第四章 From Venoms to Drugs(毒をもって毒を制す)(1)
時は少し遡る。
二日目の夕方。ソージたちは屋上伝い屋根伝い、とにかく地面から離れた高所を移動して、街の中心からやや離れたところにある古ぼけた喫茶店を目指していた。
時雨が不満を漏らす。
「なぜこんなに……、こそこそ移動しなければならない」
ビルの屋上から大きく跳躍して、林立するビルの屋上へ着地すると、さらに手頃な建築物の屋上へとソージと時雨は跳ね回っていく。常人が目を疑うようなこの光景は、どこか現代に生きる忍者を彷彿させた。獣道を凌駕するこの悪路は、歩きづらいことだけは確かだった。
「貴様は風を操れるからまだいいが、わたしは落ちたら死ぬんだからな」
そんなドジを踏むほど間抜けではないが、肝を冷やしていた彼女は自ずと厳しい口調になる。
「しょうがねーだろ。喫茶店につくまではなるべく高い所を移動した方がいんだよ」
「だからその理由を訊いているんだ。現場の兵士として情報を要求している」
「そうだな。これは推測なんだけど――」
推測なんかでこんなことをしていたのかと、時雨は顔をしかめた。正直に言うと、高いところはあまり好きではない。高所恐怖症というほどではないが、嫌いだ。
「……すまない。続けてくれ」
彼女のしかめっ面を見て、彼は怪訝そうな顔をしながら、
「《ヨルムンガンド》は、あの巨体を隠すために下水道を使って移動しているんだよ。俺たちが高所を移動していても、やつの姿を確認できないのはそのためだろうな。つまり、俺たちから確認することができないってつーことは、向こうからも俺たちの確認することができねーっていうことだろ」
「それで屋上伝いに移動しているわけか。……だがおかしくはないか? なぜ《ヨルムンガンド》は地下に潜っているというのに、地上にいる人間を襲うことができるんだ? 目視できないはずだろう」
「ああ。それか。さっき現実世界に戻ったときに、ネットで調べたんだが、ヘビにはピット器官って呼ばれる、赤外線センサーみたいなのが、目と鼻の間辺りにあるらしい。それを使って、地下からでも地上の人影を認識することができたんだろうぜ」
「なるほど。つまり我々はいま敵のレーダー網の監視をすり抜けている最中だというわけか。このような原始的欺瞞手段で無力化されてしまうとは、敵は己のシステムを過信しているな。目視での監視を怠るとは、愚かなやつだ」
一旦言葉を区切ると、時雨は精悍な顔つきになる。
「わたしが教官ならば、そいつの鼻の穴にシャープペンシルをぶち込んで、窒息死させているところだ」
どこかで耳にしたことがある台詞だなと、ソージは首を捻った。
「おまえが言うと妙に小難しく聞こえるが、まあそういうことだ。……それで、ちょうど俺たちはお目当ての地点に到着したところ」
喫茶店付近に《化身》の姿がないことを確認し、民家の屋根から飛び降りる。
やはり地面に足が着いている方が落ち着くといった顔をしているのは、ソージも時雨も同じだった。縦横無尽に移動することができる風使いの彼も、高いところはあまり得意ではない。
店の中に入ると、呼び鈴がチリンチリンと音を奏で、レトロでシックな内装が広がるのは相変わらずだった。
時雨が店内を興味ありげに見回している。どうやら、こういう小洒落た喫茶店で食事することは滅多にないらしい。どちらかといえば体育会系に近い彼女は、がっつりしたメニューのある店でひとりぽつんと食事するタイプに見える。いや、そもそも外食なんてするのだろうか。
「ここが喫茶店というところか。とても安全そうな造りだな。窓には防弾ガラスを二重にしてはめ込んであるし、店内のあちこち防犯センサーが取りつけてある」
そう言ったあと、時雨は顔をしかめた。
「……むっ。どことなく硝煙の臭いがするな。それに床板には小さな穴が空いているぞ。これは……弾痕だ。闇取引にも使われるのか? まさか、ドラッグなどを扱っている店ではないだろうな。もしそうなら、ソージ妹の健全な成長のために、貴様をこの手で――」
曖昧な知識しか持ち合わせていないようだが、この店のセキュリティレベルの異常さに気づいたようだ。この喫茶店の真の商品は、銃火器やオカルトグッズなどで、それにまつわるトラブルもしばしば起こる。ちなみに床板のその弾痕は、春奈が犯人だ。
「は、はやまるなよ。ここはたしかに物騒な商品を扱っている店だけど、マスターは気さくなじいさんだ。たとえ現実世界じゃないにしても、この店の中で騒ぎを起こすのは俺の主義じゃない。それに爆発物も扱っているから、ヘタしたらふたりともあの世行きになっちまうからな」
カウンターを乗り越えたソージは、その裏側に並べてあった木製の箱を足で小突いた。警告とドクロマークが描かれたその箱は、おそらく弾薬箱の類だろう。
しげしげと時雨は眺めながら、
「こんな庶民的な店で爆発物を扱う神経が理解できんな。危険物取扱法違反どころのでは済まされないぞ。わたしなら即刻警察に通報している所だ。ヘタしたら、店と客ごとドカンだぞ。貴様は頭のネジが外れているのではないか?」
……おまえにだけは言われたくないっ!
