あなたは私を友達だと思っていなかったんだね
初めての投稿です。
感想があるととても喜びます。
私は骨壺と旅をしている。
自転車かごの中に納まる白く目の詰まった布。ざらざらした布を触れば、向こう側に筒状のものがあることがわかる。その正体は骨壺で、更にその骨壺の中には私の大切だった人の骨が入っている。
本来、仏壇でも、墓でも飾っておいて、たまに故人を惜しむために使われるもの。それがなぜ自転車のかごの中に納まり、移動しているのか。
簡単だ。私がさっき盗んだ。
私の大切な、大切な友達の骨。あんなに傍に、ずっといたかった彼女。
その骨は彼女の実家に置かれていた。確か仏間であった場所。倒れた柱の陰に隠れるように、そこにいた。
私は最初、彼女の骨壺を盗みに彼女の実家に来たわけじゃなかったが、柱を盾に私から逃げるようなしぐさを見て、死んでも彼女らしいと思ってしまった。
だから盗んだ。
ひび割れたコンクリートの上を空気の詰まったゴム車輪が軽快に進む。かれこれ一時間は進んだ気がするが、周りの景色は変わらない。いつまでも、どこまでもコンクリートの破片と車の残骸と、たまに荒れ果てたコンビニが見えるだけであった。
たまに争っている様子の人間が見えるが、気にしないようにして進む。私にとって、とても大切な彼女がいるのだ。下手に巻き込まれて彼女をまた失うのはこの上なく恐ろしかった。
照りつける太陽に目を細めながら自転車をこぐ。
彼女との関係を思い出しながら。
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彼女は大学のサークルで一緒だった。
たまたま同じ大学、同じ学年、同じサークルに入った。偶然が重なっただけの出会いだった。
そんな彼女は目立つ人だった。悪い意味で。
Caféサークルだったのだが、彼女はCafé巡りに参加しても誰とも喋らず、紅茶を片手に本を読んでいるだけだった。また、そこそこ歴史のあるサークルなので部室も用意されていたのだが、その部室にパソコンや本を持ち込んで一人で作業していた。
誰とも喋らず、交流も深めず、クーラーの効いた部室を使いたいがために入ったと噂されていた。
彼女を含め、6人ほどの同期がいたため、私も無理に彼女に関わろうとはしていなかった。ただ、ひとりで平気とでもいうような彼女の態度は、今後苦労しないかな。なんて上から目線で思う程度だった。
そんなある日、私と彼女以外の同期と複数の先輩が突然サークルをやめてしまった。
なんと、痴情のもつれというものが発生していたらしい。
誰が誰を好きだったのか、誰が誰を傷つけたのか、もう分からないほどとっ散らかっていたらしい。ただ火種が至るところにあって、一度火がついたら、あっという間にサークル全体が燃え落ちた。
というわけで、そこそこの人数のCaféサークルは、すかすかになってしまった。
正直、この顛末を聞いた時、とても悔しかった。悲しかった。
何故なら、私はこのサークルでそこそこの人と親しい関係にあったと思っていたからだ。
人生最後の学生生活、みんなで秘密を共有したり、ちょっとしたバカ話をする最高の環境だと思っていた。
蓋を開けたら、誰にも何も相談されず、私は、ただ取り残された人間だったのだ。
気付いてしまったとき。本当に落胆した。私は所詮、表面上でしか繋がれない哀れな存在だと思った。
そう思うと、「私達巻き込まれたんだよね」「私達とってもかわいそうだよね」なんていう同期達を慰める気にもならなかったし、自然と冷めた目で見てしまった。
それが効いて、私はひどく冷めた人間だと思われたのか、同期とも話さなくなった。
正直、人と関わること自体がめんどうくさいと感じる一件だった。このまま誰にも縛られない大学生活を送ろうとも考えた。
しかし、いくら人間関係に疲れても、人間は一人じゃ生きていけない。
今更、授業を一人で受けるのも、一人でご飯を食べるのも、過去問をもらえないのも私には無理だった。
今からほかのサークルに移るか、どうしようか。そんな元気もないしな
なんて思っていた。
そんな時、部室の隅にいる彼女が目に映った。
今の今まで忘れていた、残されたただ一人の同期。
上手くいかなかったら、区切りをつけてサークルやめよう
そう思いながら彼女に近づいた。
「ねぇ、何読んでるの?」
