第二章 戦いの幕開け(1)
ソージが春奈とパートナー契約をしてから、数日が経過した。
この頃になると、撃滅師の斡旋・仲介をしているサイトで《ハイエナ》に関する奇妙な噂が広まっていた。もっとも依頼遂行中の本人はサイトを確認することを怠っていたので知らなかったが……。
今日は小春日和で、うぐいすの鳴き声を耳にしながら登校することができる、とりわけ穏やかな日だった。教室に入ってソージが席に着くと、風情あふれる朝の光景をぶち壊すかのように、凛が大股で詰め寄ってきた。
「まさか、あんた、本当に契約したんじゃないでしょうね!」
妙に怒気を孕んでいる声で、彼女は眼前へと顔をぐっと近づけてきた。
「なんのことだ?」
「《悪魔憑き》のことよ。あ・く・ま・つ・きっ!」
どうやら、ソージがロクでもない依頼を引き受けていることは筒抜けのようだ。まあ彼女の家は魔術師の家系――裏稼業なので、耳聡いのは当然のことなのだろう。そうでなければ、いままで魔術師という存在が表社会で認知されてこなかったことが説明できない。
「うるせーな。《悪魔憑き》って確率の問題だろ」
「そうよ。……でもだからこそ――誰にでも平等なはずの法則に見放されてるから、忌み嫌われるんじゃないの。モノリス・ハザードに巻き込まれる確率が段違いなのよ。……時雨、あんたからも、こいつになにか言ってやってよっ!」
どうやら凛だけでなく、時雨も事情を耳にしていたようだ。ソージのふたつ前の席に座っていた彼女は、ポッキーを齧り終えるとこちらへ寄ってきた。
「確率論から見放されるなど……。わたしには理解不能だ」
素っ気なく口にして、凛と真っ向から張り合う。
時雨は言葉を続けた。
「魔術師には、論理的に思考するチカラが欠如している。非科学的なことばかり言っても始まらないぞ。必要なのは、科学的に存在を証明することができるチカラだけだ」
「あら、魔術だってきちんと法則があるのよ。もっとも科学的思考バカには理解できないでしょうけど」
「魔術の法則なんてたかが知れている」
険悪な雰囲気を醸し出し始める二人。
時雨はどこか汚れが目立つ上靴に目をやったあと、不快気に凛を睨みつけた。
「どうせ魔力とかというわけのわからないエネルギーを動力として、超常現象を引き起こしているだけだろう。わたしはその魔力というエネルギー媒体が気に入らないと言っているのだ。エネルギー総量が不明瞭すぎる」
「あら、どっかの戦争ボケ女のきている強襲汎用装甲服だって動力はボース粒子でしょ。超対称性理論における存在するかもしれなかったものを実用化している点に関しては、魔術よりもたちが悪いわ」
「貴様……っ! 最高軍事機密に関することをどうして知っている!」
「簡単なことよ。あたしは神宮司家の人間だから、政財界には顔がきくの。ついでに人の口には戸が立てられないわ。うちはこれでも歴史と伝統ある名家よ。平安時代から千年以上続いてる家系なんだから、年季が違うのよ。あんたのとこの試験運用部隊なんて、設立されてからたったの三年じゃないのっ!」
彼女らの会話に出てくる技術に関する開発・応用をもたらしたのは、《核石》から抽出された『情報』である。
今回はどちらかというと凛に軍配が上がったようだ。
それにしても、つくづくこいつらはいがみ合うな。いつの間にか傍観者になっていたソージは思う。不毛な言い争いに花を咲かせるのが、そんな好きなのか。
その後も二人は論争を続け、ソージに科学と魔術のどちらが優れていると思うのかを尋ねてきた。彼はしばし勘案すると、
「なんだかんだいって、科学も魔術もわけがわからないことは一緒だろ。最新技術の革新は急激すぎるし、古代に失われたはずの魔法だって随時発見されているんだろ。要は《核石》がもたらした、わけのわからないもので一緒くたに考えていいんじゃないのか?」
と、上手い具合に締め括ってみせたつもりだった。だが、白黒はっきりつけない答えが逆に彼女らを不満にさせたらしい。
時雨がソージにつっかかる。
「貴様は超能力者だろうが……。貴様こそどういうわけで、あんなわけのわからない暴風を引き起こすことができるんだっ!」
「俺が知るかよ」
今度は凛が詰問する。
「知らないはずがないじゃないのよ。現にあんたは盛大な暴風をぶちかますじゃないのっ!」
「小学生のころから急に出せるようになったんだよ。それ以上は俺にもわからん」
「論理的に説明しろっ!」
「魔術でも法則性があるのよ。あんたも少しはあるではずでしょ!」
連携が取れているのは、仲がよいやら悪いやら……。
「だから……。ホントに知らねえんだって……」
