第8話「少しだけ」
翌日の学校で、緋色と目が合った。
廊下ですれ違ったときだった。緋色は友達と話しながら歩いていて、僕は壁際に寄った。いつも通りだ。
すれ違いざま、緋色がこっちを見た。
笑った。小さく、軽く。挨拶みたいな感じだった。
僕は、少しだけ頷いた。
それだけだった。でも、緋色は特に何とも思っていない顔で友達との話に戻っていった。
僕はそのまま歩いた。
……何だったんだ、今の。
いや、何でもない。挨拶だ。たぶん、普通の。
放課後、ダンジョンの入口で緋色がいた。
先に来ていたらしく、入口の壁にもたれてスマホを見ていた。僕が近づくと、顔を上げた。
「あ、宮前くん」
「……うん」
「今日も来たんだ」
「来る、って言った」
「そうだったね」
緋色は少し笑って、スマホをしまった。
「毎日来てるの?」
「……ほぼ」
「ほぼ、か。真面目だね」
真面目、という言葉が少し引っかかった。馬鹿にしている感じはなかった。ただ、普通にそう思ったみたいだった。
「……別に。まだゴブリンも倒せてないし」
「でも来てるじゃん」
緋色はあっさり言った。
「来てても、倒せなきゃ意味ない」
少し間があった。流してもよさそうだったのに、緋色は返してきた。
「そんなことないと思うけど」
それだけ言って、自動ドアをくぐった。また先に入っていった。
僕はしばらく、その言葉を頭の中で繰り返した。
そんなことない、か。
どういう意味だ。倒せなくても来ることに意味があるってことか。ただの慰めか。
よくわからなかった。
でも、嫌な言い方じゃなかった。
ダンジョンの中で、緋色とは会わなかった。
広いから、ルートが違えば会わない。それでよかった。別に一緒に潜るつもりはない。
戦闘は、今日も倒せなかった。でも、八分立っていられた。昨日より一分長かった。
出口を出て、入口脇のベンチに座った。
鞄からノートを取り出す。百円均一で買った、薄いやつだ。負けるたびに書いている。頭の中だけで整理すると、大事なことを忘れる。書いておけば、次に来たときに見返せる。
今日の分を書く。
八分。パイプ三回接触。腹への蹴りは半分ずらせた。三発目の連続攻撃、二発目を腕で受けた瞬間に体勢が崩れた。そこが原因。次は二発目の受け方を変える。
書き終えて、ノートを閉じた。
外はすっかり夕方になっていた。風が少し冷たかった。
どのくらい経っただろう、と思ったとき、自動ドアが開いた。
緋色だった。
息が上がっていた。頬が少し赤かった。僕より明らかに長く潜っていた。
出てきてすぐ、こっちに気づいた。
「まだいたんだ」
「……ノート書いてた」
「ノート?」
「振り返り。書かないと忘れる」
緋色は少し目を丸くした。
「へえ」
馬鹿にしている感じはなかった。ただ、少し意外そうだった。
外は夕方で、少し風があった。緋色は学校での緋色とも、ダンジョンで剥き出しに笑っていた緋色とも、少し違う顔をしていた。疲れているのに、どこか満足そうだった。
「楽しかった?」
聞いてから、余計なことを言った気がした。
でも緋色は少しだけ考えて、それから言った。
「うん。楽しかった」
取り繕っていない言い方だった。
「宮前くんは?」
「……楽しくはない」
「そうなんだ」
「怖い。毎回怖い。でも、来る」
言ってから、少し喋りすぎた気がした。
緋色は笑わなかった。さっきまでの軽い感じが消えた。少しだけ、真面目に考えるみたいな顔をした。
学校でああいう顔を見たことはなかった。
「そっか」
それだけ言って、「じゃあね」と歩いていった。
僕はその背中を見ながら、少しだけ考えた。
緋色は楽しいから来ている。僕は怖いのに来ている。全然違う。
でも、二人とも一人で来ている。
それだけが、少し引っかかった。
学校での緋色なら、誰か誘おうと思えば誘えるはずだった。
それでも一人で来ている。
理由はわからなかった。
ただ、楽しいから一人、というだけでもない気がした。
まあ、関係ない話かもしれないけど。