にっこり人好きのする表情を意識して本を読む彼女に問う。無視されるかな。無視されたら本でも取り上げてみようかな。そしたら怒るかな。
なんて愉快犯のようなことを考えていた。
すると彼女は目線だけこちらを向けて
「桜」
と答えた。
答えるんだ。意外だな。なんて思いつつ、彼女に問い続けた。
「どんな話?」
すると彼女は本を伏せて私に言った。
「あなたみたいな人の話」
そういうと彼女は本を畳んで椅子から立ち上がり、そのまま部室を出てしまった。
自分みたいな人の話?何それ。
まるで私がどんな人間か知っているぞ、というような答えに内心イラつきを覚えた。
喋ったことないくせに、人間関係を構築しようとも、秘密を共有したり、時間を共に過ごしていないのに、私の何をわかったつもりなんだろうか。そう思った。
ただ、単純に気になったことがあった。
人から見た私って何だろう。
気にしいな私の性質は彼女の本を探すことに決めた。
桜 という言葉が入る小説は無限と言っていいほどあった。彼女がもし英語ができたならcherry blossom も視野に入れなくてはならない。正直この時点で本を探そうという気力はそがれていたが、なんとその小説は見つかった。
彼女の読んでいた本の表紙の特徴を入れたら出てきたのであった。
スマホに映る、青ざめた少女のイラストは彼女の手元にあったもの同じだった。
調べた情報をもとに近所の図書館で読んだ。
内容としては、他人の目が異様に気になる少女が、日々の苦しみを日記を綴りながら生きて、最後に川に落ちて死ぬ話だった。ページをめくるたび、主人公の少女の声が胸に張り付いてきた。最後に川へ落ちる場面では、文字を追う目まで溺れそうで、しばらく呼吸ができなかった。
もちろん、後味は最悪。登場人物は主人公の少女にちっとも優しくない。まさに少女にとっては絶望と言ってもいい世界観で構築されたものだった。
読後感は最悪だが、読んで後悔はしないほどの文章ではあった。しかし、それよりも彼女の言葉が引っかかった。
彼女にとって、私はこう見えているのだろうか。こんな悲劇のヒロインか何かに。
確かにサークルで起きたことに巻き込まれたのは悲劇に近いが、小説の中の少女の惨状までではないし、かわいそうなのはもっと事件の中核にいた人達に当てはまると思うし、それこそ元同期達にでも言えばいいのではないかと思った。
週明け、教室の窓際の席に座る彼女に声をかけた。
「あの本探して読んだよ」
彼女がこちらを向く。
「あなたには私があんなにかわいそうに見えるの?」
そう聞きながら彼女の隣の席に座る。我ながら図々しいが、一人で受ける授業は気分的に死にそうになるのだ。拒否されても、今日だけでも隣に誰かを座らせたい。
そんな私に彼女はなんの気持ちもこもっていないように言った。
「あの主人公、かわいそうに見えるの?」
思考が止まった。え、そうじゃないの。かわいそうでしょ。
そう言おうとする私に彼女は続けた。
「あの主人公、周りを敵だって思い込んで、勝手に傷ついて、勝手に死んだもの」
彼女はあの本を読んで、なんの感傷も受けていないような口ぶりで言葉を続ける。
「おかしいと思わない?セリフだけを抜き出すと、親や教師、クラスメイトの言葉ってそんなにひどいものじゃない。ただ、彼女の考えである地の文が、その言葉の意味を必要以上に歪めている。」
そういうと彼女はつまらないとでもいうように、手元の本に目線を戻した。
その本は桜とはまた違った、新しい本だった。
私はまるで冷たい川にでも放り込まれたような気持になった。
周りが敵だって
だってそうでしょ。
周囲の人間なんて、自分勝手で都合が悪くなったら泣いて、被害者ぶって、それで私を悪者にする敵。
敵だ、先輩も、元同期も、親も、先生も、元クラスメイトも、すれ違う人も、すべてすべて全部
そう、だから敵に攻撃されないために私は必死に媚び売って、敵意がないアピールして、無害で優しくていい人であろうとして。
そこまでぐるぐる考えて、主人公の独白を思い出した。
「なんで、私ばかり傷つくの」
なんで、なんでってそれは。
「じゃあ勘違いだっていうの?」
不意に言葉がこぼれた。
彼女は手元から視線を動かさずに言う。
「主人公に関してはそうだと思ってる」
その言葉は、冷たいように感じた。ただ、私はその冷たさを信じることができなかった。この冷たいと感じる私の感性が間違っているかもしれないと思ってしまったから。
そのうち授業が始まり、私は彼女から目線を外した。