次々と非難を浴びせられたソージは、渋茶でも飲んだかのような苦い顔になる。
どうせなら同じ超能力者でも、テレポーターになりたかった。そしたら、このやまない紛糾の声を一気に遠ざけられて、地球の未来よりも大事な奈々と一緒に世界中を旅して巡ることができたのに……。
「そんで話しをもとに戻すわね。あたしが言いたいのは、その《悪魔憑き》と契約したのがあんただっていうことなんだけど」
ここで凛は一度言葉を区切って、ソージの瞳を覗き込んだ。彼女の瞳がどこか憂慮の色を帯びていることに気づいた彼は、どうやら自分が悩みの種になっていることを悟る。利害関係の上で敵対していない状況では、この三人は仲のいいクラスメイト同士のようだ。
「森崎春奈……。この女性の名前に心当たりはあるわよね。撃滅師の依頼掲示板は、いまこの話でもちきりよ。『あの《ハイエナ》がついに、悪魔と契約した』って」
《ハイエナ》が悪魔と契約ね……。なんか不吉を予兆させること、この上もない表現だな。それでもソージは気を取り直すと、
「なかなか高額の報酬だったから、引き受けただけだよ……。それにしても、まるで世界の終焉を表現するような警句だな」
「……あきれた。少しはクライアントを選びなさいよ。そんなにお金に困っているっていうわけじゃないんでしょ」
「まあ、当面苦労しない分はあるんだけどな。つっても妹の願いなら、どんなものでも叶えておけるぐらいの用意はしておかねーと」
当面の生活費程度なら、いまのところ問題ないだろう。
だが今週末には、妹の誕生日がある。
それに関してはまだ内偵を進めている最中で、妹がほしいものが不明瞭な以上、油断することは許されなかった。たとえば妹が『お月さまが欲しい』ほしいと言えば、彼はそれをどんな手段を用いてでも叶えようとするだろう。月の購入にいくらかかるかは、まるで見当もつかないが……。
凛が意地悪なことを言う。
「じゃあ、妹に『死ね』って言われたら、あんた死ぬわけ?」
「妹が『死ね』というなら、俺は死んだってかまわない。いや。むしろ、妹のためなら死んでみせる」
「……シスコン(ぼそり)」
彼女はおもわず口にした。
「ええぃ、シスコンシスコンうるさい。俺は妹想いなんだよ」
「あんたってオタクといわれて否定して、マニアといわれると喜ぶタイプね」
「よくわからん世界の常識を持ちこむな」
いままで黙って聞いていた時雨が口を挟む。
「ソージ、気をつけておけ」
どこか険しさを帯びている声だ。
「な、なんだよ……」
「これは機密事項に当たるので、いまから言うことはわたしの独りごとだ。……船渡市一帯を覆うようにしてモノリスが出現する可能性がある。リスクを抑えるなら、その依頼は破棄するべきだ」
それを聞いて、ソージはわずかに眉をひそめた。
さすがの発言に凛も驚きを隠せない。
「な、なんですって……っ! あんた、どこでそんな情報仕入れたのよっ!」
「試験運用部隊はハイテク組織だ。核石から『情報』を抽出しているため、データ演算装置なども強化されている。ランダム係数を伴う回帰分析もお手の物だ。そこいらのスパコンなどものの数ですらない」
「だけど、他にも候補地は存在しているんだろ?」
「まあな……。だが、それでもここの地域がモノリスに汚染される可能性があることは否定のしようがない。《悪魔憑き》などという俗物が本当に存在するとは思えないが、用心するに越したことはない」
「ああ。……少しだけ用心しておくよ」
「少しといわず、かなり用心しておけ」
鋭い目つきでソージを一瞥したあと、時雨は席へと戻っていく。
その後ろ姿を見送ったあと、凛が言う。
「謝るかどうかしときなさいよ。いまの時雨の目、かなり怒ってた」
「不謹慎だから……っていうわけじゃないよな」
「そんなわけないでしょ。どう考えてもあんたのことを心配してるのよ。あたしだって心配してるんだからね」
「お前ら、よくそういう台詞を素面で言えるよな。この前なんて、俺を殺そうとしたくせに……」
「ざんねんでした。撃滅師してではなく、いちクラスメートとしてよ。……それでも心配しているのは変わらないけどね」
凛の瞳はどこか不安げだ。それだけ心配をかけているということだろう。
「ああ。気をつけておく」
迷惑といかないまでも、気を遣わせてしまったのだろう。そのことを重々承知しているソージは、素直にアドバイスを受け入れておくことにする。何気なく窓の外に目をやった彼の視界には、さきほどまでは風情あふれていた朝の景色が、どことなくうら寂れているように思えてならなかった。