第二章 戦いの幕開け(4)
それは学校での避難訓練中の出来事だった。
そしてその経験者は数えるほどしかいなかった。
モノリス・ハザード。
実際にそれが訪れたとき、彼らは脅えた子羊が狼の群れに狩られるような気分だった。
どこから連れてきたのかわからないインストラクターが、慌てず落ちついて避難する旨を恐怖に引きつられた顔で叫ぶが、誰もそれを聞き入れようとはしない。むしろ、その表情に気づいた生徒たちを不安にさせるだけだった。
船渡中学校の体育館の中は無秩序になっていた。
全校生徒およそ三六○人が集合していた中規模の体育館では、誰もが本能的で根源的な恐怖を感じ、大急ぎで現実世界に帰らなければならないと痛感していた。そして恐怖に耐えきれられなくなった何人かの生徒が、勝手に体育館と飛び出していく。すると混乱を極めていた誰もが、自分たちもそうしなければならないと勘違いし、みなでそれに続いた。恐怖がさらなる恐怖を蔓延させ、個人個人がそれぞれ自分勝手な行動をとっていた。
(ここにいちゃ、いけない)
そんな中で、鷹鶴奈々はひとりだけ冷静だった。
これで四度目だ。いやでも慣れてしまう。
彼女は周囲を見渡したが、誰も頼りになりそうな人がいないことに気づくと、今度はは逆に誰か困っている人がいないか探し始めた。
言葉を発せない彼女には、学校の中でこれといった親しい友人ができなかった。それどころか中学三年になったら、今度はいじめっ子の登場だ。生まれて初めての経験に大きく戸惑って、いまは好き放題されている。
そんな奈々と視線が合った人物がいた。
中肉中背で気弱そうな眼鏡をかけた同級生の男の子。名前はたしか北村仲俊といったはずだ。北村はどうやら仲のいい友達とはぐれてしまい、どうするべきか悩んでいるようだった。
すぐさま奈々は立ち往生している北村のところまで歩み寄ると、その袖を引っ張った。そしてきょとんとした表情をしている彼に対し、空いてる方の手で素早く打ったケータイのメモ帳をみせる。
【だいじょうぶ?】
それを見たとき、北村の顔がどこか落ち着きを取り戻す。
奈々とは同じクラスでも付き合いがなかったが、彼女の『事情』だけは知っていた。そんな彼女に逆に気を遣われてしまった自分がどこか滑稽で、しかも同じクラスでありながら、彼女の存在が頭からずり落ちていたことが情けなかった。
「えっと、ごめん。……鷹鶴も大丈夫だった?」
同級生の女子はこくりと首を縦に振った。
奈々と話しかけれられたことで、不思議と北村は落ちつけていた。彼女の存在は、どうも周りに安心感を与えるらしい。
冷静さを取り戻した北村は、みんなと一緒に行動しようと奈々の手首を掴んだが、予想外のチカラで逆にこちらが引っ張られてしまい、そのことに驚きながら彼女を見返した。奈々は素早くメモ帳を打つ。
【みんな、間違ってる!】
「え?」
【反対方向に逃げてる】
「どういうこと?」
【街の外じゃなくて、中にある】
「な、なにが?」
【モノリス】
北村は自分の目を疑った。
だが、彼女の情報端末にはたしかにそう表示されていた。
「な、なんでわかるのさ」
そう問いかけると、奈々は優しくほほ笑んでみせた。
その笑顔が現在の状況とあまりにもかけ離れていたものだったので、しばし彼は自分の生命が危険に晒されているのを忘れてしまい、さらに内心で天使が舞い降りてきたと歓喜する。
それほど優しくあたたかい笑顔を奈々は披露していた。
【わたしはこれで四度目だから】
そう言って今度はすこし淋しそうに俯きながらも、だがそれでも奈々は上目遣いでこちらへ笑いかけてきた。北村を安心させようというのだろう。笑顔を向けられた彼の頬は、わずかに朱色に染まっていた。この子はきっと天使の生まれ変わりだ。北村はそう確信する。まさにこの瞬間、少年は儚げに微笑みかけてくれた天使を守ることをおさな心に誓った。