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「ひどいこと言うよね。ほんと。」
夕日になるまでこぎ続けたため、足はパンパン、おなかはペコペコだった。
かごの中に入れていたコンビニパンを開封し、食べ始める。
その言葉に彼女は返さない。
口もないし、魂もないから。
どんなにめんどうくさそうにしても、無視だけはしなかった彼女はやっぱりここにはいなかった。
パンは残り2つ。山を越えて助けを求めるにはあまりも心もとなかったが、生きるためには覚悟を決めるしかない。
「寂しいな」
もし、生きた彼女がここにいたのなら、なけなしのパンを全部渡して、こぐ係は私で、彼女には後ろに座ってもらうだけでも良かった。
そう思っても、彼女はかごに入ったまま。言葉何一つ返さない、本当の意味での荷物。
私の体力を考えるなら置いて行った方がいいもの、昨日までなかったもの。だけど、彼女置いていくことだけはできなかった。
「最悪、食べるか」
そんな狂気的なことを言っても、やっぱり何も返してくれない。
涼しくなった風が頬を撫でる。
夜に雨が降っても濡れなくてもいいように、雨よけになる場所を物色するために自転車にまたがった。彼女が入った布を一目し、前を向く。
彼女と話したあの後、彼女を見つめる暇なく、私は病んでしまった。まるであの小説の主人公のように。周りはもとより、自分も信じられなくなっていた。
だからかな、あんなに大胆な行動ができたのは。
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今日も辞めることを言い出せず、部室に来た。
最近、どんな小さなことにもおびえるようになってしまった。周りはもとより信用していなかったが、その言動の裏を考えるたびに「被害者面」という言葉とあの小説の主人公のラストが脳裏に映るのだ。
自分でも病んでいると思っていたが、どうしようにもなかった。正直通学しているだけでギリギリな状態だった。
疑心暗鬼でいつ自傷他害を行うかどうかわからなかった。
そんな状態でも毎週水曜日は部室に行っていた。
いつの日か、あんなに哀れんだ独りぼっちも板についてきた時、彼女が久しぶりに部室にやってきた。
彼女はいつもの席に座り、本を開き始めた。
前に見た本とも、桜とも違った。
何となく、彼女の前に移動した。
彼女の前に立つが、彼女は本から視線を動かさない。
そういえば、今までのを思い出すと、彼女はいつも声をかけるまでこちらに反応しなかった。逆に言えば、話しかければ彼女は何かしらのアクションを必ずするということだ。
彼女に言いたいことは正直なかった。
自分のことでいっぱいいっぱいだったし、他人にどうやって話しかければいいのか急に忘れてしまったのだ。今までどうやって取り繕っていたんだっけ。
そんなことを思いながら彼女を見つめ続ける。
黒く長い髪の毛、切れ長で何を考えているのかわからない瞳、一の字で結ばれた口元。
見た目だけで言えば、彼女の方が、あの小説の主人公の見た目に近い。
だけど中身は正反対で、彼女は人の目なんか気にもせず、悠々とそこに立つような人だ。
彼女みたいになれたらな。
そう思い、声をかけた。
「何読んでるの?」
あの時とは違い、笑顔を見せる余裕はなく、ひどい仏頂面のまま彼女に問いかける。
声色も低い、疑いようもなく機嫌悪そうな声が自分から出たことに、なぜかひどく恐ろしく感じたが、目の前の彼女はそんな気持ちなど一切興味ないというようにこちらを向いて答えた。
「夏に生きるトナカイの話」
なんだそれ、と思った。そんなもの読んで何になるのか。しかし、そんな話が彼女を構成していると思うと気になった。
「読みたい」
そういうと彼女は目線をあげる。
「なんで?」
私は正直に答える。
「あなたが読んでいるから」
そうすると彼女は本を閉じて一つため息をついた。
「2日後には返して」
そう言って彼女は本をこちらに手渡す。思わず受け取ると彼女はパソコンを取り出し、作業を始めてしまった。
彼女の様子をみながら私は本を抱えた。
そして言った。
「読み終わったら感想を言い合いたい」
彼女はパソコンから目を上げていった。
「いいよ」
この時、私は久しぶりに気持ちが晴れるような感じがした。単純にうれしかったのかもしれないが、それを感じるには感情が鈍麻になっていた。
