながそんな顔をしていたからだ。

 ソージたちが気づくと、顔をむっとさせた奈々が傍らにたっていた。

 どうやら誰一人として春奈の看病につかず、陰でなにやら相談していると思いきや、急に馬鹿笑いしたのが逆鱗に触れたらしい。

「ソージ、おまえの参加は後回しだな」

「あんたは、まず奈々ちゃんを現実世界に送り届けなきゃね」

 二人から言葉を受けて、ソージは困惑する。

「そりゃそうなんだけどよ……」

 彼にしては珍しく歯切れの悪く、『世界は俺と妹に奉仕するためにある』がモットーの男とは思えない反応だった。そしてその傍らに立つ奈々は、なにやら事情を察したようで固唾を呑んで彼を見守っていた。

「気にするな。わたしたちはこれでもAランクの撃滅師だ」

「そうそう。簡単にやられちゃうような小物じゃないことだけは、たしかよね」

 仲間二人は、あたたかい言葉をかけながら『行け』という。

 ふだんのソージなら、喜んで行くところだろう。

 彼が撃滅師を生業とするのは、全て愛する妹のためのだから。

 だが今日の彼は違う。その顔には、はっきりとした逡巡が見て取れる。

 春奈が自分のクライアントであるから放っておけないなどという、そんなシンプルな理由ではない。もっと複雑であたたかい何かが、彼の心を優しく包み込むようにして絡みついてきた。

「みんな……。すまない」

 それだけ言うと、彼は奈々の手を引っ張ってその場を離れた。それ以上そこに留まってしまうと決意が揺らぎそうだし、なによりも涙が出てきそうでイヤだったからだ。

 ソージは春奈のもとへと詰め寄った。屋上の剥き出しのコンクリートに横になり、なるべくラクな姿勢を心がけているようだ。あるいはそうする他ないほど、衰弱が激しいのか。

「調子はどうだ?」

 穏やかに声をかけてみたが、春奈はなにも答えない。

 苦しそうに、それでも必死に浅い呼吸を繰り返すだけだった。

 奈々が優しく春奈の手を握った。少しだけ春奈の苦痛が和らいだように見えた。だが、またすぐに彼女は苦しい表情を取り戻す。

「奈々。お兄ちゃんとこれから現実世界に帰るぞ」

 後ろに立つ妹に彼は話しかけた。

 奈々は怪訝な顔をして兄を見た。

「おまえがここにいても、春奈の病気はよくならない。それにこれから凛と時雨がやろうとしていることにも、おまえは協力することができない。それどころか、ここにいたら危ないかもしれないんだ。言っていることの意味、わかるよな」

 ソージはしゃがみ込んで奈々に言い聞かせようとした。

「お兄ちゃんとおまえはこれから現実世界に帰る。それまで春奈の介抱は、時雨と凛が請け負ってくれる。そしておまえを現実世界に帰してから、お兄ちゃんもここで戦う。それなら、おまえも納得するはずだろ。……それなのに、どうしてなんだろうな」

 ソージはどこか苦しそうに言う。

「どうしてそんなに涙を浮かべてるんだっ!」

 果たして涙を浮かべているのが実際のところ誰であるのか。春奈にはよくわからなかった。ソージが声をかけてきてくれて、奈々がいまも手を握ってくれている。そのことだけはわかっていた。

 だけど、どちらが涙を流しているんだろう。

 鼓膜に届くソージの声は震えているし、いまなおあたしの手を握り続けている奈々ちゃんの手も同じくらいに震えているんだけどな……。うっすらと瞼を開けて確認しようとしたんのだが、視界が霞んでいてそれが誰なのか識別できなかった。

 ねえソージ、聞こえてる?

 あたしは大丈夫だから、奈々ちゃんと早く帰りなよ。

 あんたにはもったいないくらいのいい妹なんだから、泣かせたりしたらダメだよ。

 声にはならない声を森崎春奈は伝えようとしていた。

 そうしたら、いままで聞いたことのない声が耳をついた。

「…………………だよ」

 とても小さくて、発音も曖昧で上手く聞き取れない声。

 その声の主が誰なのかは本当にわからなかった。

 でも、なぜだろう。不思議と心安まる気がした。

「…………だい………………じょぶ」

 病魔が少しだけ和らいだと思った。

 体中を蝕んでいた痛みが急速に薄れていく。

 どうしてこんなにチカラが湧いてくる気持ちになるんだろう。

「…………………けて」

 ソージがごくりと唾を飲み込んで音がした。

 この声はそんな音で消え入りそうなくらい微かな音。

 でも、とてもあたたかく優しい音色。

「…………たす………………けて」

 誰を助けてほしいと言っているかはよく聞こえなかった。

 けれどこの声が助けを求めていたら、いつでも助けに行きたくなってしまう。

 そんな感じの守ってあげたくなる声。

「…………はるな…………………おねえ…………………………………ちゃんを………………………………………たすけて…………………………………ちょうだい……………………………そうじ…………………………………おにい……………………………………ちゃん」

 この言葉が聞こえていたころには、森崎春奈の意識がなくなっていた。だが彼女の顔は安らかで、とても大病に冒されている状態には映らなかった。そんな森崎春奈のことを包み込むかのように、屋上では優しくあたたかい風が吹いている。それから僅かな沈黙のあと、

「……すまない」

 ソージの震えている声がした。

 そのままおずおずと彼は、

「おまえのお兄ちゃんは、お兄ちゃん失格らしい」

 と言い放った。

 これはいままで理想の兄を演じてきたソージにあるまじき発言であり、それからすぐに俯いた。彼がどんな表情をしているのかは、本人にすらわかないだろう。向い合っている奈々にも、おそらくそれはわからないはずだ。なぜなら彼女もソージ同様、俯いているのだから……。

「これから急な用事が入ったから、おまえはこのままここで……いや、おまえなら、ひとりでも出口まで歩いていけるよな。ここいらはあのデカい蛇の狩り場になっているようだから、ほかの《化身》と遭遇する確率は極めて低い。ゼロとは言い切れないけど……、ひとりで帰れるよな。俺たちが派手に暴れまわっているときには、後ろを振り向かずに走れ。おまえは俺の妹だから、約束できるよな」

「…………うん」

 彼女言葉が遅れているのは、不慣れなせいだけではないだろう。

 鼻をすする音が聞こえてくるのは、どうしてだろうか。

 なにかしゃくり上げた調子なのは、なぜなのだろう。

三年と四一日ぶりに聞いた彼女の声は、予想していたよりも――少し高く、想像していたよりも――ずっとたくましく、凛凛しくなっていた。


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