第十三話 査定員の正体
翌朝、俺が入り口の掃除をしていると、見覚えのある人影が、静かに近づいてくるのが目に入った。
「昨日の……旅装束の男か」
俺は手を止め、相手の様子を窺った。男は懐から一枚の身分証を取り出し、丁寧に差し出してきた。
「失礼いたします。私、王立ギルド所属の査定員、ハーヴェイと申します。……昨日は名乗らず観察させていただき、申し訳ございませんでした」
「査定員……?」
俺は思わず眉をひそめた。まさか、王立ギルドから直接の使者が来るとは、想像していなかった。
「はい。……実は、貴殿が管理されているこのダンジョンについて、複数の商人や冒険者ギルド員から、看過できない規模の噂が寄せられておりまして。ギルド長の指示により、正式な実態調査に伺った次第です」
俺は静かに息を吐いた。ボルドーが送り込んできたのか。
「なるほどな。……それで、何を確認したい?」
「まずは、来場者数、収益状況、そして施設の安全性について、公正な立場から査定させていただきたく存じます。……もちろん、貴殿さえよろしければ、で構いません」
ハーヴェイと名乗った査定員は、丁寧な口調ながらも、その目には確かな職業意識の光が宿っていた。年齢は四十前後、身なりは決して派手ではないが、清潔感のある実直そうな佇まいをしている。
「差し支えなければ、お聞きしたいのですが……なぜギルド長は、わざわざ査定員を派遣してまで、この件を調べようとしたのでしょうか」
「率直に申し上げますと……噂の規模があまりに大きく、放置しておけば、ギルドの威信に関わる、と判断されたようです。……にわかには信じがたい話ではございますが」
ハーヴェイの言葉に、俺は思わず苦笑した。ボルドーらしい、実に打算的な理由だった。
「構わない。……見せられるものは、全て見せよう。むしろ、正当な評価をしてもらえるなら、こちらとしても願ったり叶ったりだ」
その日一日、俺はハーヴェイに、ダンジョンの隅々を案内した。第一階層の浮遊足場ゾーン、第二階層の迷宮レストラン、そして上級者エリアの複合型関門――どの区画でも、彼は感嘆の声を漏らしながら、丹念に手帳へと記録を書き込んでいった。
「これは……想像していた以上に、緻密に設計されておりますな」
「妥協はしていない。……客商売である以上、中途半端なものを見せるわけにはいかないからな」
「安全性についても、セーフティゾーン自動転送の仕組みを実際に拝見させていただきましたが、これほど高度な魔導技術を、独力で構築されたとは、にわかには信じがたいものがあります」
ハーヴェイは感心しきりといった様子で、何度も首を振っていた。
「失礼ながら、これまでの査定経験の中でも、これほど独創的な運営モデルは、一度も目にしたことがございません。……冒険者ギルドの通常の評価基準では、正直なところ、測りきれない部分もあるほどです」
「評価基準が古いんじゃないか」
俺が皮肉交じりにそう言うと、ハーヴェイは苦笑いを浮かべた。
「耳の痛いお言葉です。……正直、私自身も、これまでの査定基準に疑問を感じることは、少なくありませんでした」
「率直にお聞きしたいのですが……このダンジョンの設計思想は、いったいどのようにして生まれたのでしょうか」
「単純な話だ。……冒険者を殺して奪うのではなく、生かして楽しませることで、より効率的にマナと利益を生み出す。それだけのことだ」
「単純、とおっしゃいますが……この発想を、実際に形にできる者は、そう多くはございません」
俺は静かに笑みを浮かべた。三年間、誰にも理解されなかった理念が、ようやく専門家の目にも、正当な評価として届き始めている。それだけで、これまでの苦労が報われる思いがした。
ハーヴェイはさらに、観覧スタンドや、レイラたちのような常連客の存在についても、詳しく質問を重ねてきた。俺は一つ一つ、丁寧に答えていった。単なる仕掛けの説明だけでなく、なぜその仕掛けが必要なのか、どのような客層を想定しているのか――運営の根底にある哲学まで、余すことなく語った。
「なるほど……単なる娯楽施設ではなく、確かな経営哲学に裏打ちされた場所、ということですな」
「そう言ってもらえると、こちらとしても嬉しい限りだ」
夕方、全ての査定を終えたハーヴェイは、まとめた資料を前に、しばし言葉を失っていた。
「……信じられません」
「何が、そんなに信じられない?」
「入場料収入だけで、既に王立ギルドが管理する主要ダンジョン五箇所の合計収益に匹敵、いえ、それを上回る水準に達しております。……しかも、これは開業からわずか二月足らずでの数字です」