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「今思うと、あの時やっぱりうれしかったよ」
そう言いながら家屋からブルーシートを取り出し、砂交じりの畳に敷く。
毛布はないが、今の時期なら風邪は引かないだろう。
彼女をそばに置き、眺める。
「いま、私達、夏に生きるトナカイみたいだね」
あの本の話は、まとめると、夏という季節を孤独に生きる一頭のトナカイの話であった。桜の主人公とは違い、最終的に群れに帰れるハッピーエンド。しかし、道中は孤独との戦いで、読んでいるだけでも精神がすり減っていくものだった。
その本の章の一つに、友人のセミとの別れ話があったのだ。大層仲が良かったが、寿命差でセミが死んでしまい、トナカイは悲しみセミの亡骸のそばで一晩過ごしたのちに、供養するのであった。
そのシーンはとても印象的で、孤独からの一時的な解放から、再び絶望に戻される落差で読んだときは泣いてしまった。
思い出しても辛い話だったが、桜とは違い、最終的に報われるので読後感はよかった。
「供養、したほうがいい?」
とっくにされているのだからその見た目であることはわかっているが、何となく、今の姿は彼女に似つかわしくないと思った。
せっかく世界は崩壊してしまったのだから、何にも縛られず、彼女を供養しなおしたいという思いが湧いてきた。
手を天井に向けて、意味もなく手を握ったり、開いたりする。
できるかな、私にできるかな。
「ねえ、できると思う?」
そう聞いても答えは返らない。
ただ闇夜に月の光が差し込むだけ。
彼女のことを考えながら眠りについた。
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そのうち、彼女とは本を借りて、感想を言い合う仲になった。
彼女はとてもリアリストで、決して登場人物たちに感情移入せず、つまらないと思っているのかというほど冷めた目で見ていることが多かった。
私は反対に登場人物にとても肩入れをしてしまっていた。
そもそも彼女が選ぶ本はどれも悲しいし、情緒を揺さぶってくるものが多いのだ。何度枕を濡らしたことかわからない。
読んでいて、悲しくならないのかな、なんて思っていた。
ただ、そう思っていたのも途中までで、しばらく彼女と過ごすうちに、彼女の言葉はとても感情的であることに気が付いた。
彼女が感想をいう時、若干眉を下げる。
まるで登場人物たちの過去や結末を憂うように。
そんな彼女の細かい変化に気が付くほど、私は彼女を見つめ、思っていた。
彼女と過ごす日常の中、私は変化していた。
彼女と喋っていたからなのか、小説の影響からか、自分の状況について冷静に説明できるようになっていた。
感情的にならず、悲観的にならず、被害者思考でも加害者思考でもなく、自分の人生を見つめることができるようになった。
それで思ったのは、自分は他人を気にしすぎていたのだな、ということだ。
周囲の人間なんて全員敵だと蔑んできていたが、内心他人におびえ、その怯えから他人に嫌われないように立ち振る舞ってきていたのだと気づくようになった。
そう考えると、自分の今までの苦労が馬鹿馬鹿しくなり、次第に他人への過剰な反応は少しずつ減っていった。
しかし、それに反比例するかのように彼女への思いは増えていった。
何せ、その時の私にとっては自分に新しい価値観や物語を提供する、教祖にも等しい人に映っていたのだ。信仰心に近いその思いは、普通、人にぶつけたら、普通の人なら離れるものかもしれないが、普通ではない彼女は私がどれだけ崇めようが、その態度を崩さなかった。
そしてそれがさらに私の思いを加速させた。
「桜、きれいだね」
彼女と出逢って一年が経った時、彼女を引っ張って大学の桜のよく見える場所に行った。
月並みだが、信仰する彼女との思い出を何か作りたくて、花見に誘ったのだ。
食べ物もゲームも何も用意していない、本当に桜を見るだけの花見だったが、それが一番彼女に似合うと思ってそうした。今思えば傲慢な行為だったと思う。
桜の吹雪に似合う彼女、その彼女と本の感想を言い合える私に酔っていた。
だから、ふとした彼女の言葉に驚いた。
「桜、きれい。きれいなだけの役立たず」
その言葉が何をあらわしているのかはわからなかった。ただ、彼女だけが納得したような、満足したような顔をしながら桜を眺めていたのが印象的だった。
