第三章 結ばれゆく者たち(4)
「逃げるぞっ! このままじゃ全滅する」
時雨の鋭い声は、彼女の視線の先にいる人物にも届いているはずだった。
「聞こえているのか、ソージ。貴様も逃げるんだっ!」
しかし、彼は立ち尽くしたままだ。
無念そうな表情で唇かみしめて、濃厚な煙の向こう側を眺めながら。
「くそ……っ! あっちに奈々がいるっていうのに……」
つぶやくようにそんな言葉を口にした。
「落ちつけ。……この程度のことで死ぬようなやつらではない」
「だけどっ!」
「ええぃ! 日本男児たるもの、シャキッとしないかっ!」
歯切れの悪いソージの頬を、時雨は軽くひっぱ叩いた。それでも〈騎竜〉にパワーアシストされたため、彼は口の中を切ってしまったが……。
「な、なにすんだよ……っ!」
猛烈な抗議を開始しようとするソージ。
その視線を受けても、時雨は平然としていた。
「向こう側には、神宮司凛がいる。わたしと同じAクラスの撃滅師だ。ソージ妹もきっと無事だろう」
「当たり前だ。……うちの聡明な妹がこんなところで野垂れ死ぬわけがないだろう」
どうやら抗議する前に、機先を制されてしまったようだ。
「なら、とっとと逃げるぞ。この子供を現実世界へ送り届ける方が先だ」
「……わかったよ」
ソージたちは中心部に向けて駆け出す
それでも彼は走りながら、半身になって後ろを見ようとする。
「気持ちがわかるが、いまは我慢しろ」
「……ああ」
生返事しながら、彼は後ろを振り返ることをやめようとはしなかった。
「後ろばかり見ていても、おまえの妹の姿は見えないぞ。凛なら、状況を冷静に判断するはずだ。《ヨルムンガンド》とこちらとの戦力差はいかんともし難い。わたしなら、後方に退避して、増援を要請するはずだ。……凛たちにとって想定されるべき増援とは――」
「俺たちだっていうことだろ。わかってるよ。少し自分を見失っていただけだ。もうちょっとだけ後ろ見ながら走ってれば、踏ん切りがつくから、それまで見逃してくれ」
そう告げながら、黙視できないほど離れ過ぎてしまっている場所へ、ソージは想いを馳せた。
「前を見てないと、転ぶぞ」
「転ばねえよ」
「そうか」
どこかチカラない相槌をした時雨。
そのことにソージが気づく。
「……なあ」
「なんだ」
「もしかして俺いま、おまえにフォローされたのか?」
「そうはみえなかったか?」
「……なんつーか、おまえ、どっか変わったよな」
「おまえも凛もわたしをなんだと思っているんだっ!」
そういって時雨は、やれやれと首を横に振る。
とても感情に身を任せてクラスメイトに対し、対戦車ミサイルを撃ち込んだ人物の口から出るような言葉とは思えないことはたしかだった。カタブツ。そんな言葉に似合うやつだったのに……。いつの間にかソージは、普段の調子を取り戻していた。
「時雨。少し疲れた。……歩くぞ、いいな」
「問題ない」
どうやらなんとか後ろを追走する北村の姿に気づいたようだ。
ソージがさりげなく北村と並んで歩く。
「その制服……奈々と同じ学校だな」
「ええ。まあ」
「そうか。……おまえの家族が心配しているだろうけど、すぐに送り届けるから安心しろ」
北村がなにか言いたげな顔をする。
ソージは首を捻った。
「んっ、どうした? 俺の顔になにかついてるのか?」
「その……お兄さんの妹さんは、とても聡明な方です。たしかに言葉は話せませんが、僕なんかよりもとても優秀な方で、自分できちんと状況が判断できる方です。避難訓練のときも、まわりが冷静さを失う中で、ひとりだけ落ちついて行動していました。だから……安心してください」
どうやら気を遣うつもりが、逆にこちらが気を遣われてしまったらしい。ソージは感心する。ませた中学生だ。
「おい、中学生。少しだけ勘違いしているな」
ふとにやりとするソージ。
「奈々とおまえじゃ、比較の対象としては不釣り合いだ。それに俺のことを『お義兄さん』と呼んでいいやつなど、この地球上には存在しない。さらに奈々の存在価値を一とすると、俺を除いた地球上の全人類の存在価値は、無価値に等しくなる。ちなみに俺の存在価値は、奈々に訊いてみないとわからないが、たぶんゼロじゃないだろう……。なんたって、うちの奈々はとてもかわいいからなぁ~~(以下略)」
それから真顔になって言う。
「それにどうやら、おまえはうちの妹の大事な友達のようだ。こんな有事のときにも一緒に行動してくれたんだから……、悪いやつじゃないだろう。いや、そもそもうちの奈々ちゃんの友達に悪いやつなんていないから、たぶんイイやつなんだろう。いままで奈々が世話になったな。ありがとう」
「……お兄さん」
北村はソージの顔を見上げた。
だがしかし――
「お義兄さん、言うなっ!」
素早いツッコミ。
「……じゃあ、なんて呼べばいいんですか?」
「ソージでいい。中学生くん」
こんなときでも、妹のオトコになる可能性の人物は要注意だ。
「ソージさん。鷹鶴のことをお願いします」
「ああ。任せておけ」
こればかりは素直に返事をする。
なんとなく友情らしいものが芽生えかけた。
だがそのとき――
「いいのか、ソージ。そいつは昨日、ソージ妹と一緒に寝ていたぞ。わたしがこの目で確認したんだ。間違いない」
途端にソージの表情が曇り、北村が嘆いた。
「ちょっと……、時雨さん。いじめないでくださいよぉ」
「いじめてなどいない。わたしのソージ妹に手を出した罰だ」
「こらっ、いまのも聞き捨てならないぞ……。奈々は俺の妹だっ!」
北村があからさまにきょどりながら弁明する。
「……ね、寝てたって。……同じ部屋で一緒だったって意味ですからね」
「それ以上のことがあってたまるかっ! もしかして、おまえは大きな声で言えないような間柄になったとでも言いたいのかっ! そうだとしたら、いますぐおまえはここに置いていく。一人で勝手に死ねっ! ご両親には、鼻の穴にシャープペンシルを突っ込んだせいで、窒息死したって伝えてやるっ!」
……警察でなくとも死因を疑うだろう。
さらにソージは一方的にまくしたて続ける。
「それに一緒だっただけでも、大きな罪だろ。俺だってそんなことしてないぞ。せいぜい妹よりも早く学校から帰ってきたときに、部屋にこっそり忍び込むぐらいだ。そして妹の残り香を嗅ぎまわるという、極めて効果的なスキンシップを――」
「それって、シス……」
「シスコン言うなっ!」
「まだ言ってないじゃないですかぁ!」
そんな掛け合いをしながら、なにがおかしいのか、ソージは少しだけ笑っていた。
こんな状況だというのに、彼は笑顔を浮かべていた。げらげらと声に出さないにしても、それがどこか謙虚なものだったとしても、彼は笑っていたのだ。おそらく心の奥底のどこか、限りなく深層心理に近いところで彼は妹無事を信じることができているのだろう。
全くもって彼はいい意味でも悪い意味でも『妹想い』なのだった。