俺はその言葉に、思わず息を呑んだ。予想はしていたが、ここまで明確な数字として突きつけられると、改めて実感が湧いてくる。
「感情マナの蓄積量についても、これほど密度の高い数値は、私自身、これまで一度も目にしたことがございません。……正直に申し上げますと、査定員としての職務を忘れて、一人の来訪者として、心から楽しませていただきました」
ハーヴェイはそう言いながら、丁寧に一礼した。手帳を閉じる仕草にも、どこか感慨深いものが滲んでいるように見えた。
「私は、これまで数多くのダンジョンを査定してまいりましたが……正直に申し上げて、これほど確かな『理念』を感じたダンジョンは初めてです。ただ利益を追い求めるだけでなく、挑戦者一人一人が心から楽しめる場所を作ろうとする、その姿勢が、隅々にまで行き届いております」
「理念、か。……そう言ってもらえると、素直に嬉しいものだな」
「この調査結果は、正式にギルド長へと報告させていただきます。……貴殿の功績は、必ずや正当に評価されるべきものと、私は確信しております」
「頼む。……正しい評価が、正しい形で伝わることを願っている」
俺はそう言いながら、静かにハーヴェイの手を握った。彼の手は、長年の書類仕事で硬くなった、実直な仕事人の手だった。
ハーヴェイが帰った後、俺はダンジョンの最奥で、ルナリアと共に、この日の出来事を振り返っていた。
「まさか、ギルドから正式な査定員が送られてくるとはな」
「予想通りの展開、とも言えるわね。……あれだけ噂が広まっていれば、いずれこうなるのは自然な流れよ」
「王立ギルドの主要ダンジョン五箇所の合計を上回る、か……」
俺は思わず笑いが込み上げてくるのを感じた。三年間、金貨三十枚しか稼げないと罵られ続けた男が、たった二月足らずで、ギルドの主要施設全てを上回る成果を叩き出した。この皮肉な事実に、俺は堪えきれずに声を上げて笑った。
「あはは……ざまあみろ、だな」
「随分と楽しそうね」
「楽しいに決まってる。……あいつらに『役立たず』と切り捨てられた時のことを思えば、これ以上ない痛快な結果だ」
俺は笑いながらも、ふと真剣な表情に戻り、静かに続けた。
「だが、勘違いするなよ。……俺は、あいつらを見返すためだけに、この場所を作ったわけじゃない。ただ、俺が信じたやり方で、多くの人を笑顔にしたかった。それだけだ」
「分かっているわ。……あなたのその姿勢が、こうして確かな結果に繋がっているのよ」
ルナリアの言葉に、俺は静かに頷いた。ハーヴェイが去り際に口にした「確かな理念」という言葉が、改めて胸に響いていた。数字だけを追い求めていたら、決して辿り着けなかった評価だった。
俺は夜空に瞬く星々を見上げながら、心の底から込み上げてくる笑いを、しばらく抑えることができなかった。
「なあルナリア。……三年前、あの応接間で、俺がどんな気持ちだったか分かるか」
「話してくれるの?」
「悔しかった。……理不尽だとも思った。だが、それ以上に感じていたのは、諦めじゃなく『いつか見返してやる』という、確かな闘志だった」
俺はそう言いながら、静かに拳を握りしめた。あの日、応接間を後にした時の、あの奇妙な清々しさを、今でもはっきりと覚えている。
「ハーヴェイの言葉を聞いて、改めて実感したよ。……俺のやり方は、間違っていなかった。ただ、それを証明する場所が、これまでなかっただけだ」
「今は、その場所を、自分の手で作り上げたというわけね」
「ああ。……誰の許可もいらない、俺だけの城でな」
ルナリアは静かに微笑みながら、俺の隣に腰を下ろした。数千年の孤独を経てきた彼女の瞳には、確かな誇らしさが浮かんでいるように見えた。
「これから、ハーヴェイの報告を受けたボルドーが、どんな反応を見せるか、楽しみだな」
「きっと、複雑な表情を浮かべるでしょうね。……自分が切り捨てたものの価値を、こうも明確な数字で突きつけられるのだから」
「ざまあみろ、だ」
俺はそう繰り返しながら、静かに笑いを噛みしめた。三年間の鬱憤が、こうして確かな形で晴れていく感覚は、何物にも代えがたいものだった。
その夜遅く、俺はふと、今日一日の出来事を振り返りながら、これからのことに思いを馳せた。ギルドからの正式な評価が下されるということは、これまで以上に多くの目が、このダンジョンに向けられるということでもある。
「なあルナリア。……これから先、もっと大きな変化が訪れそうな予感がするな」
「そうね。……いい変化も、そうでない変化も、両方あるかもしれないわ」
「そうでない変化、というと?」