桜、きれいだからこんなにも愛されているものを「きれいだから、何?」と切り捨てるような発言をする彼女に驚いてしまった。桜に美しさ以外を求めているのか、彼女の役に立つ基準とはどういうものなのか、単純な疑問が次々と湧いて出てきた。そのため、彼女に返してみた。
「ねえ、私は?私は役に立ってる?」
できれば、役に立っていると言ってほしい。だが、彼女のことだ、ただ感想を言い合う私なんて何の役にも立っていないだろう。聞いた本人が言うことではないが、彼女にはこの質問に答えてほしくないと思った。
彼女はじっくりとこちらを見ていった。
「役に立たなくても、そばにいてほしい」
そんな存在、なんて言って彼女はゆったりとほほ笑んだ。
ちらちらと降り注ぐ桜の雨の中、私はその瞬間、信仰心や尊敬、彼女に向けていた気持ちに新しいものが加わったことを自覚した。
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目が覚めて彼女の方を向く。
目を閉じた時と変わらず、彼女の骨が入った骨壺はそこにあった。
「おはよう」
そう言って骨壺を額まで持ち上げ、こつり、と額を骨壺に当てる。
まるで幼い子供のような挨拶だ。そして、彼女がもうここにいないことを実感する。けれども、この骨壺があることで、返事をしなくても、笑顔を向けてくれなくてもまだ、彼女の残滓か何かがここにいてくれていると思い込む。
もう、これ以上どこにも行かないでほしい。
そう思いながら額を擦り付け、彼女に挨拶を続ける。
そうだ、彼女にはもう手足がない。だから逃げたり、急に目の前から消えてしまったりすることはもうないんだ。
そのことを実感すると仄暗い喜びの感情がふつふつと表出する。
彼女に逃げられて、ひどく感情的になったあの時のことを思い出しながら。
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ある季節を境に彼女は部室に現れなくなった。
それどころか、かぶっていた授業にも顔を見なくなった。
彼女とは連絡を交換していなかったので、心配の声も、新たな本の誘いもすることができなかった。
彼女のいない孤独に耐えかねた私は、彼女と一緒に受けていた授業の教授にも聞いて回った。
情報リテラシーのなさそうな高齢の人を狙い、何とか彼女の情報を掴もうと必死になった。
そこで知ったのは、彼女が重い病気にかかり、治療に専念するために休学したということだった。
すぐさまCaféサークルの部員名簿を勝手に拝借し、彼女の住所と電話番号、緊急連絡先を手に入れた。
彼女の電話には繋がらなかったため、緊急連絡先の方に電話を掛けた
そしてその先にいたのは彼女の両親だった。
私は彼女の友人兼所属するサークル人間として彼女のお見舞いに行けないか打診した。単純に友人だと言ったら、彼女の連絡先を知らないこと不審がられるし、彼女の両親の電話を知っている理由に答えられないからだ。
「あまり大勢が乗り込んでも彼女も気負うので、代表として一人が行きたいと思っています。どうか病室を教えてくれませんかね。」
そんな下心マシマシの私の提案に彼女の両親は人がよさそうな声で喜んだ。
そうしてお見舞いの花と彼女が気に入りそうな本を持ち、白い病室に入った。
彼女はもとから線の細いイメージがあったが、久しぶりにあった彼女は今にも命の糸が切れてしまいそうなほど脆そうな印象を与えた。
凛とした横顔や目線は変わらないが、布団から出された手首があまりにも細かった。私の持ってきた文庫本を持ってしまったら折れてしまうのではないのかと思ってしまったぐらいだ。
入口から動かない私に気付いた彼女はこちらを向いた。
そして困ったように目を細めて
「あんまり、見せたくなかったな」
と言った。
責める口調ではなく、どこかほっとしたような口ぶりだったのが、その時はよくわからなかったが、ただ彼女とまた話せることがうれしかった。
面会時間が終わるまで彼女と話した。本を介さない彼女は新鮮に思えた。
椅子に座る私と、ギャッチアップされたベッドに横たわるように座る彼女。彼女はもう一人で座れないほど弱っているのか、ご飯はきちんと食べているのだろうか、彼女と話せる喜びの裏で心配と不安が募っていく。
「心配する顔が見たくなくて。黙って休学してごめんね」
