第一話 詩、神隠しに遭います
篝火が夜風に揺らめき、闇夜に舞台が浮かび上がった。
シャン、シャン―― ドォン、ドォン――
静かな夜に、神楽鈴と締太鼓の音が重なり合った。
しなやかな手が夜闇に弧を描き、神楽鈴が荘厳な音色を奏で、華奢な足が床を力強く打つたび、重厚な響きが舞台を包み込んだ。
優美な所作のひとつひとつに、神へ捧げる舞の荘厳さと艶やかさが満ちていた。
観客は感嘆の息を漏らし、舞が生み出す余韻に浸っていた。
――翌日。
「おっはよー! みんなの詩ちゃんがやって来ましたよぉ!」
底抜けに明るい声が、秋晴れの空に響き渡る。
私は両手を大きく広げ、そのまま同級生の一群へとダイブした。
「詩〜、痛いぃ。もう、あんたは朝っぱらからなんでそんなにテンション高いの?」
「えぇ、だって〜」
私は友人の肩に腕を回すと、にんまりと笑った。
「やっと解放されたと言いますか――」
「あぁ、昨日の神楽舞ね。確かに――あれは凄かったよね。本当に別人かと思っちゃった。」
友人が感心したように頷いた。
「あぁ、そうだよ。あれは詩の生き別れの妹で……。」
私は神妙な顔で頷いてみせた。
「あっほぉ! そんなわけあるか。私だ、わ・た・し!」
自分の胸を指差して叫ぶと、友人たちが一斉に吹き出した。その笑い声は、朝の校舎に響き渡った。
――あれぇ?
違和感を覚えた私は、ふと辺りを見渡した。
しかし、電車で通学している莉子の姿だけが見当たらない。
一・二・三・四……。
みんなを指差しながら数えてみたけれど、やっぱり一人足りない。
「そう言えば、電車――止まってたなぁ。なんか、あったのかな?」
「えぇぇっ! 詩ぁ、知らないのぉ?」
一人が鞄からスマホを取り出し、自慢げにこちらへ向けてきた。
――いつの時代劇だよ。
心の中で突っ込みを入れながら、私はその画面を覗き込んだ。
『――速報 京都御所 緊急封鎖――』
「封鎖! なにこれ?」
みんなは顔を見合わせ、そろって目を丸くした。
「詩。本気で言ってるの?」
「へぇ?」
そう言えば――
昨晩、なにやら外が騒がしかった。
だが、舞いを終えた後はいつも、疲れてすぐに寝てしまう。
今朝は今朝で寝坊したので……。
「お、おう。 あれでしょ。あれ――」
「あれって、どれよ。」
みんなのじとっとした視線が突き刺さる。
耐えきれなくなった私は、とりあえず口笛を吹いて誤魔化した。
結局、下校の時間になっても莉子が登校することはなかった。
仲良し五人組を勝手に戦隊モノになぞらえていた私は『黄色がいない』と、なんだか物悲しくなっていた。
「えぇっ! みんなダメなの?」
放課後、カフェで打ち上げしようと誘ってみたが――
部活、バイト、彼氏……。
今日に限って、見事にみんなの予定が埋まっていた。他に誰かを誘うのも……ということで、私はしぶしぶ一人で下校することにした。
私の家は街の小さな神社――爺ちゃんによると、創建は鎌倉時代らしい。もっとも、それを裏付ける証拠なんてないので、眉唾ものだけど。
特に用事もなかったので、このまま家に帰っても良かったのだが……。
ふと、今朝の話題が気になった。
――京都御所 封鎖。
そのおかげで莉子も学校に来れなかった。
胸の奥でモヤモヤが込み上げる。
好奇心と復讐心が複雑に絡み合った感情に従い、私は動き始めた電車に乗り込んだ。
烏丸御池駅――
警察、自衛隊、報道陣、そして、無数の野次馬……。
駅構内はそんな普段見慣れない顔ぶれでごった返していた。
「わっちゃあ――こりゃ、莉子も来れないわな。」
妙に納得した私は、ひとまず出口を探すことにした。だが、規制線の張られた通路では思うように進めない。
人混みに押し潰されそうになりながら、やっとの思いで見つけた六番出口から、ようやく外へ出ることができた。
「……うっそぉ。燃え……てる。」
思わず、ゴシゴシと目をこすった。
見慣れたはずの京都御所。
それが今、真っ赤に染まっていたのだ。
――莉子は大丈夫?
う、うん。確か彼女の家はここから少し離れたところ――だったはず。
ひとまずは良かった……のか。
私は恐る恐る、目を開けた。
だが、力一杯こすったせいで、目が霞んでよく見えない。徐々に視界が晴れていくなか、私は再び声をあげた。
「ちょっと……なにあれ……。」
炎と見間違えたのは、朱色の柱と夕日に染まった城壁だった。
――近くに寄って確かめたい。
そんな好奇心を見事に打ち破った規制線と野次馬の群れ。私は、またしても人混みに揉まれて足止めを喰らうことになってしまった。
今さらながら、来たことを後悔する気持ちと、もっと近くで見たいという好奇心がせめぎ合う。
ふう。大きなため息だけが、そんな私が今できる唯一の抵抗だった。
その時だった。
――誰かに……見られている。
不意に感じた視線に、息が止まった。
野次馬のざわめきも、警察官の怒号も、遠のいていく。背中にまとわりつくような視線だけが、妙にはっきりと感じられた。
ゆっくりと視線の先を追う。
そこには、明らかに場違いな民族衣装をまとった長身の男が立っていた。年齢までは分からない。けれど、その男だけが、周囲の喧騒から切り離されたように見えた。
……どこかで会ったかぁ?
同じ高校? それとも幼なじみ?
