第六話 中毒者たち
翌朝、俺は朝食代わりの携帯保存食を齧りながら、昨夜の会話をふと思い返していた。
「なあルナリア。昨日、お前が口にした『ガルム』と『シルフ』というのは、いったい何者なんだ」
「……忘れてって言ったでしょう」
ルナリアは気まずそうに視線を逸らした。
「気になるだろう、そんな思わせぶりな言い方をされたら」
「今は関係のない話よ。……いずれ、時が来れば分かるわ。今は目の前のことに集中しなさい」
珍しく歯切れの悪いルナリアの態度に、俺は思わず苦笑した。数千年生きた古の存在にも、こういう素っ気ない一面があるらしい。
「もしかして、俺以外にも、このダンジョン領域建築士の力を持つ者に心当たりがあるとか、そういう話か」
「……鋭いのね。でも、これ以上は本当に何も言わないから」
ルナリアはそう言うと、あからさまに話題を切り上げるように、権限ウィンドウの確認作業へと意識を移してしまった。よほど触れられたくない事情があるのか、それとも単に俺をからかっているだけなのか、判然としない。
俺はしばらくその横顔を観察していたが、これ以上追及しても、頑なな彼女の態度が変わる気配はなさそうだった。数千年という時間の中で、彼女なりに大切にしている何かがあるのかもしれない。
「まあいい。……気長に待つとしよう」
俺はそれ以上追及するのをやめ、朝の見回りへと向かった。今はまだ、目の前の仕事に集中すべき時だ。数千年という途方もない時間を生きてきた彼女には、俺には計り知れない、様々な繋がりや因縁があるのだろう。焦って聞き出すよりも、いずれ自然と語られる時を待つ方が、賢明に違いなかった。
その日、ダンジョンの入り口には、見覚えのある顔が立っていた。
「あら、また来たの、レイラ」
ルナリアが半ば呆れたように声をかけると、鎧姿の女性剣士――レイラは、悪びれる様子もなく笑みを浮かべた。
「当然でしょう。あの吊り橋の崩落トラップ、まだ一度も攻略できていないんだから」
「今日で何日連続だ?」
「今日で七日目よ」
俺は思わず眉を上げた。七日間、毎日休まず通い続けている計算になる。
「随分な入れ込みようだな」
「悔しいのよ。あんな見え透いた仕掛けに、いつまでも引っかかり続けているのが」
レイラはそう言いながらも、その表情はどこか楽しげだった。単なる悔しさだけでなく、この場所そのものに、確かな魅力を感じている様子が伝わってくる。
「正直に言うとね、最初は意地になっていただけなの。でも、今は違う。ここに来て、あの子たちの――駆け出しの子たちの成長を見ているのも、なんだか楽しくなってきちゃって」
「成長?」
「ええ。最初はろくに足場も渡れなかった子たちが、少しずつコツを掴んで、上手くなっていくのよ。……その様子を見ていると、自分もまだまだだって、素直に思えるの」
レイラの言葉に、俺は少し意外な感覚を覚えた。単なる娯楽施設としてだけでなく、彼女の中で、このダンジョンは何か別の意味を持ち始めているようだった。
「今日こそ、渡り切ってみせるわ」
「望むところだ。……ただし、渡り切った先にも、新しい仕掛けを追加しておいたぞ」
「な……! 話が違うじゃない!」
「客商売に、現状維持はない。喜べ、更に楽しめる仕様になった」
レイラは悔しそうに歯噛みしながらも、どこか嬉しそうに入り口へと駆けていった。その後ろ姿を見送りながら、俺はルナリアに向かって呟いた。
「あれは……いわゆる『常連』ってやつだな」
「ええ。しかも、かなり重度の」
ルナリアはくすりと笑いながら答えた。
「悪いことじゃないでしょう。何度も通いたくなる場所、それこそがあなたの目指していた理想でしょうに」
「その通りだ。……だが、これほど早く『中毒者』が現れるとは、正直予想していなかった」
俺は苦笑しながらも、内心では確かな手応えを感じていた。一度の満足で終わらせるのではなく、何度も足を運びたくなる場所。それこそが、単なる一過性の流行りではなく、長く愛される場所になるための、最も重要な条件だった。
「にしても、あの崩落トラップにここまで固執されるとはな。もう少し攻略のヒントでも出してやるべきか」
「あら、随分と甘いことを言うのね」
「いや……逆だ。あえてヒントを出さない方が、彼女はもっと燃えるタイプだと思ってな」
俺の言葉に、ルナリアは呆れたように、それでいて納得したように頷いた。
「なるほど、そういう性格分析まで込みで運営しているのね。……本当に、抜け目のない人だこと」
「褒め言葉として受け取っておく」
