第九話 苛立つ元領主
同じ頃、ヴァルガス子爵の治める領地では、まったく違う空気が流れていた。
王都から馬車で半日ほど離れた、その領主館の周辺には、かつての活気はもはや見る影もなかった。かつては「金の鉱脈」とまで呼ばれたダンジョンから流れ込む富によって潤っていた城下町も、今では閑散とした様子を見せ始めている。
「なんだと? 儲けが、また落ちているだと?」
領主館の執務室で、ヴァルガスは分厚い顔を真っ赤にして、報告書を握り潰さんばかりに睨みつけていた。
「は、はい……過剰な採掘が祟り、主要な採掘区画の魔力枯渇が進んでおります。このままでは、来月にはさらに収益が落ち込む見込みです」
「使えん! お前ら、いったい何をやっているんだ!」
執務官が青ざめた顔で頭を下げる中、ヴァルガスは苛立たしげに机を叩いた。かつてゼノンが管理していた頃には、堅実ながらも着実に価値を積み上げていたダンジョンだったが、彼の追放後、後任の管理者は「もっと稼げ」の一点張りで、目先の利益ばかりを追い求めた結果、資源を根こそぎ奪い尽くしてしまっていた。
後任として据えられたのは、ヴァルガスの遠縁にあたる若い男だった。管理の経験など皆無に等しく、ただ言われるがままに魔物を乱獲し、宝箱を開けては次々と換金していく――そんな刹那的な運営を続けた結果が、今の惨状だった。
「あの新しい管理者は、いったい何を考えているんだ。数字だけ見れば分かるだろうに」
「恐れながら、旦那様がご指名なさった方でございます……」
「これも私が悪いというのか!」
ヴァルガスは思わず声を荒げたが、執務官はそれ以上何も言わず、ただ深々と頭を下げるのみだった。
「ちっ……あの役立たずがいた頃は、こんなことにはならなかったというのに」
思わず漏れた本音に、執務官は驚いた顔を見せたが、すぐに口をつぐんだ。ヴァルガス自身も、自分が口にした言葉に、多少なりとも気まずさを覚えたのか、不機嫌そうに咳払いをした。
「まあいい。……とにかく、新しい採掘計画を早急にまとめろ。何としても、収益を取り戻すんだ」
執務官が退室した後、ヴァルガスは一人、苛立たしげに部屋を歩き回っていた。
そんな折、彼の耳に、思いがけない噂が飛び込んできた。
「旦那様、少々気になる話を耳にしましたので、お耳に入れておこうかと」
執事の男が、遠慮がちに口を開いた。
「なんだ、手短に言え」
「西の外れ……かつてゼノン殿が管理していたあの寂れたダンジョンが、今では大変な賑わいを見せているという噂です」
「……は?」
ヴァルガスは思わず聞き返した。
「あの、金貨三十枚しか稼げなかった、あの穴蔵がか?」
「はい。何でも、命を落とすことなく楽しめる、奇抜な仕掛けの数々が評判となり、連日多くの冒険者が押し寄せているとのことです。……最近では、王都の貴族の間でも、話題になり始めているとか」
ヴァルガスの顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。
「馬鹿な……あんな役立たずが、そんな……」
彼は震える声で呟きながら、目の前が真っ暗になるような感覚を覚えていた。自分が「無能」と切り捨てた男が、今や自分の領地よりも輝かしい成果を上げているという事実。それは、彼のちっぽけなプライドにとって、耐え難い屈辱だった。
「そんな話、信じられるか! きっと、誰かが大げさに噂を広めているだけに違いない!」
「ですが、旦那様……実際に足を運んだ商人の話によれば、決して誇張ではないようです。何でも、迷宮の中に食事処まで設けられ、貴族の子息までが噂を聞きつけて見物に訪れているとか」
執事の言葉に、ヴァルガスは苦々しげに顔を歪めた。額に脂汗が滲み始めているのを、彼自身は気付いていないようだった。
「……ふん、まあいい。所詮は寂れたダンジョンの一時的な流行りに過ぎん。すぐに廃れるに決まっている」
そう強がって見せながらも、彼の胸の内には、拭い去れない不安の影が、確かに芽生え始めていた。
執事が退室した後、ヴァルガスは一人、椅子に深く沈み込みながら、忌々しげに舌打ちを繰り返していた。あの日、応接間で「役立たず」と切り捨てた若者の顔が、なぜか脳裏から離れなかった。
「せいぜい一人で惨めに朽ち果てるがいい……そう言ってやったはずなのに」
ヴァルガスは思わず、あの日の光景を思い返していた。深々と一礼し、動揺一つ見せずに応接間を後にしていったあの若者の後ろ姿。今にして思えば、あの落ち着き払った態度こそが、何よりも不気味だったのかもしれない。
「まさか、本当に成功するとはな……」
