第二章 戦いの幕開け(13)
「なぜだ? ……なぜいつものやつだけ見あたらないっ!」
いちご味。期間限定の抹茶味。ムース。超極細。一部店舗のみ取り扱われる極太。
それだけ品揃えの優れたコンビニなのに、『いつものやつ』のだけは、ぽっかりと穴が空いているかのように売り切れになっていた。仕方なく代替品で我慢しようと、彼女はその中からひとつを選び出す。
冬海時雨は半ば落胆しながら、だが警戒は怠らずに、キャンプへ戻った。
すぐ近くにあるコンビニなので、それほど時間はかからない。それに加えて、そのコンビニには誰かが侵入した痕跡があった。裏口からの侵入は、火事場泥棒による犯行ではないだろう。だとすればこの近辺に撃滅師か、逃げ遅れた市民が残っている可能性が高い。
「こんなものがおいしいのか。これはコンビニの売り物だぞ」
時雨が持ち帰ってきた出来合いのお総菜を、子供たちは喜々として口にし始めた。
いまは登山用の小型のガスランタンでわずかに周囲を照らしていた。おそらく時雨がどこかから調達してきたのだろう。床に座りこみながら、さきほどよりも遥かに味のある食事を始める。
「だから、おいしいんですよ。ほら、鷹鶴も笑顔で食べてるじゃないですか」
北村に指摘されると、時雨は心外な顔をする。
「……わたしの味覚では理解できんな」
「時雨さんの味覚がおかしいんですよ」
「わたしの舌は、そこいらのやつより肥えているんだ。毒が混入されているかどうかは瞬時に判別できるし、もし摂取したとしても多少の耐性が備わっている」
「ははは……。それじゃあ、ロボットですよ」
コミュニケーションは苦手だが、時雨は会話が嫌いというわけではなかった。
彼女は不器用そうに奈々に声をかける。
「むぅ……。グラタンは品切れ中だったんだ。すまない」
奈々は気にしてないというかのように首を横に振った。
グラタンは奈々がかぼそい指をつかって、時雨の手の平にわざわざ書きなぞってまで伝えてくれたものだった。彼女としてはなんとしてでも確保したかった食料だったのだが……なぜか見つからなかった。
「そういえば、わたしたちのほかにもこの近辺に誰か潜んでいるのかもしれない。コンビニに先客がいた痕跡があった」
「それって仲間がいるっていうことですか。……よかった。僕らだけじゃ心許ないですから」
「いいことだとは限らない。わたしが護衛できる人数には限りがある。それに大勢で動けば、それだけ敵に発見されるリスクも増す。わたしとしては、貴様たちを無事に送り返した後、戦線に復帰したいのだが……」
現実世界へ無事に送り届けられるだろうか。あの《ヨルムンガンド》が支配するこの街から……。
デカブツに対し、正攻法では勝ち目がないのは明らかだった。それにチカラを貸してくれそうなあいつらの姿は見当たらない。この虚幻世界のリスクを恐れて撤退してしまったのだろうか。
どこか弾んだ声で北村が言う。
「僕たちは帰れるんですね。……よかった」
「べつに喜ぶほどのことでもない。わたしはこれでもAクラスの撃滅師だ。そこいらのやつとは格が違う」
そう言い残して、時雨はひとり立ち上がると廊下へむかう。
「どこへ行くんですか?」
「見張りだ。……食事が終わったら、おまえたちは寝ておけ。明日は陽が昇る頃には、動き出すぞ。兵は拙速を貴ぶからな」
それっきり唇を固く結んだ時雨は、油断なく三階の踊り場を警戒する。
彼女の傍らに、フレームのひしゃげた〈騎竜〉を置きながらの厳重な警戒態勢だ。まあ、これだけ静かならば、《化身》が接近してきた場合、その足音ですぐに発見することができるだろう。
そんなことを考えていると……足音が近づいてきた。階段からではなく、廊下からだ。
肩のチカラを抜いて、素っ気なく時雨は語りかける。
「眠れないのか?」
ゆっくりと足取りでこちらへ近づいてきたのは、奈々だった。
彼女はこくんと頷くと、どんっとあぐらをかいて座っている時雨の隣に、ちょこんと体育座りする。
肩と肩が触れ合いそうなとても近い距離。
隣に座っている子供のことが気になった時雨は、横目でちらりとその子供を見た。
その少女は、さきほどまで時雨がしていたように階下を眺めていて、彼女の視線には気づいていないようだ。そのときなんの前触れもなく、少女の肩が小刻みに震えた。もしかしたら寒いのだろうか。まだ春先であるから、冷えた空気がこの少女の体温を奪っているのかもしれない。
過酷な環境で戦闘行為を行うことが前提となる撃滅師は、一般人よりも遥かに体が頑丈でなければならない。超能力も魔力も操れない時雨は、そのために血の滲むような訓練を積んだ。かつて《化身》に対する復讐を誓った彼女は、憎悪に支配され《化身》を狩るための死神となった。この碧髪碧眼はそのための代償だ。政府機関の『実験』とやらのせいで色が変わってしまった。