いや、違う。きっと知らない。
あっ!
もしかして――私のファン?
そうか、私もついに、ここまで有名になったか――
分かるやつには分かるんだよなぁ、私の色気。
でも――
「なぁぁにぃ!」
私は人目も憚らず、大声で叫んだ。
ここは最初が肝心――
変なヤツに粘着されたりでもしたら、後々面倒だ。
「――っ!?」
――はぁ〜あ!?
なんで、あいつ……笑ってんの?
男は依然こちらを見据えていた。ただ、口元だけがわずかに緩んで見えたのが、なんだか腹立たしい。
――なんだぁ、こいつ!!
私も負けじと腰に手を当て、じっと男を睨みつけた。これでも、威嚇のつもり……。
すると、男は静かにこちらへと近づいてきた。視線を逸らすことなく、まっすぐに。
その顔には、先ほどと変わらず薄い笑みが浮かんでいる。それがどんどん近づいて……。
「ちょい、ちょい、ちょい、ちょい――」
男が私のパーソナルスペースに踏み込んできたところで、私は慌てて両手を前に突き出した。広い胸板から熱が伝わりそうな距離まで迫ったところで、男はようやく足を止めた。
妙に背の高い男。その傍らには、もう一人の男が静かに佇んでいた。完全に怪しすぎる。
「ちょっと、あんたぁ? さっきからジロジロと! 私を誰だと心得る――」
「あぁ。あの素晴らしい舞を舞う巫女――だろ?」
へっ?
なんだ、こいつ。案外、見どころがあるじゃないか。
よく見れば、艶やかな黒髪に、中性的な顔立ち。まだ少年らしさは残るものの、これまたどうして、なかなかの掘り出し物かも……。
「だが、昨日とは印象が随分と違うなぁ。禊の時は、もう少し慎ましやかな生娘かと思っていたが……。」
へっ? 禊――
私は思わず胸元へ視線を落とし、途端に耳まで熱くなった。
「あっほぉ! 誰が慎ましやかだ。」
「ふふ。やはり……面白い娘だな。」
なぜ……だろう。
年はそう変わらないはずなのに、妙に落ち着いた話し方をする。なんだか、こっちの調子まで狂ってしまう……。
――そうか、そういうことか。
「ふん。」
私は口を尖らせ、顔を逸らした。
――そうだ、こいつは私をからかって楽しんでるんだ。言うなれば、愉快犯というやつか?
「それにしても――助かった。迎えに行く手間が省ける。」
「迎え?」
そろりと横目で覗いた。
「あぁ。巫女殿にはもう一度、あの舞を披露してもらいたくてね。」
「あっほぉ! わたしゃ、舞妓さんじゃない。それに、あの舞は神に捧げる神聖なもんなんだから。」
傍らに立っていた男が一歩前に出ようとしたところで、長髪の男はすっと手を出して制止した。
「ほぉ。それでは我が宮でなら良い――ということかな?」
――なんだぁ?
ずいぶんと強引なやつだな。それに『我が宮』って、こいつはどこぞの神社のぼんぼんか?
お付きがいるんなら、そういうことは教えてやればいいのに。
「坊っちゃんなら知らなくても仕方ないけど、こういうことは宮司同士で話をするものなんだ。」
「ほう。そうか、分かった。それなら、改めてそちらの宮司には我が宮から書簡を出そう。それでいいかな?」
――相変わらず、強引なやつだな。
でも、うちみたいな貧乏神社はこういう仕事は喉から手が出るほど欲しい。
「それで――いつ?」
「今からだ。迎えに行くところだったと言っただろ?」
男はそう言って、そっと右手を上げた。
それを合図に、傍らの男が何かを取り出し、すっと差し出した。
――ヤカン?
いや、それにしては注ぎ口がない。
でも、モヤモヤと湯気が立ち込めている。
「なによ、それ? もしかして、なんかヤバい薬なんじゃ――」
「はは、案ずるな。これは、ただの香だ。身体に害はない。」
確かに――
甘みと苦みが混ざり合う不思議な香り。身体がふわふわして、足元まで頼りない……。
「ちょい、ちょい、ちょい、ちょい――」
「ん? なんだい?」
「十分、足にきてるじゃねぇか――あっほぉ!」
「あぁ。でも、我が宮に行くには必要なことだ。」
「はぁい?」
男の視線の先には――
かつて京都御所があった場所に突如現れた城壁。そして、そこにそびえる巨大な朱色の門。
男は、その門をじっと見据えていた。
「さぁ、行こうか。」
男はそっと手を差し出した。
なぜか、私は無意識にその手を取ってしまった。
これは香のせい……それとも……。
「私は――朔だ。」
「……詩。」
名乗るつもりはなかったのに、なぜかあの目を見ると拒むことが難しい。そんな目だった。
朔はそのまま私の手を引くと、目の前にそびえる朱色の門へと歩き出した。
「ちょい、ちょい、ちょい、ちょい――」
今日は何回、こいつを止めれば気が済むんだ――私。
それでも朔は規制線を越え、自衛隊の警備までもすり抜けて……。
ただ、ひたすらまっすぐに門へと向かっていく。
――えっ。ちょっと、なんで?
あの人たち、私たちに気づいてないの?
まさか――
「あぁ、そろそろ身体も慣れた頃だろう。」
――頭の中にかかっていた靄が晴れる。
アスファルトを踏みしめる足にも、力が戻った。
だけど――
朔の歩みは止まらない。
もう、すぐそこに朱色の門。近くで見ると一層大きい。
「ぶ、ぶつかる――」
咄嗟に身をすくめた瞬間、視界がぐらりと揺れた。そのまま、私の意識は闇へと沈んでいった。