彼は誰にともなく呟きながら、机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。それは、かつてゼノンが提出し、彼自身が「前例がない」の一言で握り潰した企画書の写しだった。今更ながら、その内容に目を通してみると、意外なほどに理にかなった提案であることに気付かされる。
「……くだらん」
ヴァルガスはそう吐き捨てながら、羊皮紙を再び引き出しの奥へと押し込んだ。認めてしまえば、自分自身の判断の誤りを認めることになる。そんな屈辱には、到底耐えられそうになかった。
一方その頃、ゼノンとルナリアは、ヴァルガスの動揺など知る由もなく、新たな施設の建設に取り組んでいた。
「よし、これで観覧スタンドの基礎が完成したな」
俺は権限ウィンドウを操作しながら、第一階層の一角に新設した木製の階段状の座席群を見渡した。かねてよりルナリアが提案していた、戦わない客層のための見学スペースだった。
「思っていたより立派なものが出来上がったわね」
「せっかく作るなら、しっかりしたものにしたかったからな。……ここから、挑戦者たちの攻略の様子を眺めることができる」
俺は観覧スタンドから見える光景を確認した。浮遊足場でよろめく挑戦者、可変式の壁に翻弄される者たち、そして吊り橋で悪戦苦闘する常連客の姿――そのどれもが、見る者を飽きさせない、迫力ある光景として映るはずだった。
座席の配置にも、俺なりの工夫を凝らした。単に横一列に並べるのではなく、階段状に高さを変え、どの席からでも死角なく攻略の様子が見渡せるようにする。さらに、特に見応えのある崩落トラップの正面には、少し豪華な作りの特等席まで用意しておいた。
「随分と至れり尽くせりね」
「見物客も、立派な『客』だからな。……居心地の悪い場所に、長く留まってはくれない」
「なるほどね。あなた、本当に隅々まで気を配るのが得意だこと」
俺は照れくさそうに肩をすくめた。
「これなら、戦えない人たちも、十分に楽しめるはずだ」
「あなた、本当に懐が深くなったわね」
「客商売の基本だ。……一つでも多くの層に喜んでもらえる仕組みを作ること、それがこのダンジョンの目指す先だ」
俺はそう言いながら、静かに満足げな笑みを浮かべた。
その日の夕方、観覧スタンドの初お披露目となった。噂を聞きつけた見物客たちが、興味深そうに座席を埋めていく。
「うわ、あそこの兄ちゃん、また足場から落ちたぞ!」
「今日はまだ誰も、あの崩落トラップを突破できていないのか?」
観覧席からは、次々と歓声や笑い声が上がった。挑戦者たちにとっても、見守る観客の存在は、これまでとは違った緊張感と、そして達成した時の一層大きな喜びをもたらしているようだった。
その日、たまたま観覧席の最前列に座っていたのは、先日商家の子息と共に訪れた年配の夫婦だった。彼らは戦うことこそしないものの、毎回熱心に足を運び、挑戦者たちの奮闘を見守るのが日課になりつつあった。
「今日もあの剣士のお嬢さん、頑張っているわねえ」
「ああ、あの子はもう何日目になるんだったか。……いつ見ても、清々しい気持ちにさせられるよ」
年配の夫婦は、レイラの奮闘を、まるで我が子を見守るかのような温かい眼差しで見つめていた。彼らのような常連の観客が増えていることも、俺にとっては嬉しい誤算だった。
「なあルナリア、見ろ。観客も、挑戦者も、両方とも楽しんでいる」
「本当ね。……これぞ、あなたの目指していたテーマパークの形、かもしれないわ」
「まだまだ、これは通過点に過ぎない。……観覧スタンドがあることで、挑戦者たちのやる気も、より一層引き出されるはずだ」
俺は観覧席から沸き起こる歓声を耳にしながら、静かに拳を握りしめた。単なる罠と報酬の繰り返しだけでなく、観客という存在が加わることで、このダンジョン全体が、一つの生きた舞台のように機能し始めているのを感じていた。
その夜、俺はダンジョンの最奥で、その日の成果を振り返りながら、ふと今日の観覧スタンドで見た光景を思い返していた。
「なあルナリア。あの年配の夫婦、随分と熱心に見物してくれていたな」
「ええ。……あの人たち、もう半月近く、毎日欠かさず通ってきているのよ」
「そうなのか。……戦うわけでもないのに、そこまで熱心になるとは」
「きっと、若い挑戦者たちの頑張る姿を見ているのが、単純に楽しいのでしょうね。……それに、ここには、誰かを応援したくなるような、そういう温かさがあるんだと思うわ」
ルナリアの言葉に、俺は静かに頷いた。単なる娯楽施設という枠を超えて、このダンジョンは、いつしか人々の日常に寄り添う場所になりつつあるのかもしれない。