そう怒鳴りつけたくなるのをソージはぐっとこらえる
「そう固いこと言うなって。そんなマスターがいるおかげで、俺たちはこうして補給にありつけるわけなんだから。……あったぞ。たぶん、これ全部だ。片っ端から中を確かめて、あの蛇に効果ありそうなやつは全部持っていくぞ。出来る限り、有効活用するべきだからな」
ソージが足で蹴っていた箱には、製造元不明の対戦車ミサイルがニ発押し込められていた。似たような箱があと四つあるから、時雨の弾薬補給は問題ないだろう。
「……信じられない。これは、最新式のジャイロセンサーを搭載した歩兵用の携行ミサイルだぞ。日本政府がいまだにアメリカからライセンスを取得できずにいる優れものだ。いったいどうやってこんなものを入手したんだっ!」
「ああ、それのことか。それなら簡単だ。ジャイロセンサーっていうのは、要はICチップだろ。たしかにミサイル自体を輸入する場合は、税関の検査でアウトになるんだけど、ICチップとしてなら、税関の検査でも気づきにくいわけだよ。それをラジコンのヘリに搭載してアメリカから輸入したら、問題なく入手することができたわけだ。使われる技術は同じだからな。あとは日本でそれをミサイルに組み込んだだけのことだよ」
「……やけに詳しいな」
「まあ、カネ儲けとあっちゃ、俺も一枚噛ませてもらっているからな。マスターが言うには、俺はこの店の『上得意様』らしい。だから、こうやって多少の便宜を図ってくれたわけだな。業突張りのじいさんなら、誰かの得になるようなことは、口が裂けでも教えないだろうぜ」
実際のところ、そのジャイロセンサー――ミサイルの姿勢制御チップの密輸方法を編み出したのは、この男だった。
武器弾薬の類に加えて、フラスコに残された緑色をした謎の液体、カエルの足の燻製のようなもの、何語で書いてあるかすらわからない魔導書、一角獣の角らしきものなど、オカルト関係の品物もわんさかあった。
(こういうのは、値段が高そうなやつのほうが効果ありそうだな)
魔術的な知識は持ち合わせていなかったが、ソージは適当に高く売れそうなものだけを見繕うと、それを持てる限り所有する。実用的かどうかよりも、売れれば高そうというのが彼の選択基準だった。
それと店のすぐ傍のマンホールの蓋をはずし下水道の中を確認すると、付近一帯を軽く吹き飛ばせそうな程の爆薬があり、そこに店から持ち出せない爆発物の類も一緒くたに放り込んでおくことにする。もしかしたら、なにかの拍子に《ヨルムンガンド》が自爆してくれるかもしれないという、一パーセントにも満たない願望のを抱きながら。
それら一連の作業が終えたときには、もうすっかり日が落ちていた。
彼らに店の中に備えられていたマグライトの灯りを頼りに作業していたのだが、肉体労働が大嫌いのソージにとって、弾薬箱を運ぶことはもの凄い苦痛を伴った。それでもなんとかその作業を終えたあと、彼らはしばしの休息を取ることにした。