だが、そのおかげで復讐を果たすことができた。
皮肉なことに時雨が悟ったのは、充実感とは程遠い、圧倒的な虚しさだった。それ以後、まるで満たされない心を埋めるかのように、彼女は戦いに明け暮れた。狂ったように戦い、休む間もなく戦い、狂喜しながら戦い、血反吐を吐きながら戦い続けた。
そしてあるとき。たまたま今回のように、ハザードに逃げ遅れた子供と、同じ時を過ごすことになった。そのとき彼女は憑き物の存在に気づいた。さらにその経験を通じて誰かを守ることの大切さを学んだ。いまではそれが彼女の、復讐者としての使命になっている。殺すために戦うのではない。大切なものを守るために彼女は戦うのだ。
「…………」
時雨はなにも言わず、奈々をそっと片手で抱き寄せる。その華奢な体躯は、羽のように軽く、そして柔らかかった。この妖精のような子供といると、自然と心が和んだ。名前はたしか鷹鶴といったか。あの《ハイエナ》野郎と同じ名字だな。もっとも、この子供の方が遥かに愛らしいが……。
「寒くないか?」
そう問いかけられた奈々はこちらを見ながら、無垢に微笑んでみせた。
汚れを知らず、舞い降りた天使のような純粋な笑顔だ。この子供は、命に変えても守らなければならない。どこかの大国のVIPよりも遥かに価値がある存在だろう。
時雨は少女の無垢な瞳を覗きこみながら唇を動かす。
「言葉を発せない病気なのか? 過去にもハザードに巻き込まれたことがあるのか? ……いや、べつに驚くほどのことじゃない。このご時世だ。世界人口の少なくとも三割はモノリスでなんらかの被害を被っているからな。確率の観点から指摘したに過ぎない」
精神的なトラウマが原因なら、それを無力化すればいい。ならショック療法が後悔的だ。おもわず時雨はにやりとする。……より強いトラウマが存在することを知ればいいだろう。そうすれば、自分のトラウマなど些細なものにすぎないと認識することができる。
彼女は不器用なりに励まそうとした。
「聞いて驚け。……わたしはこれまでに三回家族を失っている。一回目は、わたしを産んでくれた家族。二回目は、両親を失ったわたしを引きとって育ててくれた家族。三回目は、わたしとともに同じ部隊で《化身》とともに戦っていた仲間たち。これも家族だ。控えめに見積もっても、わたしの人生の方がブラックだろう。おまえが運命にどれほど弄ばれたのかをわたしは知らないし、知ろうとも思わない。だがその表情から察するに、どうやら、不幸の競争なら、わたしの方が遥かに上のようだな。上には上がいることを忘れるなっ!」
淡々とした口調で、彼女はなぜか勝ち誇ったように言葉を紡いでいく。
奈々が小さな目をぱちくりしながら、こちらを見た。
「むっ……。難しかったか。つまりだ……、そんな不幸なわたしでも目的を持って生きていけるのだから、おまえも頑張れ。自分に負けるな。前を向いて全てを受け入れられるようになったとき、おまえのココロは成長を遂げる。たまにはがむしゃらに行動するのも悪くないぞ。誰かにわがままを言ったりするのもいい。ひとりで背負いこみ過ぎると、肩がこるからな」
自分の言いたいことを一方的にまくし立てたあと、会話はぷつんと途切れた。奈々は怪訝顔でこちらを見つめたままだ。おそらくなにを言ってるのか、半分もわかっていなかったのだろう。
気まずい沈黙。
時雨は内心でどうするべきか焦りつつ、コミュニケーションのツールを探した。
言葉足らずの彼女はどうしても道具が必要なのだ。
「そうだ! 少し待て。……これでも食べないか?」
彼女が取り出したのは、ポッキー(期間限定・抹茶味)だった。コンビニから持ち出してきたはいいが、どうしても食べる気にはなれなかったシロモノだ。奈々はそれを手に取ると袋を破り、一本取り出して時雨に食べさせようとした。
「いや、わたしはいい。いつものじゃないからな。……えっとだな、戦場ではゲンを担ぐんだ。レギュラーを見つけたら教えてほしい」
そういうものなのか、という表情をしたあと、奈々はぺこりとお辞儀をした。
か……、かわいいっ!
どこか照れくさそうに時雨は言う。
「ほ、誉めてもなにもでないぞ。……わかったから、とっとと寝ろ」
おそらく友達と一緒に食べようとしたのだろう。奈々は立ち上がり、廊下を足早に去っていく。こういう妹がいたら、わたしはどんなに幸せだろうか。離れていく天使の後ろ姿を眺めながら、彼女はもの思いにふけった。