彼女は自身の寿命を隠そうとしなかった。
1か月。
それが彼女に残された時間だった。
「予後は悪いとは言われてたけど、本当は1ヶ月くらいで復学する予定だったの」
「ここ数日に急に悪化して、余命宣告されたの」
淡々と告げる彼女の言葉に、私は絶望した。大好きな彼女の言葉なのに頭に入ってきているのかわからないほど、頭がくらくらした。
死んでしまうのは彼女の方なのに、なぜこんなにあっさりと話せるのかがわからなかった。もしかしたら、悪化した数日間で彼女なりに考えて、何かの結論にでも達したのかはわからない。ただ、彼女の残りの時間を突き付けられた私はただ呆然とするだけだった。
彼女も口を閉じ、私はうなだれる。
ただ、時間が過ぎていく中で彼女の言葉を何回も反芻する。そんな私を彼女はじっと見つめている。
そして私は言ってしまった。
「死なないで」
死にたくないのは彼女の方だろうに、残酷でひどいことを言ってしまっていることを自覚しつつも私は言ってしまった。
「死なないでよ」
言葉に涙が混じる
「いやだよ、やだよ。死なないでよ」
鼻がぐずぐずと音を立てる。
自分でも何を言いたいのか、何を伝えればいいのか、会話を放棄したコミュニケーションを続けた。
ただ、彼女に死なないでほしいと伝える私の声が、部屋にたまっていく。
彼女は一言「ごめんね」という。
私は彼女に抱き着く。彼女は潔癖なところがあるからと、必要以上に触れないようにしていた。けれども抱き着く以外に、この衝動を処理する方法がわからなかった。
抱き着いた後も泣き続ける私を嫌がるそぶりも見せず、ただ彼女は受け身のままだった。
ただ、一言
「ずっとそばにいてくれる?」
そう耳元にささやいた。
私は同意の意味を込めて抱きしめる力を強くした。
彼女を離したくなかった。離さない限り、このまま彼女はここにいてくれる。そう思い込もうとした。
夕日の差す病室に私のぐずるような泣き声だけが響いた。
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また自転車をこぐ。
かごには彼女とコンビニパンが1つ。
トンネルが崩れないことを願いながら全速力で車道を走っていく。
車道も壊れている覚悟はあったが、奇跡的に隣の県に行く道路は無事なところが多かった。道に動物の痕跡や、通る人を狙った罠なども見かけられなかったが、いつどこで生存者を狙った罠などがあるかはわからないので、道を注視しながら手早く通り過ぎる。
隣の県はまだ地震の影響が少ないことを祈り、こぎ続ける。
貴重品と骨壺を抱えて帰ってくる娘は高齢の両親にはインパクトが強すぎると思うが、許してほしい。
「まぁ、まずは山を越えてからか」
災害が起き、都市が壊滅してから人とも喋ることがなくなったため、すっかり増えた独り言。彼女に聞かせるためでもない、ただの言葉が口から出てくる。
そうでもしないと狂ってしまう。
「いや、もう狂ってはいるか」
骨壺を見て思う。
道徳なんてもう機能していないこの世界で、私が正常でいる必要なんてないのだ。
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彼女と再開してから2週間と経たず、また彼女とは会えなくなってしまった。
彼女の体では普通の環境に耐えることがもうできないらしく、空気がとてもきれいな病棟に移された。
毎日欠かさず彼女と話すためディスプレイ越しに話しかける。
彼女は最初は短時間なら話せていたが、何日もせずに寝ていることが多くなった。
今日は喋れた。今日は喋れなかった。喋れなかったけど、目は開いていた。今日は目を閉じていたけど少し喋れた。
そんな風に、彼女が生きていることに感謝しながら過ごしていた。
彼女に再開して20日とちょっと。
彼女はいなくなってしまった。
「元気そうな顔」
久しぶりにゆっくり顔を合わせることができたのは、火葬の直前だった。
先ほどまでは彼女の親族がいたところに私がいた。
私以外に彼女の個人的な付き合いの人はいなかったらしい。私はゆっくりと彼女の顔を見ることができた。
彼女の顔は死んでいると思えないほど安らかで、血色がよかった。生前あんなにやつれていたのに、死んだ後の方が生き生きとしているなんて、なんだか不思議だな。そう思った。一緒に入っている花も艶やかで、真っ白な装束もきれいだった。丁寧に、整えてくれたんだな。素人目でもそう思った。
