第二章 戦いの幕開け(2)
「なあ、奈々。なにかほしいものとかはないか?」
マンションの中では、奈々がギフトカタログを広げていた。この日のためにソージが前もって用意した数冊のカタログの中で、彼女がもっとも興味を示しそうなものをさりげなくテーブルの上に忍ばせて置いたのだ。案の定、学校から帰宅するやいなや、奈々はそれに興味を示し、何気ない手つきでページを捲っている。
彼女は兄に迷惑をかけまいとでもいうのか、自己主張することは滅多にない。それも言葉を話すことができないのだから、なおさら乏しいものになる。それでも、どうしてもほしいものがあるときは、携帯メールを用いて話しかけてくる。べつに筆談や手話でもいいのだが、奈々自身がそういう手段でソージとコミュニケーションを取ることを嫌っているようだった(他人とは平気で携帯のメモ帳で会話したりするようだが……)。おそらく自分がその手の障害者とは、どこか違うと思っているのだろう。
ソージは紅茶を啜りながら、さりげなく視線に気づかれないように、奈々の一挙一動を観察する。ぱらぱらとカタログをめくる手つき、奈々の視線と表情、そして長年の妄想から培われた経験則で、彼女がなにをほしいのか総合的に判断しているのだ。
ほんの僅かな間だけ彼女の手がとまった。さらに、どこかものほしそうな目をしてカタログを眺めた。すかさずソージは頭脳を働かせる。あれはたしか四三ページ。ちょうどイヌの人形の特集が組まれている箇所だ。視線の先は……カタログの左斜め上。ラージサイズのふわふわの白い毛をしたイヌの写真が掲載されているところだ。
努めて優しい声を出すソージ。
「なにかほしいものでもあったのか?」
もしかしたら何かの拍子で奈々が言葉を喋れるようになると医者から以来、ソージはあきらめずに奈々に語りかけている。それに心根の素直な彼女のことなら、こう言えばどこかばつの悪い顔をしながら、こちらを見てくれるだろう。
つまり、すべては妹のために気配りをしているのだ。
微かな戸惑いと躊躇いの混じった困惑した顔で、奈々はソージを見た。兄に経済的な負担をかけまいと、きまりがつかない顔でこちらを見つめる彼女の表情は、ソージの心をあたたかく擽るものだった。それゆえに彼の内心では、はちきれんばかりの笑みがこぼれていることだろう。しかし、それを微塵も表情に出すわけにはいかず、必死で堪える。
これはあくまで誕生日プレゼントへの布石なのだから。
奈々は喋ることができないが、それでも学業成績は優秀だ。ソージは奈々の顔を優しく見つめる。聡明な俺の妹なら、敬愛しているお兄ちゃんがなにを考えているか、見当をつけてしまうかもしれない。妹想いの兄としては、誕生日はサプライズプレゼントを届けたかった。
奈々はそそくさと恥ずかしげにカタログを閉じたあと、鞄の中からA四用紙を取り出してみせた。
「んっ、明日の放課後は避難訓練があるのか。帰りが遅いときはとりあえず俺にメールしてくれよ。ちゃんと迎えに行くからな」
それに目を通したソージは、理想の兄としてのコメントをする。
この世界で一番大事な妹が幸せでさえあれば、彼はほかのことなどどうでもいいのだ。