「三年間、俺はずっと、数字だけを追いかけることを強要されてきた。……だが、こうして人々の温かい交流を目の当たりにすると、改めて実感するな。俺が本当にやりたかったのは、こういうことだったんだって」
「あなたらしい感想ね」
ルナリアは静かに微笑みながら、俺の隣に腰を下ろした。
「なあルナリア。……この観覧スタンドの評判が広がれば、いずれもっと遠くの町からも、見物客が訪れるようになるかもしれないな」
「そうね。……戦う者も、見守る者も、みんなが楽しめる場所。それこそが、あなたの目指す本当のテーマパークの姿なのでしょう」
「ああ。……まだまだ道半ばだがな」
俺はそう言いながら、静かに夜空を見上げた。星々の瞬く空の下、遠くヴァルガスの領地の方角に視線を向けながら、ふと思いを馳せた。あの男が今、どんな顔をしているのか、俺には知る由もない。だが、いずれ遠くない未来に、確かな答え合わせの時が訪れることだろう。
「役立たずと切り捨てられた俺と、その俺を切り捨てた連中。……どちらが正しかったのか、いずれ誰の目にも明らかになる」
「ふふ、随分と余裕のある物言いね」
「事実を積み重ねているだけだ。……焦る必要はない」
俺は静かに拳を握りしめながら、確かな手応えと共に、この日の作業を締めくくった。
誰も見向きもしなかった最弱ダンジョンは、こうしてまた一つ、新たな仕掛けと共に評判を積み上げていった。一方で、かつて栄華を誇っていたヴァルガスの領地は、その足元から確かに崩れ始めている。二つの対照的な運命が、静かに、しかし確実に、交差する未来へと向かい始めていた。
王立ギルドという後ろ盾を失ってなお、俺は着実に自分の力だけで、この場所を大きくし続けている。それに対して、あの二人は、権力という名の後ろ盾に胡座をかき、目先の利益だけを追い求め続けた結果、確実にその地盤を失いつつあった。
「因果応報、というやつかもしれないな」
「あら、随分と達観したことを言うのね」
「事実を述べているだけだ。……俺は、あいつらの没落を望んでいるわけじゃない。ただ、正しいことを積み重ねれば、いずれ正しい結果がついてくる、それだけの話だ」
俺はそう言いながら、静かに夜空を見上げた。役立たずと切り捨てられた男の逆襲劇は、こうしてまた一つ、確かな足跡を刻み続けていくのだった。
夜が更けていく中、俺はふと、今日観覧スタンドで交わした年配夫婦との短い会話を思い返していた。
「あなたが管理人さんですか。……いやあ、毎日ここに来るのが、私たち夫婦の楽しみになっていましてね」
「それは光栄です。……何か、お口に合わないものなどはありませんか」
「いいえ、とんでもない。それより、若い挑戦者たちの一生懸命な姿を見ていると、こちらまで元気をもらえるんですよ。歳を取ると、なかなか新しい刺激に出会う機会も少なくなりますからねえ」
あの何気ない会話の中に、俺は改めてこのダンジョンが持つ、思いがけない価値を見出した気がした。単なる娯楽施設としてだけでなく、誰かの日常に彩りを添える、そんな存在になりつつあるのかもしれない。
「三年間のギルド生活では、決して得られなかった手応えだな」
「あなたの築いたものが、確かに人々の心に届いている証拠よ」
ルナリアの言葉に、俺は静かに頷いた。数字だけでは測れない、確かな価値がそこにはあった。
夜風が静かに吹き抜ける中、俺はダンジョンの入り口を見つめながら、明日への期待を新たにした。今日という一日もまた、確かな一歩として、この場所の歴史に刻まれていくはずだった。
「さて、明日はどんな出会いが待っているだろうな」
「楽しみね。……きっと、また新しい何かが始まるはずよ」
ルナリアの言葉に、俺は静かに頷いた。役立たずと切り捨てられた男の物語は、まだまだこれからも続いていく。
その先に待つ未来には、まだ誰も知らない出会いと試練が、静かに待ち構えているのだった。
それでも、俺の足取りに迷いはなかった。
これからも、ひたむきに前へと進み続けるだけだった。
その先にある景色を、俺はまだ見ていない。
だが、それでも確かに、俺は前へと歩みを進めていた。
夜はいつまでも静かに更けていった。
その静けさの中で、俺は明日への準備を静かに整えていった。
役立たずと呼ばれた男の逆襲は、まだこれからも続いていく。
その歩みは、誰にも止められない。
確かな自信と共に、俺は今日という一日を終えた。
そしてまた、新しい朝が静かに訪れようとしていた。
その朝が、どんな一日をもたらすのか、俺には確かな予感があった。
それはきっと、良い一日になるはずだった。