ただ一つ不服だったのは彼女の目が見れないことだった。
彼女はいつでもまっすぐとした目をしていた。その目を見るだけで私は呼吸を忘れるほどに夢中になった。しばらく見ることのできなかった彼女の瞳、もう一度射貫かれたいと思うが、故人の目を開けるなんて流石にできなかった。それに怖かったのだ。彼女の目が死んで変わっていたら。なんて。
私は迷った後、彼女の頬に軽く触れ、さよならを言った。
火葬中、彼女の焼かれた匂いがしたらどうしよう。
なんて変なことを思いながら、彼女を見送った。
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山を越えて海沿いを走る。
何とか日が暮れる前に隣の県につくことができたが、地震は思ったより広く影響していたらしい。山を越える前と、そう大差ない風景が続いていた。
両親は無事だろうか。
あまり気にしないようにしていたが、この状況だと少しやばいかもしれない。少なくとも自警団や強盗団ができていない、まだ司法が通じる状況であればいいのだが。
そんなことを思いながらこぎ続ける。
彼女はこの状況を見たら、どのような感想を言うのだろうか。
人間は愚かだとか、私たちも襲う側になればいいなんて露悪的な立場をとるのか、それとも性善説を出してくるのか、それかすべてを見通したことをいうのだろうか。
まだあまりにも非現実的な状況を前に彼女のシミュレーションがうまくいかない。
この地震は3週間前に起こったのだが、最初の一週間までは破壊的な影響を除き、通常通りの災害だった。司法や地域コミュニティ、救援や支援の運営も順調に行われていた。しかし、いつからか市民同士での暴動が盛んにおこなわれ、自警団や強盗団、支援を謳った詐欺まがいのような行為が横行した。
私が無勉強なだけで、通常の災害時にも起こるのかもしれないが、それでも今回はあまりにも度が過ぎていたのだ。そのうち、暴力や私刑がまかり通るような地獄が形成された。
私も最初は大学を中心とした避難所を利用し、そこで生活していたが、ある日武器を持った人たちが物資や人を攫うために押し入ったことをきっかけに逃げた。
そこで県外に助けを求めるために自転車で山越えを目指しはじめ、ついでに物資を漁るために、家宅侵入しながら町を移動していた。
その移動経路上に彼女の実家があったのはたまたまだった。
あの葬儀をきっかけに彼女の両親とは知り合いになり、私の精神の安定のために度々家で線香をあげさせてもらっていた。
しばらく通ううちに
「まるで娘がもう一人できたようだよ」
と言われた時はどう反応すればよかったのかわからなかったが、好意はありがたく利用させてもらった。
久しぶりの訪問だったが、彼女の実家はぐちゃぐちゃであまり面影はなく、人もいなかった。靴もあったから、もしかしたら生き埋めにでもなっていたのかもしれないと今更思う。だとしても、悲しいほどに私に助ける力はないが。
「回収できてよかった」
改めてそう思い、彼女に伝えるように骨壺に向けていう。
彼女は何も返さない。けれどもそれにも慣れてきた。面会の時も最後らへんは喋れないことも多かったし。
休憩のために自転車を止め、またがったまま海を見つめる。
「供養ってどうすればいいんだろうね」
彼女の最後は丁寧だった。日本における供養としても通常ラインだと思う。けれども彼女の供養に対して文句が出たのは彼女との会話の中で出てきたある言葉だった。
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「私、骨は海にまいてほしいな」
部室で一緒に別の本を読みながら過ごしていた時、彼女がポツリとつぶやいた。
「急じゃん。どうしたの」
その時は彼女が死ぬなんて思っていなかったから彼女の言葉は唐突に聞こえた。今思えばこの時から死期を悟っていたのだろうか。早く気が付ければよかったのにと後から思う。
彼女は言葉をつづけた。
彼女が言うには、死んだ後も何かの役に立ちたい、ただ飾られるだけなのは何となく嫌だ。とのことらしい。
「だから海?」
「うん。何かしらの栄養にはなるかなって」
まるでハミングするように続けた言葉に私は意地悪をしてみたくなっていった。
「じゃあ、畑とかにまくのもあり?」
自分でもにやにやとしているとわかりながら彼女に聞く。