「あなたの成功を妬む者や、利用しようとする者が、これから増えてくるかもしれない。……ヴァルガスやボルドーだけじゃなく」
ルナリアの言葉に、俺は静かに頷いた。噂が広がれば広がるほど、好意的な注目だけでなく、様々な思惑を持った視線も集まってくる。それは、成功に伴う、避けられない代償なのかもしれなかった。
「上等だ。……どんな相手が来ようとも、俺のやり方を貫くだけだ」
「頼もしい答えね」
俺はそう言いながら、静かに拳を握りしめた。三年間、理不尽な扱いに耐え抜いてきた経験が、これから訪れるであろう困難にも、きっと立ち向かう力になってくれるはずだった。
誰も見向きもしなかった最弱ダンジョンは、こうしてまた一つ、確かな公式の評価を得ることになった。三年間の管理者経験、そして二月足らずの怒涛のような改革――そのどちらもが、無駄ではなかったことを、今この瞬間、確かな数字として証明されたのだった。
俺は改めて、ハーヴェイが語った「確かな理念」という言葉を思い返した。単なる金儲けのためではなく、挑戦者一人一人が心から楽しめる場所を作りたいという、あの純粋な想い――それこそが、この結果を生み出した最大の要因だったのかもしれない。
「三年前、俺を切り捨てた連中には、決して理解できなかった価値観だろうな」
「でも、今は違う。……あなたの価値観が、確かに正しかったことが、こうして証明されたじゃない」
「ああ。……この結果は、俺一人の力じゃない。お前がいて、リクたちがいて、レイラがいて、そしてロレンツや、料理を任せている料理人のような、支えてくれる人たちがいたからこそだ」
ルナリアは静かに微笑みながら、俺の言葉に頷いた。
夜風が静かに吹き抜ける中、俺はダンジョンの入り口を見つめながら、明日への期待を新たにした。ハーヴェイの報告書がボルドーの手に渡る頃、いったいどんな騒動が巻き起こるのか、想像するだけで自然と胸が高鳴った。
「なあルナリア。……次は、どんな展開が待っていると思う?」
「さあ、どうかしらね。……でも、あなたのことだから、きっとどんな展開が来ても、面白く転がしてしまうんでしょうね」
「買いかぶりすぎだ」
「あら、そうかしら」
ルナリアは悪戯っぽく微笑みながら、俺の肩に軽く寄りかかった。数千年の孤独を経てきた彼女にとって、こうして誰かと共に成果を分かち合う夜は、何物にも代えがたい喜びであるに違いなかった。
「役立たずと切り捨てられた男の逆襲劇は、こうしてまた一つ、確かな答え合わせの時を迎えたのだった」
俺は静かに、しかし確かな満足感と共に、そう呟いた。
誰も見向きもしなかった穴蔵から始まったこの逆襲劇は、こうしてまた一つ、確かな足跡を積み重ねていくのだった。その先に待つ未来の広がりを、この時の二人は、まだ完全には知る由もなかった。それでも確かに、二人の歩みは着実に前へと進んでいた。
夜はいつまでも静かに更けていった。その静けさの中で、明日への希望だけが確かに輝いていた。役立たずと呼ばれた男の物語は、まだ終わらない。むしろ、これからが本番だった。
そう確信しながら、俺は静かに目を閉じた。明日への希望を胸に抱きながら。その希望は、決して色褪せることはなかった。そしてまた新しい朝が訪れる。
その朝を、俺は静かな確信と共に待ち望んでいた。それはきっと、良い一日になるはずだった。そして間違いなく、確かな一歩となるはずだった。その確信を胸に、俺は静かに眠りについた。
夢の中でも、次なる設計図を思い描いていたような気がした。翌朝の目覚めは、これまでにないほど清々しいものだった。新たな一日の始まりを、俺は確かな期待と共に迎えることになる。
その先に、どんな出会いと物語が待っているのか、まだ誰も知らなかった。だが確かなことは一つ、この歩みが止まることはないという、揺るぎない確信だけだった。俺は静かに拳を握りしめ、来るべき明日に向けて、心を新たにするのだった。
その決意を胸に、二人はまた新しい一日を迎える。夜明けはもうすぐそこまで近づいていた。その先には、まだ見ぬ広い世界が待っている。
俺はその世界に向けて、確かな一歩を踏み出す。誰も見向きもしなかったあの穴蔵から始まった物語は、今や確かな評価と共に、次なる章へと歩みを進めていくのだった。
その歩みに、迷いはなかった。
明日への希望だけが、確かに二人を照らしていた。
夜はしんしんと更けていった。
そしてまた新しい朝がやってくる。
役立たずと呼ばれた男の逆襲は、まだこれからも続いていく。
その歩みは、誰にも止められない。
確かな自信と共に。