昼過ぎになると、レイラ以外にも、通い詰める常連客の姿がちらほらと目立つようになっていた。リクたちのパーティーも、週に三度は顔を出すようになり、彼らが連れてきた友人知人の中にも、すっかりこのダンジョンの虜になっている者が何人もいた。
「なあゼノンさん、今日の新しい仕掛け、そろそろ教えてくれよ」
リクが待ちきれない様子で俺に詰め寄ってきた。
「焦るな。……お楽しみは、自分の足で確かめるものだろう」
「相変わらず意地悪だな、あんたは」
リクは苦笑しながらも、仲間たちと共に意気揚々と入り口へ向かっていった。彼らの表情には、初めて来た日に見せていたような緊張はもうほとんど残っていない。それでも、飽きた様子は微塵もなく、むしろ以前よりも生き生きとした顔つきになっているのが印象的だった。
「あいつら、随分と逞しくなったな」
「そうね。……最初に来た時は、足場を渡るだけで悲鳴を上げていたのに」
「経験の積み重ねってのは、馬鹿にできないもんだ」
俺はその背中を見送りながら、静かに息を吐いた。三年間、ギルドで塩漬けにされていた頃には、誰かにここまで期待され、楽しみに待たれるという経験など、一度もなかった。今では、こうして毎日のように顔を合わせる常連客たちが、俺にとってかけがえのない存在になりつつあった。
「なあルナリア。あいつらの顔を見ていると、不思議と力が湧いてくるんだよな」
「あら、随分と素直な感想ね」
「柄でもないことを言った自覚はある。……だが、事実だ」
ルナリアは微笑みながら、静かに頷いた。
夕暮れ近く、レイラが息を切らしながら休憩所に飛び込んできた。今日もまた、崩落トラップに阻まれたのかと思いきや、その表情はこれまでとは明らかに違っていた。
「見た!? 見てた!? 今日、あと一歩のところまで行ったのよ!」
「ああ、見ていたぞ。……随分と際どいところまで攻めていたな」
「くうっ、あと少しだったのに……! でも、着実に近づいてる感覚はあるの。これなら、近いうちに絶対攻略してみせる」
レイラは悔しさと興奮の入り混じった表情で、拳を握りしめた。俺はその様子を見ながら、内心でこの仕掛けの設計に確かな手応えを感じていた。絶望と紙一重の惜敗を繰り返させることで、挑戦者の闘志を絶やさせない――まさに狙い通りの反応だった。
「そういえば、隣町の方でも、このダンジョンの噂が広がり始めているらしいわよ」
「本当か?」
「ええ。私の知り合いの商人が、市場で聞いた話だって言ってたわ。『西の外れに、命を取られない代わりにプライドをズタボロにされる、変わったダンジョンがある』って」
俺は思わず笑いをこぼした。ダンが酒場で語った言葉が、そのままの形で、遠く離れた場所にまで伝わっているらしい。
「随分と忠実に伝言ゲームが機能しているものだな」
「それだけ印象的な体験だったってことでしょう。……私自身、身をもって理解しているもの」
レイラはそう言うと、疲れた様子ながらも満足げな笑みを浮かべながら、休憩所の椅子に腰を下ろした。噂は、俺たちが把握している以上のスピードで、着実に広がり始めているようだった。
夕方、その日最後の常連客を見送った後、俺は権限ウィンドウに表示された週間の収支報告に目を通した。
「……順調すぎるな」
「あら、何か問題でも?」
「いや、逆だ。想定していたよりも、ずっと早いペースで感情マナが蓄積している。……このままいけば、第二階層の着工も、当初の予定より一月は早められそうだ」
俺はウィンドウに表示された数値の推移を見つめながら、思わず口元を緩めた。常連客の存在が、想像以上に大きな影響を与えていた。一度きりの挑戦者よりも、何度も繰り返し挑戦してくれる常連客の方が、感情マナの蓄積効率が高いことが、データにはっきりと表れていたのだ。
「なるほどね。……何度も挑戦して、何度も悔しがって、何度も達成感を味わう。その繰り返しこそが、このダンジョンにとって一番の栄養源になっているというわけね」
「ああ。だからこそ、常連客を大切にしなくちゃならない。一見の客を集める派手さも大事だが、それ以上に、長く通ってくれる客との関係を、丁寧に育てていく必要がある」
俺はそう言いながら、頭の中で次の計画を組み立て始めた。常連客が増えれば増えるほど、彼らを飽きさせない工夫がより一層求められる。だからこそ、次の一手を早めに打っておく必要があった。
それに、常連客が増えるということは、それだけ運営側の負担も増えるということでもある。案内、記録、そして時折起こる細々としたトラブルへの対応――一人と一体だけでは、そう遠くないうちに手が回らなくなる日が来るはずだ。
