表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

おそろしい谷

作者: 六福亭

 ある部族の美しいむすめに、西からやってきた若者が求婚した。


 部族の者たちは、誰もその若者のことを知らなかったので、みなが反対した。けれどもむすめは、その若者と結婚することにした。若者はりりしく、狩りがとても上手で、またやさしかったからだ。


 結婚のお祝いはにぎやかに行われた。妻となるむすめは、きらきら光るガラス玉や真っ白な貝殻、色とりどりの羽で長い黒髪を飾り、夫と一晩中おどりをおどった。妻は幸せだった。若者が狩りでたびたび大きな獲物をしとめてきたので、部族のみなも喜んだ。


 それからしばらくたって、夫が妻に、自分のふるさとへ行こうとさそった。むすめはそれまで西の方角へ行ったことがなかったので、何となく気がすすまなかった。けれど、あんまりたびたび夫がさそったため、とうとう承知した。


 部族のキャンプから西の方角へ、一日半も歩くと、深い谷があった。ふるさとは谷の底にあるといい、夫が妻を抱きかかえて谷をおりた。


 谷の底では、妻の部族よりも裕福で、にぎやかそうな人々が待っていた。夫と妻は、そこでごちそうやら歌、おどりやらでもてなされ、何日も面白おかしくくらした。最初は早く部族の元へ帰りたいと思っていた妻も、じきにそれを忘れるようになった。


 ところがある日、たきぎを集めるために妻が谷底の奥へ歩いていくと、ずっと昔に死んだはずの祖父がいた。


 おどろく妻に、祖父は忠告した。一刻も早く、谷から逃げろ。この谷には、おそろしい魔物がひそんでいる。あの手この手でえものを呼び寄せ、最後には食べてしまうのだ。食べられてしまった人間は、魂でさえも永遠に囚われ、谷底をむなしくさまよい続けることになる。


 祖父は彼女にマツの種をあげた。もしも追いつめられたら、これを食べるがいい。魔物に捕まることはなくなるだろう。


 妻はマツの種を持って、逃げた。行きは夫に下ろしてもらったがけを、今度は自分の手と足で登った。夫やその仲間たちが気づき、追いかけてきた。けれども妻は、わきめもふらず、登り続けた。夫のやさしい言葉や、祖父のうめき声にも、耳を貸さなかった。


 谷の上がようやく見えてきたころ、安心した妻は、ふと後ろを振り返った。


 そこで見えたのは、大きな顔だった。谷の底は歯をむき出した広い口で、赤い舌が、妻を呼んでうごめいていた。そしておそろしい目が、ぎょろりと妻をにらんだ。


 妻は気を失う寸前、祖父にもらったマツの種をのみこんだ。


 すると、妻は一本のマツの木になった。崖に根を張り動かない木を見て、魔物たちはあきらめ、谷底におりていった。


 マツの木は、枝にとまった小鳥たちに、自分が経験した話を伝えた。小鳥たちは、その話を人間たちにも広めた。それで、谷の魔物に食べられてしまう者はいなくなった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
松の不老不死や哀れみの意味や、神社の参道を松並木とする神域への入り口と言った意味を、うっすらと感じさせるおもしろいお話ですね。実を食べることで、人であることを捨て、捕食を逃れるというアイデアも思いつき…
夫が‥‥なんて、怖かったでしょうね。 楽しい様子から一変する展開がさすがです。 娘が食べられなくて良かったですが、マツの木から戻れたのでしょうか? 食べられる人がいなくなったこと、娘は立派ですね。 読…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