「もちろん」
彼女は何もうろたえずに言う。
「じゃあ空にまかれても?」
「いいよ」
「セメントとか建物の材料でもいいの?」
「面白いこと思いつくね。それでもいいかも」
「じゃあ誰かが食べちゃうとか」
「いいけど、あんまり消化されそうにないからちょっと不満かも」
お互いに顔を見合わせて笑う。
物騒なのに空気は限りなくやわらかい会話に私はとても癒されていた。
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「海か・・・」
ハンドルを握る手が無意識に力が入る。
目の前にあるのは彼女が死後望んだ海だ。
すべての陸に繋がり、たくさんの生物が住み、ここに骨を撒いたら、何かしら何かに役に立つ。
彼女の望みなら、撒いた方がいいのだろうか。
骨壺を見つめる。
白色のそれは夕日に照らされてオレンジ色に染まっていた。
彼女ならなんていうだろう。
そう思いながら見つめるが、考えが浮かばない。
彼女が望んだことをしたい。彼女のそばにいたい。彼女が願うなら何でもしてあげたい。
ここには私を縛るものも、彼女の両親や親戚、病院、サークル、司法も何も存在しない。
骨壺に手を伸ばし、自転車を停める。
そこそこの重さのあるその骨壺を抱えながら海岸に近づく。
波がキラキラと反射し、生臭いにおいが鼻を突き抜ける。靴裏ごしに感じる砂の間食は気持ちのいいものではなかった。
目の前の大きな質量をもつ海という存在を改めて見つめる。
彼女をここに。
渡せば。
手の中の彼女を見つめる。
もう誰かが何かしないと動けない彼女。
私が望めば、ずっとそこにいてくれる彼女。
「さよならはもう言ったのに」
涙が一粒出てくる。
彼女の姿を脳裏に浮かべる。
あの部室に悠々とした表情でいる彼女。髪は黒でストレート。唇は知性を感じさせるような笑みを浮かべることが多かった。瞳は吸い込まれるような黒色で、見つめるたびに宇宙に打ち上げられるような高揚感があった。
大好きな彼女を改めて思い浮かべながら骨壺を見る。
そうだ、ここに彼女はいない。
ただの骨。
愛した彼女の意識の残滓も何も残っていない。
「ああ、もうほんとに死んじゃったんだね」
分かっていたはずの、死という、永遠に失うという感覚を改めて感じた。
涙がぼろぼろと出てきた。
あんなに大事な彼女が、もう、本当に、どこにもいないなんて信じたくなかった。信じたくなかったから今まで誤魔化してきた。
その誤魔化しもこれまでかもしれない。
布から骨壺を取り出し、蓋を開ける。
容量以上に詰められたそれは開けただけで細かい破片が飛んで行った。
その破片はそのまま波の方に飛んで行った。
このまま筒を下に向けるだけ、彼女の姿を思いながら手を動かそうとする。
そこでふと彼女の言葉を思い出した。
「そばにいてほしい」
あの桜の日、病室で出会った日、あの時言われた言葉を思い出した。
急に頭が冴えたように、電流が走るような感覚に襲われた。
私はあわてて蓋を閉じ、骨壺を布の中に戻し、強く抱きしめた。
「ずっとそばにいなくちゃ」
そう思った。
役に立つかどうか、という彼女の望みのほかに行っていたじゃないか。私にそばにいてほしいという望みを。
「ごめんね。ごめんね。」
「大好き。愛してる。」
少しでも離れようとしてごめんね。
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海の近くにずっといたからか、少し肌寒い。
彼女を大切に抱きかかえながら自転車に戻る。
かごに彼女を入れ、愛おしい気持ちでその輪郭を撫でる。
またしばらく感傷に浸りたかったが、日も暮れてきているので気持ちを抑えて自転車に乗る。
「ずっと私のそばから離れさせないからね」
未来がどうなるかは分かったものではない世界だったが、彼女が私のそばにいる限り、私は生きていけると思った。
インパクトのある文章を前に出したいな、という気持ちで書き始めました。
正直主人公は好かれるような性格で書いてないので、途中で読むのをやめる人が大半だろうと思っているので、ここまで読んでくれている人がいるのなら、とてもうれしいです。
主人公は彼女のことを友情以上に思っていますが、彼女は主人公のことを「友達なんだろうな」と思っていたので、主人公の言動を見てびっくりしています。
タイトルは主人公じゃなくて、彼女の言葉だったオチです。