「なあルナリア。……そろそろ、俺たち以外にも、この場所を支えてくれる人材が必要になってくるかもしれないな」
「あら、ようやくそう思うようになったのね」
ルナリアはどこか意味ありげな笑みを浮かべた。その表情に、俺は昨夜の「ガルム」「シルフ」という名前を、ふと思い出さずにはいられなかった。
「第二階層は、どんな構想にするつもりなの?」
「まだ細部は詰めていないが……食事処を併設した、迷宮型の階層にしたいと考えている。攻略の合間に、腹を満たせる場所があれば、滞在時間も自然と延びるはずだ」
「食事、ね。……いつか、あなたが言っていた腕の立つ料理人の話、覚えているわよ」
「ああ。いずれ、そういう人材にも巡り会えればいいんだがな」
俺はそう言いながら、頭の中で第二階層の全体像を思い描いていった。単なる通路型の迷宮ではなく、あえて複雑に入り組んだ構造にして、進むほどに空腹感を煽る演出を仕込む。そして、疲労と空腹が限界に達した頃、絶妙なタイミングで香ばしい匂いの漂う食事処へと辿り着かせる――そんな計算された導線を思い描くと、自然と胸が高鳴った。
「随分と楽しそうな顔をしているじゃない」
「これから作るものを想像すると、どうしても抑えきれなくてな」
俺は夕陽に染まる空を見上げながら、静かに呟いた。まだ見ぬ仲間たちとの出会いが、そう遠くない未来に待っているという確かな予感を、俺は胸の奥で感じていた。あの時ルナリアが漏らした「ガルム」「シルフ」という名前も、きっとその予感と無関係ではないのだろう。
三年間、俺は誰かと肩を並べて仕事をするということを、ほとんど経験してこなかった。ギルドでの日々は、常に一人で企画を練り、一人で提案し、一人で却下される、その繰り返しだった。だが今は違う。ルナリアという確かな相棒がいて、そしていずれは、もっと多くの仲間たちが、この場所に集うことになるのかもしれない。
「なあルナリア。もし本当に、俺たち以外の仲間が加わるとしたら……お前は、どんな人材が欲しい?」
「そうね……頼りがいがあって、少々暑苦しいくらい情熱的な人。それから、新しい技術を面白がって取り入れてくれる、好奇心旺盛な人」
「随分と具体的だな」
「……さあ、どうしてかしらね」
ルナリアは意味深に微笑みながら、それ以上は何も語ろうとしなかった。俺はその表情に、確信めいた予感を覚えずにはいられなかった。彼女は、既に何かを知っているのかもしれない。
「役立たずと切り捨てられた俺が、こんなにも多くの人に必要とされる日が来るとはな」
「当然でしょう。あなたが積み上げてきたものの結果よ」
ルナリアの言葉に、俺は静かに頷いた。中毒者と呼べるほど通い詰める常連客たちの存在は、このダンジョンが確かな支持を得始めている、何よりの証だった。
ギルドの応接間で浴びせられた侮蔑の言葉を、俺はもうほとんど思い出さなくなっていた。あの日、追放を言い渡された瞬間には想像もできなかった日々が、今は確かに、俺の目の前に広がっている。
役立たずと切り捨てられた男の逆襲劇は、着実に、そして確実に、次の大きな段階へと向かおうとしていた。
やがて訪れるであろう新たな仲間との出会いを想像しながら、俺は静かに、しかし確かな期待を胸に、その日の作業を締めくくった。中毒者と呼べるほどの常連客たちに支えられ、噂は着実に、そして確実に、王都の隅々にまで広がりつつある。役立たずと切り捨てられた男が築き上げるこの小さな王国は、まだ誰も知らない、もっと大きな物語の序章に過ぎなかった。
誰も見向きもしなかった穴蔵から始まったこの逆襲劇は、こうして一人また一人と、確かな仲間や支持者を増やしながら、着実にその歩みを進めていくのだった。次にどんな出会いが待っているのか、それを知る者は、まだ誰もいなかった。
夜が更けても、俺の中の情熱は冷めることなく、むしろますます強く燃え上がっていた。
明日もまた新しい挑戦者たちがこの入り口をくぐってくるだろう。その一人一人の笑顔と悔しさを、俺はこれからも大切に見守り続けるつもりだった。
そしていつか、ルナリアが仄めかした未知の仲間たちとも、確かな縁で結ばれる日が来るに違いない。
俺はそう確信しながら、静かに眠りについた。
夢の中でも、ダンジョンの設計図を思い描いていたような気がした。
翌朝の目覚めは、これまでにないほど清々しいものだった。
新たな一日の始まりを、俺は確かな期待と共に迎えることになる。
その先に、どんな出会いと物語が待っているのか、まだ誰も知らなかった。




