第二章 戦いの幕開け(6)
避難民誘導のための信号弾を打ち上げたのは、冬海時雨だった。
彼女は使い捨ての信号銃を放り投げると、すぐにモノリスに接触する。自分の体が分解される奇妙な感覚に包まれる。次み目を開けたときには、もといた交差点に、屈強な兵士たちの姿が確認できた。
「認識番号A-8131――パートナーの冬海時雨だ」
こちらへ不審の目を向けてくる兵士の集団にそう告げると、時雨は原隊との連絡を取ろうとする。これからまだ多くの市民がここに出現するだろう。虚幻世界の《守護獣》を素早く処理するつもりだった。
だが電話が繋がるより先に、彼女に声をかけてくる老人の姿があった。
「ふむ。お嬢ちゃんが時雨ちゃんじゃな」
仙人のように白いひげを伸ばした老人は、それを手で弄くりながらついてくるように告げた。どうやら彼女の部隊からの預かりものがあるらしい。しばし歩いて人気がなくなった所に、怪しげな露店があった。
そこに置いてあったのは、強襲汎用装甲服〈騎竜〉。すぐさま彼女は制服を脱ぐと、それに着替えた。脳内にインプラントされた脳内インターフェイス(BMI)と神経接続する。微かな生体電流を電位信号として機能させることができる最新工学の産物だ。〈騎竜〉と一体になった彼女は、流線型の蒼いシルエットとともに、さきほど見た屈強な兵士たちよりも一回り大きな体躯となる。
そのまま機体のコンディションを確認していく。神経接続なので、思考するだけで必要な情報は脳内に流れ込むようにして設定されている。ふと弾切れ(empty)が表示されて、彼女は作業を中断した。
「……ミサイルが補充されていないようだが」
「予算の削減らしいぞ」
「…………」
まあ……いいだろう。代わりに数発の煙幕弾が補充されているからな。それに今回は携帯火器としてアサルトカービン銃が支給されていた。
そのまま時雨はマスターと名乗る老人を連れて、現地自衛軍部隊と打ち合わせを試みる。彼女は軍の一部機関とパートナー契約を結んだ撃滅師なので、共同戦線を張るということも考えられるからだ。
現地自衛軍に事情を説明すると、天幕の下にいる偉そうな中年男性を紹介された。
「貴様が例の《蒼い死神》か。……想像していたよりも、ずっと若いな。役に立つのかね」
こちらは時雨と異なり、野戦服を纏った大尉だった。強襲汎用装甲服は試験運用段階であり、一般の部隊には支給されていない。
大尉を一瞥すると、時雨は目を細めた。
なんというか、そう――椅子に踏ん反り返って、自分は安全なところから部下を叱咤しながら、二重あごを撫でる――そんな仕草が似合いそうなやつだと思ったのだ。すくなくとも自分の実力に疑問を抱くほどの歴戦の勇士には見えない。
「若いからといって、なにも問題ない」
「そうだったな。キミは強い……らしい。だが、どこの馬の骨ともわからんやつとともに戦うほどわが部隊は愚かではない。錬度も士気も十分にあるし、装備は最新鋭ものが整っている。同じ政府機関だからといって、無理にともに戦う必要もないだろう。そうは思わないかね?」
二重あごを撫でながら、大尉はそう訊いてくる。
彼の表情から見え隠れする出世欲を時雨は感じ取る。どうやら、この二重あごは自分の部隊だけで《化身》を処理して、手柄を立てたいらしい。まあこれといって珍しいことではない。実戦経験のない自衛軍の部隊なら、誰でも考えることのひとつだ。
だが、そんなことを考えるやつに限ってロクなやつではない。
「こちらとしても願ったり叶ったりだ。お互いにどこの馬の骨ともしれぬ輩とともに戦うのは本意ではない」
そう言って時雨は踵を返した。付き添っていたマスターが不安げな表情をする。
「お嬢、ちゃん……?」
「われわれの部隊は、試験運用部隊なので、現地自衛軍とともに行動する義務は持たない。ゆえに現場では、わたしの独自判断により行動することができる。これは願ってもない好機だろう」
「はてさて、いいのかのう?」
「ここの自衛軍はダメだ。装備は充実した部隊らしいが、モノリスの《化身》を過小評価しすぎている。実戦経験がない部隊の典型的な勘違いだろう。一緒に行動していては、わたしの身にまで危険が及んでしまう。それは避けなければならない」
憮然とした表情で彼女は言葉を続けた。
「あのモノリスが次元崩壊する前に虚幻世界の主――《守護獣》――を倒さないと、半径五キロメートル以内は、更地になってしまうのだぞ。モノリスのサイズから推測すると、次元崩壊までの時間は、今日を含めて七ニ時間というところだろう。もしものときに建設業界は大賑わいになるかもしれないが、何千何万という数の人間が被害を被ることになる。ここは都市のど真ん中なのだから、なおさら始末に負えないだろう)」
「そんなにここの自衛軍は頼りないかのう?」
「少なくとも司令官は不合格だ。もっとも軍隊という組織では、それだけで致命的な痛手を被ることになる。わたしなら、間抜けな指示を遵守して犬死するくらいなら、どさくさにまぎれて最悪、司令官を病院送りにするだろう。そうすれば、お互いに生き残ることができる」
極端なまでの過激発言にマスターは、
「そんなことばかり言ってるから、予算削減とかで叩かれるじゃないのか。知っているか。 お嬢ちゃんとこのミサイルの仕入れ先はわしの店なんじゃぞ。調達先だって、それなりにヤバい橋を渡っているじゃから、少しは真面目に働かんかっ!」
「貴様の事情などは、わたしの知ったことではない。わたしは復讐者だから、《化身》を狩るだけだ」
ユーラシア大陸などは衛星写真などで見ると、虫食い状態になっている。一定時間までに《守護獣》を倒すことができなかったことによる、現実世界のモノリスによる次元圧縮爆発のためだ。
彼女は〈騎竜〉の各部アクチュエーターに異常がないことを確かめると、任務を遂行するためにモノリスへと潜ろうとする。
「これより、わたしは任務に移る。……それとポッキーをもっていないか?」
「ポッキー……かのう?」
なにかの暗号だろうか?
「申し訳ないのう。わしはそれに関しては全く聞き及んでおらん」
「……そうか」
ポッキーとはそんなに貴重な代物だったのか。コンビニに置いてあるから、一般的な商品だとばかり思っていた。彼女は軍事関係の知識には造詣が深いが、生活力は少し欠如している。
「……いや。ないならかまわない」
すこし残念そうな表情を垣間見せながら、彼女はふたたび虚幻世界の住人となった。